兵庫にあるへき地学校で最も級数が高いのは、時期にもよるのだが1959年にへき地等級が制定された段階では4級となっている。その後、級数の見直しの過程で淡路島の沼島と家嶋群島の男鹿島にある分校が5級になっていた時期があるが、本土の学校についてはやはり変わらない。
本土のへき地4級校は3つあり、すべて但馬北西部の山間部にある。このあたりは日本海側にも近く、雪深くスキー場などにも事欠かないエリアなので、山奥は当然往来が難しい。
その4級地の中の一つが小代小学校熱田分校である。熱田集落はほぼ鳥取県の県境近くにある集落で、少し前までは国道482号線の終点にあたっていた。終点というのは、鳥取側とつながっていなかったからである。2019年に開通したのだが、それについてはのちほど。
熱田集落はすでに廃村となっている。1968年の豪雪の際に孤立集落となり、町の中心部に出ようとした村民が帰りがけに雪崩に巻き込まれて死亡したという経緯から町の中心へ集団離村することになったためである。当時9世帯約50人が離村したとのこと。その後もしばらくは夏の間は農作業などが行われていたそうだが、集落出身者の高齢化が進み2020年に名前だけ残っていた「熱田自治会」が解散して名実ともに廃村になったとのことだ。そんな集落にある分校だから当然へき地度も高いのは当然としても、早い時期に廃村となったためほとんど人の往来がなく、道路の整備がほとんどなされていない。というわけできわめて到達しにくい。
そもそも、熱田集落がある美方町(現・香美町)じたいが但馬のもっとも山深いところにある町のひとつである。山陰街道の流れをくむ9号線からさらに分岐した482号線を数km入ったところに町の中心がある。もちろん鉄道は通っていないし、未成線のたぐいが全通してもおそらく鉄道はやってこなかったと思われる。その町の中心からさらに数km入ったところにあるのが熱田集落である。
この熱田集落、なんどか訪れようとしたのだが、何回かはうまくいかなかった。というのは、先ほども書いたように山深い。そして道路の整備が不十分ということで、到達不可能ということが何度かあったためである。
最初にこの廃校を訪れようとしたときは2016年ごろ。美方町の中心のあたりまではごくふつうの2車線の山道だが、中心部で車線が細くなるとそのまま隘路の国道となる。(当時。最近バイパスができて中心街は国道指定からはずれたらしい)

町の中心となる商店街(あんまりやってない)からさらに西にはいり、いくつか山間の集落を横目に走ること数km、秋岡という集落に到着する。ここにはかつては小南小学校があった。
表題には小代小学校となっているが、かつては美方町には3つの小学校があった。それぞれ小北小学校、小南小学校、小代小学校という名前で、1967年に中心にある小代小学校に統合された。名前は美方町になるまえ小代村と呼ばれていたことにちなんでいると思われる。ちょうど商店街が終わったあたりで川を隔てて左手にきれいな校舎が見え、それが小代小学校・中学校(現・準へき地)。このほかに分校が2つあり、熱田分校はその1つである。小南小学校は統合時でへき地1級。
2016年の時点では、国道482号線に入っていくらか進んだあたりで「秋岡より先通行不可」という電光掲示板があった。
で、秋岡から奥へとむかってみると、いくらか進んだ途中で通行止めになっていて工事の作業員の人が立っていた。想定範囲内ということで、このときは引き返すことにした。あとで兵庫県内の廃校を回った記録にあたってみたところ、2010年以降通れなくなっているらしい。
次に訪れたのが2019年頃。このときには秋岡より先の道が通れるようになっていたのだが、車一台がようやく通れる程度の幅の道なのでやはり走りにくいには違いない。熱田がどこにあるかよくわからず、携帯の電波も圏外になるのでなかなか見当たらない。そのまま県境まで到達してしまった。
しかたなく引き返していくと、ようやく途中で一つ分岐の道があることに気づき、そこから荒れ道を上って途中の三叉路を上がると、熱田分校があった。
次、2021年10月にも今度は鳥取側から入ったのだが、熱田に入る途中で倒木があり通行不能。どうもこの年の夏のどこかの雨でやられたらしい。あきらめて引き返した。
そのほかにもなんどか挑戦してみたのだが、冬場は雪に閉ざされるし、豪雨の後などにはすぐ道路の修復などで工事がはいるなどしやすい道のためなかなか機会がない。
というわけでどうもタイミングが合わなかったのだが、ようやく4度目の来訪となった。

