akanethussのブログ

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 このブログではへき地学校を主に訪れているのだが、そもそもへき地校というのはなんなのか、という話。の等級については。

へき地にあって不便な学校を補助するため、1954年にへき地教育振興法というものが成立した。これに基づいて勤務する教員の給料にへき地手当を定めるための規則がへき地教育振興法施行規則で、へき地度に応じて給料に割合で積み増しをすることになった。もっともへき地度の高い5級地では25%積み増しされる。

 この基準は、主にへき地性を表わす基準となる施設までの距離を点数化して、足し上げていったものをもとにして決めたものだ。ここでいう施設というのは、鉄道かバスの停留所までの距離のほか、郵便局、診療所、市町村の中心などといったところまでの距離である。教員の待遇改善のための基準なので、教育委員会までの距離というものも基準の中に含まれる。もちろん途中に、鉄道やバスがない区間がある場合は、そうでない場合に比べて点数が高くされているのはいうまでもない。こうして足し上げていった点数に応じて、級を決定している。もちろん、バスがあっても冬になると積雪で途絶する時期があるとか、そもそも交通不可能になるといった場合はそのぶんの加算がなされるし、途中に悪路があったりするとそこも点数の加算要素になる。水道がないとか電気がない(1959年当時は、まだそういう学校が少なくなかったのだろう)といった不便さがあるとそれは付加点数として追加される。

山奥の学校の場合はこういったものが基準なのだが、離島の場合だとさらに本土までの距離や船着き場までの距離、定期運行する船の本数なども算出のための要素として加えられる。こうして足し上げた点数が

 

40点以上だと1級

80点以上だと2級

120点以上だと3級

160点以上だと4級

200点以上だと5級

 

となっている。

 

 実際の学校への指定は都道府県単位で行われているので、この規則に全国すべてのへき地学校が掲載されているわけではなく、県の条例などで定められている。1959年に最初に指定された学校については、全国のものが「へき地学校名簿」として国会図書館に所蔵されているし、兵庫県については公報での扱いも確認している。このブログで取り上げるときは基本的にはこの等級をベースにしているのだが、実際にはそのあと等級が下がったり閉校になったりしている学校も多いため、そのつど補足をするようにしている。また、現在の等級については各都道府県の条例や、全へき連のページで確認することができる。

 等級が変わった場合、についてが少し扱いが難しい(うえに変わっている事自体は普通である)。単純に不便さが上がったり下がったりしただけならわかりやすいのだが、実際にはへき地等級はこのように基準を法律で定めて決定しているものなので、その法律のほうがときどきみなおされるのである。もちろん、法律はそのままに基準を満たしているかどうかのみ見直されることもある。

 特に1971年にへき地教育振興法施行規則が改正されたときには点数を加算する要素が増えたのと、それまでは4km以上になってはじめて加算対象になっていたのが2kmからになったため、このときに新たに指定される学校が増えている。もう一つ、このとき35〜39点で「準へき地」、30〜34点で「特別な地域に位置する」というカテゴリーが新設されたためにその枠に指定される学校が増えたということもある(その後1989年に準へき地と1級の境目が40点から45点に変更されている)。

端的な例として、1959年の指定では兵庫県内の最高級は4級だったのだが、71年の指定で瀬戸内海の離島にある沼島分校と男鹿島分校が5級に引き上げられている。このような理由で、1959年の級数は1971年の級数にくらべて低い、ということがある。

 

 ややこしいから最も新しいデータを使えばいいと言われそうだが、これはこれでうまくないところがある。というのは閉校した学校が多いので時期が一定しないし、特に最近の級は全体的に低くされているところが多い。交通機関や道路の事情が改善されたために下がったというのなら良いことなのだが必ずしもそうではない理由もけっこうあって、法律として級数の高い学校ができにくくされているのである。