今回も鳥取側から入ることにした。戸倉峠越えの29号線で若桜まで行って、そこから分岐した482号線で山道を登っていく。氷ノ山スキー場への入り口でもあるので道路自体はよく整備されているのだが、急坂もある。
数km上がっていくと、つく米小学校がある。写真をとりそこねたのだが、へき地等級1級(閉校時)の学校である。

つく米の集落を抜けると、スキー場の駐車場や施設入り口などがある。冬は雪がかなり積もるのだろうが、そんな中、警告看板が。大型車は今でも通行不能である。また、山奥におなじみの「異常気候時通行止め」の看板も。

そして峠をのぼりきるとついに県境に到着する。実のところここまではかなり幅広い道路なので、大型車通行不能になるのはこの先。2019年にここから熱田までが国道として指定されてようやく兵庫鳥取間がつながることとなった。それまではあくまで町道で、90年代には舗装もされていなかったため相当の悪路だったらしい。その後世紀がかわったころにさすがに舗装はされたそうなのだが、その後も落石などで年単位で通行不可になっていたのは前述のとおり。


県境を越えて山道を下っていくと、標識が土台ごとくずれていた。



いくつか小屋のたぐいがあるが、これはまだ国道ではなく町道だったころからあったものだろう。人が住んでいたことがあるわけではないようだ。写真には残していないのだが、ところどころにSOS電話があり、いざとなったらこれだな、と思わせる。使いたくないですが。
画像1枚目は祠だろうか。じつはこの町道は全部が古くからある峠道ではないらしく、県境から少し入ったところで分岐して直接熱田につながっていたらしい。現在の町道は熱田川のある小代渓谷まで一気に降りてそこ沿いに秋岡につながっているので、熱田にはそこから再度坂を上らないといけない。かつてはこの坂で川沿いの道につながっていた。
といってもわかりにくいので、実際に地図を見てもらったほうが良い。現在、国道482号線はこんな感じになっている。

で、1935年に発行された地図だとこうなっている。ちょうど地図の境界になっているのでわかりにくいのだが、


(出典:五万分の一地図「村岡」「若桜」1935年発行、国土地理院)
今より少し東に点線がひかれているのがわかる。そして、熱田を通って坂を下ってから現在の国道に合流している。
等高線の精度がかなり低いのだが、おそらく下の赤線のようなルートをたどっていたのだと思われる。最大で標高940mくらいに達するため、県境にたどりつくまでにいくつか峠を越えなくてはいけないようだ。

峠道もひととおり降りると、左手に工事中の現場が見えた。掲示によると、どうも、熱田を訪れる人のためのトイレを作る?らしい。その少し先に熱田への道が伸びている。かつてはここまでが町道で、熱田側が国道482号線の終点だったんだそうだが…… わりと正気化だったのか?と思ってしまったが、もともとは熱田から先に峠道が伸びていたと思えば納得ではある。
というわけで、「旧道」へとのぼっていく。熱田川を渡ると舗装がコンクリートになり、いきなり古さを感じさせる。しかも、その登り口でさっそく工事中だ。ただし、こちらは人がいて何かやっているわけではなく三角コーンがたててあるだけだ。どうやら、舗装が崩れたかなにかを直しているらしい。普通に車でよけて通れる幅はあるので、とりあえずよけて進む。工事中の手前にお地蔵さんがある。
道は落ち葉だらけで、あちこち穴があいていたりもするし、おまけにヘアピンカーブや急こう配も多いのでかなり気を付けて進む必要がある。
ちなみにこのときの一番の心配事は、ガソリンの給油ランプが点灯してしまったということ。点灯してそれほどたっていないのでまだ数十kmくらいなら走れるだろうが、なにしろ山奥だから気が気ではない。