 2009年の見直しで、基礎点数の計算のための基準表がおおはばに引き下げられて級数が下がった。これにともなって学校が多いのである。特に隔絶したところにある学校で、どれだけ遠くても点数があまり積み増されないようになった。89年にもそういう変更はあったのだが、このときさらに大きくなった。

 一例として、へき地5級校が離島と北海道をのぞきほぼ「消滅」したことがある。元々この時点で離島以外のへき地5級校というのは数えるほどしかなくなっていたのだが、青森や熊本に1つづつ存在していた。これらが2009年に4級に再指定されたため、本州・九州からは「消滅」した。

 もうひとつの大きな変化は、このときに人口3万以上の街が近くにある場合は点数を減じるということになったのである。法律の条文にはそういう表現をしていないのだが、実際は減じるものである。これは、へき地学校に赴任することになった教員が近くの都市部に在住して車で通勤することが多くなったことを鑑みた、のだそうだが。近くと行っても最大40kmである。このため、市町村合併で市の一部になったような学校は点数を減らされることになった。

 

 

熱田分校を訪れたときの続き。

 

 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
 
 

 

 

 

 いろいろとトラブルのあった熱田分校訪問だったが、トラブルが多すぎて忘れかけだがそもそもガソリンの残量が心配である。いちおう、まだそれなりには走れそう(給油ランプが点滅していない。途中一時期点滅したのでヒヤヒヤしたのだが、下り坂だったのでみかけじょうそうなっていたようだ)だが、小代の町を抜けて少し先にガソリンスタンドがあるのを見つけて給油。かなり高かったし八鹿あたりまでいけばたぶんもっと安いのだが、さすがにそんなことを言っている場合ではない。

 というわけでことなきを得て、482号線を走り9号線へと出る。ちなみに小代(=美方町。もともとは隣接する射添と合併してこの町名になったのだが、その後射添が離脱して村岡町と合併したため実質ただの名称変更になった様子。なにがあったんですか……)にあった3つの小学校のうち小北小学校だけはいまだに正しい位置がよくわからない。空き地になっているとのことだが。

482号線が9号線と合流するあたりにフジという小さなドライブインがあるので、休憩がてら寄る。

ドライブインといっても自販機しかないのだが、今時めったにないうどんの自販機があることで有名。訪れるとたいてい入ってみるのだが、今回はちょうど店主の人がメンテナンスしているところだった。自販機できつねうどんとコーヒーを購入して店内でいただく。

これは道路標識、ではないね。

まだ少し時間があるので、もう一つくらい寄れるだろうということで、旧春来小学校へも立ち寄ることにする。

9号線をぬけて香美町から新温泉町に入るトンネルを抜けてすぐに左手に坂道が分岐している。ここを登っていくと、旧来の峠道がある。

峠道には「てっぺん」というそば屋があるらしいのだが、きちんと確認しそびれてしまった。

 

春来小学校は2010年閉校。ホームページが残っている。歴史は古く、明治12年に分校として成立、明治20年には独立の簡易小学校となっている。その後25年に尋常小学校に昇格。

 

以前にも一度訪れたのだが、そのときは夕暮れですっかり暗くなってしまい写真はまともに取れなかった。現在は記念館として使われているらしい。

 兵庫にあるへき地学校で最も級数が高いのは、時期にもよるのだが1959年にへき地等級が制定された段階では4級となっている。その後、級数の見直しの過程で淡路島の沼島と家嶋群島の男鹿島にある分校が5級になっていた時期があるが、本土の学校についてはやはり変わらない。

 本土のへき地4級校は3つあり、すべて但馬北西部の山間部にある。このあたりは日本海側にも近く、雪深くスキー場などにも事欠かないエリアなので、山奥は当然往来が難しい。

 その4級地の中の一つが小代小学校熱田分校である。熱田集落はほぼ鳥取県の県境近くにある集落で、少し前までは国道482号線の終点にあたっていた。終点というのは、鳥取側とつながっていなかったからである。2019年に開通したのだが、それについてはのちほど。

 熱田集落はすでに廃村となっている。1968年の豪雪の際に孤立集落となり、町の中心部に出ようとした村民が帰りがけに雪崩に巻き込まれて死亡したという経緯から町の中心へ集団離村することになったためである。当時9世帯約50人が離村したとのこと。その後もしばらくは夏の間は農作業などが行われていたそうだが、集落出身者の高齢化が進み2020年に名前だけ残っていた「熱田自治会」が解散して名実ともに廃村になったとのことだ。そんな集落にある分校だから当然へき地度も高いのは当然としても、早い時期に廃村となったためほとんど人の往来がなく、道路の整備がほとんどなされていない。というわけできわめて到達しにくい。

 そもそも、熱田集落がある美方町(現・香美町)じたいが但馬のもっとも山深いところにある町のひとつである。山陰街道の流れをくむ9号線からさらに分岐した482号線を数km入ったところに町の中心がある。もちろん鉄道は通っていないし、未成線のたぐいが全通してもおそらく鉄道はやってこなかったと思われる。その町の中心からさらに数km入ったところにあるのが熱田集落である。

この熱田集落、なんどか訪れようとしたのだが、何回かはうまくいかなかった。というのは、先ほども書いたように山深い。そして道路の整備が不十分ということで、到達不可能ということが何度かあったためである。

最初にこの廃校を訪れようとしたときは2016年ごろ。美方町の中心のあたりまではごくふつうの2車線の山道だが、中心部で車線が細くなるとそのまま隘路の国道となる。(当時。最近バイパスができて中心街は国道指定からはずれたらしい)

 町の中心となる商店街(あんまりやってない)からさらに西にはいり、いくつか山間の集落を横目に走ること数km、秋岡という集落に到着する。ここにはかつては小南小学校があった。

 表題には小代小学校となっているが、かつては美方町には3つの小学校があった。それぞれ小北小学校、小南小学校、小代小学校という名前で、1967年に中心にある小代小学校に統合された。名前は美方町になるまえ小代村と呼ばれていたことにちなんでいると思われる。ちょうど商店街が終わったあたりで川を隔てて左手にきれいな校舎が見え、それが小代小学校・中学校(現・準へき地)。このほかに分校が2つあり、熱田分校はその1つである。小南小学校は統合時でへき地1級。

 2016年の時点では、国道482号線に入っていくらか進んだあたりで「秋岡より先通行不可」という電光掲示板があった。

で、秋岡から奥へとむかってみると、いくらか進んだ途中で通行止めになっていて工事の作業員の人が立っていた。想定範囲内ということで、このときは引き返すことにした。あとで兵庫県内の廃校を回った記録にあたってみたところ、2010年以降通れなくなっているらしい。

 

 次に訪れたのが2019年頃。このときには秋岡より先の道が通れるようになっていたのだが、車一台がようやく通れる程度の幅の道なのでやはり走りにくいには違いない。熱田がどこにあるかよくわからず、携帯の電波も圏外になるのでなかなか見当たらない。そのまま県境まで到達してしまった。

しかたなく引き返していくと、ようやく途中で一つ分岐の道があることに気づき、そこから荒れ道を上って途中の三叉路を上がると、熱田分校があった。

 次、2021年10月にも今度は鳥取側から入ったのだが、熱田に入る途中で倒木があり通行不能。どうもこの年の夏のどこかの雨でやられたらしい。あきらめて引き返した。

 そのほかにもなんどか挑戦してみたのだが、冬場は雪に閉ざされるし、豪雨の後などにはすぐ道路の修復などで工事がはいるなどしやすい道のためなかなか機会がない。

 

 というわけでどうもタイミングが合わなかったのだが、ようやく4度目の来訪となった。

今回も鳥取側から入ることにした。戸倉峠越えの29号線で若桜まで行って、そこから分岐した482号線で山道を登っていく。氷ノ山スキー場への入り口でもあるので道路自体はよく整備されているのだが、急坂もある。