そのうちに熱田分校の案内看板が目に入った。前からあったのか?よくおぼえていない。しかし分校じたいは前回も訪れているわけなので、今回はせっかくだからその先にあるはずの廃村を見ていきたいところ。そう考えて、まずは分校をスルーしてさらに奥へと入っていった。
相変わらず悪路が続くが、そのうちに道が二手に分かれた。片方はゆるい下りでもう一方が登り。登りの方が正解かなと思いそちらに車を走らせていくが、道はどんどん悪くなる。出かける時の天気はよかったのだが鳥取県境あたりで少し雨が降っていたのと、そもそもここまで山奥だと日当たりもあんまりよくなくてそもそも慢性的に道がぬかるんでいる。途中出水していたところもあったし。
そしておそろしいことが起こってしまった。エンジンをふかしてもスリップして登れないのである。しかも用心して停めないとブレーキをかけても後ろにずり落ちていく。かなり恐ろしい思いをしながら車を降りてみると、いちおう道路に轍はあるもののそこからはずれて走っていたため掻いた泥でスリップ状態になってしまったようだ。あれこれやってもこれ以上上がれないし、かといってうっかりすれば崖から転落である。そしてJAFなどよぼうにも熱田の入り口まで下りないといけない。
どうにかこうにか死にそうになりながらもなんとか車を転回させて下り向きにすることに成功。なんとか分岐点まで下りて、そろそろと降りて行った。正直もう疲れたので分校跡だけ見て帰ることにした。
分校への道が分岐している三叉路まで出て、そのまま上った…… のが失敗。上がりきる手前あたりでまたスリップしてしまったのである。さきほどと同様になんとか転回しようとしていたところ、溝に脱輪してしまいさらに厄介なことに。
どうにかこうにか復帰して、歩いて分校跡まで上がることにした。そういえば前回訪れた時は坂におそれをなして三叉路からは歩いて登ったのを思い出した。前回の方が賢明であった。

大体の位置関係はこのようになるはずだが、どこか勘違いしている可能性もある。

三叉路から分校へと続いている坂。ここもなかなかの酷い道である。昔は普通に通れたんだろうが。道を上り切ったところに大きな広場があり、左手に丘がある。

広場はおそらく往時は運動場になっていたところなのだろう。現在はとてもじゃないが子供が運動できるような足場ではない。丘の横にある道から後ろに回ると、校舎がある。こちらが小代小学校熱田分校である。実際にはこの名前だったのは最後の1年半だけで、それまでは小南小学校熱田分校だったということになる。

学校自体は明治30年に家庭教育所として開設したものが1941年に正式の分校となったものだが、この校舎じたいは1959年に新設されたものだそうで、それまでは地域の観音堂に隣接していたらしい。観音堂は未見。分岐があったところの右側に看板が出ていたので、おそらくそちら側の廃屋のあたりにあるのだろう。

消えかかっているが「熱田分校」の文字。子供の字なので、きっと往時の在校生が書いたものなのだろう。

校舎の横には小さい丘があり、これまた祠かなにかがある。これが観音堂、というわけではなさそうだ。

広場の向こうには廃車となった軽トラがあったり、なにかの小屋があったりといちおうかつての形跡がしのばれるけれど、校舎自体はブリキで目張りがしてあって様子はよくわからない。
非常に疲れた感じで下山。途中、「水力発電所跡」という掲示もあった。あまり停車しやすそうな場所ではないので素通りしてしまったが、あとで「美方町史」にあたってみたところ熱田地区に電気が通ったのは1962年になってからで、それまでは簡易式の水力発電所を使って自家発電をしていたのだそうだ。それも不便さをおもわせるには十分だが、しかも水力が豊富ではないため維持が難しかったとのこと。うーん……
参考資料