数km上がっていくと、つく米小学校がある。写真をとりそこねたのだが、へき地等級1級(閉校時)の学校である。

つく米の集落を抜けると、スキー場の駐車場や施設入り口などがある。冬は雪がかなり積もるのだろうが、そんな中、警告看板が。大型車は今でも通行不能である。また、山奥におなじみの「異常気候時通行止め」の看板も。

 

そして峠をのぼりきるとついに県境に到着する。実のところここまではかなり幅広い道路なので、大型車通行不能になるのはこの先。2019年にここから熱田までが国道として指定されてようやく兵庫鳥取間がつながることとなった。それまではあくまで町道で、90年代には舗装もされていなかったため相当の悪路だったらしい。その後世紀がかわったころにさすがに舗装はされたそうなのだが、その後も落石などで年単位で通行不可になっていたのは前述のとおり。

 

 

県境を越えて山道を下っていくと、標識が土台ごとくずれていた。

 

 

 

いくつか小屋のたぐいがあるが、これはまだ国道ではなく町道だったころからあったものだろう。人が住んでいたことがあるわけではないようだ。写真には残していないのだが、ところどころにSOS電話があり、いざとなったらこれだな、と思わせる。使いたくないですが。

画像1枚目は祠だろうか。じつはこの町道は全部が古くからある峠道ではないらしく、県境から少し入ったところで分岐して直接熱田につながっていたらしい。現在の町道は熱田川のある小代渓谷まで一気に降りてそこ沿いに秋岡につながっているので、熱田にはそこから再度坂を上らないといけない。かつてはこの坂で川沿いの道につながっていた。

といってもわかりにくいので、実際に地図を見てもらったほうが良い。現在、国道482号線はこんな感じになっている。

 

で、1935年に発行された地図だとこうなっている。ちょうど地図の境界になっているのでわかりにくいのだが、

(出典:五万分の一地図「村岡」「若桜」1935年発行、国土地理院)

 

今より少し東に点線がひかれているのがわかる。そして、熱田を通って坂を下ってから現在の国道に合流している。

等高線の精度がかなり低いのだが、おそらく下の赤線のようなルートをたどっていたのだと思われる。最大で標高940mくらいに達するため、県境にたどりつくまでにいくつか峠を越えなくてはいけないようだ。

 

峠道もひととおり降りると、左手に工事中の現場が見えた。掲示によると、どうも、熱田を訪れる人のためのトイレを作る?らしい。その少し先に熱田への道が伸びている。かつてはここまでが町道で、熱田側が国道482号線の終点だったんだそうだが…… わりと正気化だったのか?と思ってしまったが、もともとは熱田から先に峠道が伸びていたと思えば納得ではある。

というわけで、「旧道」へとのぼっていく。熱田川を渡ると舗装がコンクリートになり、いきなり古さを感じさせる。しかも、その登り口でさっそく工事中だ。ただし、こちらは人がいて何かやっているわけではなく三角コーンがたててあるだけだ。どうやら、舗装が崩れたかなにかを直しているらしい。普通に車でよけて通れる幅はあるので、とりあえずよけて進む。工事中の手前にお地蔵さんがある。

道は落ち葉だらけで、あちこち穴があいていたりもするし、おまけにヘアピンカーブや急こう配も多いのでかなり気を付けて進む必要がある。

ちなみにこのときの一番の心配事は、ガソリンの給油ランプが点灯してしまったということ。点灯してそれほどたっていないのでまだ数十kmくらいなら走れるだろうが、なにしろ山奥だから気が気ではない。

そのうちに熱田分校の案内看板が目に入った。前からあったのか?よくおぼえていない。しかし分校じたいは前回も訪れているわけなので、今回はせっかくだからその先にあるはずの廃村を見ていきたいところ。そう考えて、まずは分校をスルーしてさらに奥へと入っていった。

相変わらず悪路が続くが、そのうちに道が二手に分かれた。片方はゆるい下りでもう一方が登り。登りの方が正解かなと思いそちらに車を走らせていくが、道はどんどん悪くなる。出かける時の天気はよかったのだが鳥取県境あたりで少し雨が降っていたのと、そもそもここまで山奥だと日当たりもあんまりよくなくてそもそも慢性的に道がぬかるんでいる。途中出水していたところもあったし。

そしておそろしいことが起こってしまった。エンジンをふかしてもスリップして登れないのである。しかも用心して停めないとブレーキをかけても後ろにずり落ちていく。かなり恐ろしい思いをしながら車を降りてみると、いちおう道路に轍はあるもののそこからはずれて走っていたため掻いた泥でスリップ状態になってしまったようだ。あれこれやってもこれ以上上がれないし、かといってうっかりすれば崖から転落である。そしてJAFなどよぼうにも熱田の入り口まで下りないといけない。

どうにかこうにか死にそうになりながらもなんとか車を転回させて下り向きにすることに成功。なんとか分岐点まで下りて、そろそろと降りて行った。正直もう疲れたので分校跡だけ見て帰ることにした。

分校への道が分岐している三叉路まで出て、そのまま上った…… のが失敗。上がりきる手前あたりでまたスリップしてしまったのである。さきほどと同様になんとか転回しようとしていたところ、溝に脱輪してしまいさらに厄介なことに。

どうにかこうにか復帰して、歩いて分校跡まで上がることにした。そういえば前回訪れた時は坂におそれをなして三叉路からは歩いて登ったのを思い出した。前回の方が賢明であった。

大体の位置関係はこのようになるはずだが、どこか勘違いしている可能性もある。

 

三叉路から分校へと続いている坂。ここもなかなかの酷い道である。昔は普通に通れたんだろうが。道を上り切ったところに大きな広場があり、左手に丘がある。

広場はおそらく往時は運動場になっていたところなのだろう。現在はとてもじゃないが子供が運動できるような足場ではない。丘の横にある道から後ろに回ると、校舎がある。こちらが小代小学校熱田分校である。実際にはこの名前だったのは最後の1年半だけで、それまでは小南小学校熱田分校だったということになる。

 

学校自体は明治30年に家庭教育所として開設したものが1941年に正式の分校となったものだが、この校舎じたいは1959年に新設されたものだそうで、それまでは地域の観音堂に隣接していたらしい。観音堂は未見。分岐があったところの右側に看板が出ていたので、おそらくそちら側の廃屋のあたりにあるのだろう。

消えかかっているが「熱田分校」の文字。子供の字なので、きっと往時の在校生が書いたものなのだろう。

校舎の横には小さい丘があり、これまた祠かなにかがある。これが観音堂、というわけではなさそうだ。

 

広場の向こうには廃車となった軽トラがあったり、なにかの小屋があったりといちおうかつての形跡がしのばれるけれど、校舎自体はブリキで目張りがしてあって様子はよくわからない。

 

非常に疲れた感じで下山。途中、「水力発電所跡」という掲示もあった。あまり停車しやすそうな場所ではないので素通りしてしまったが、あとで「美方町史」にあたってみたところ熱田地区に電気が通ったのは1962年になってからで、それまでは簡易式の水力発電所を使って自家発電をしていたのだそうだ。それも不便さをおもわせるには十分だが、しかも水力が豊富ではないため維持が難しかったとのこと。うーん……

 

 


参考資料

 

またずいぶんと間が空いてしまいましたが……

 

岐阜の廃村を少し訪れてきた。

行ってきたのは恵那市上矢作町(2005年まで上矢作町)にある達原分校。上矢作町はほぼ愛知・長野の県境ぎりぎりにある町なのだが、そこにある分校跡というわけである。

へき地学校名簿に出てくる東濃のへき地学校はあまり多くないのだが、そのうちの一つがここ。単級の小さな学校だったらしい。

現在、上矢作地域にある小学校は一つしかないが、90年代までは2つあった。これは昭和の大合併で上矢作町になった村2つにそれぞれ小学校があり、そのまま存続していたため。上村と下原田村という名前だったため、小学校名も同名となっていた。上小学校には達原分校ともうひとつ木の実分校という分校があった。このうち木の実分校は55年に閉校しているためにへき地学校の資料には登場しない。

恵那市の中心から国道257号線沿いに南下して車で3,40分というところで上矢作町の北側の中心地区、上地区に到着する。現在所在している上矢作小学校もここにあり、へき地等級1級となっている。

合併前でも2000人余りとかなり小さな町だったのだが、連たんした市街地があるため町となっている。この隣りにある串原は人口はやや大きいのだがまとまった市街地がないため村のままだったとされる。

町の中心を抜けて国道に入ると、達原への道となる。途中まではいちおうバスもある。

さて問題は、どこが分校跡地にあたるのかよくわからない、ということ。実は以前にも訪れたことがあるのだが、よくわからない。達原分校の閉校は65年とすでに50年前以上前のことなので痕跡が残っていないのは当たり前といえば当たり前なのだが、石碑でもあったらわかりやすいのだけれどそういうものは見当たらない。

道はあんまり状態が良くない上にあまり天気が良くない。達原には3つの集落があり(達原・中新田・奥達原)そのどこかだろうとは想像できた。このさらに上流にもいくつか集落があって多分そこも学区には含まれていたと思うんですが、さすがにそこには所在していないだろうということで。

で、帰宅してしばらくしてひなたGISの地図を調べたらあっさりと見つかりました。中新田にあったもよう。いちばん西、つまり下流のところに文マークがある。その後移転したのでなければここのはず。

 

1875年にはやくも作られた非常に歴史の長い分校らしい。標高570mのところにある。1965年に閉校となっっているがへき地等級はそれほど高くなく、1級地だった。当時は全体的に低めに出ていたのでいまだともう少し級数が大きめになるかもしれない。

 

ハードオフでいくつかカメラを買ってきました。

キヤノンばっか。

 

まず、EOS 1000S。このあとEOSは普及機はKiss系統の名前をつけるようになって数字を使わなくなった。つまらないですね。

EOSの番号の付け方はよくわからないところも大なのだが、1→10→100→1000、という系統でいいのかな。10と100の関係はよくわからない。というか、たぶんダントツで影の薄い世代。

1000ベースにマイナーチェンジしたのが1000Sだけど、まあどっちにしろとくにプレミアはないのでジャンクコーナーの常連みたいなやつ。

フィルムEOSは家に結構あるし600系が好きなので1000Sを買うメリット自体はほとんどないんですけど、ストラップがついていたんですよね。

最近、フィルム時代のストラップも減ってきたよなー。というか、ストラップをじゃらじゃらと店頭の一角に吊るしてある光景を見ることが昔より減ったよなー。さすがに新品のキヤノン純正ストラップとか買う気はしないし。というかうちにあるカメラの数だけ純正ストラップ買ったらそれだけで(ry

 

というわけなんですけど、とりあえず電池を入れてみたら電源はちゃんと入ってシャッターも切れる。それ以上の動作はまだよくわかりません。

 

FTbは店頭で試しにシャッターを切っていたら、フィルムが中に入っていた。

巻き上げカウンターを見るとそんなに撮ってなさそうなので、再利用できるかもしれないしフィルム高騰している今ならありがたい。

本体もいちおう1秒もちゃんと切れるので使えないってことはないでしょう多分。露出計は知らない。

 

帰宅後フィルムを巻き戻していたら、思ったより長い。これ大丈夫じゃないかもわからんな。

 

オートルクスは動くかどうかよくわからん。H-Dなので代替電池がひつよう。

 

まあ、ギミックの面白さメインだな。

まだデータバックがその後のように時計機能を兼ねる前の時代なので、自分で設定しなくてはいけない。

レンズは使えそうだけど。