
(出典:電子地形図25000(国土地理院))
夏なので、美山町(現南丹市)のへき地学校跡を探索してきた。
最初は京都市側に遊びに行くつもりだったのだが、どうも京都〜高槻あたりが渋滞に陥っていたらしく、止々呂美あたりでさっさと降りてしまわないと有料のくせに時間が浪費されるという全くありがたくない話になりそうほうだったため、じゃあ美山に行くかとなった。
止々呂美で降りてからR423で亀岡に入り、そこから八木周りで京北のR162経由で美山町に入るという丹波方面を訪れるおなじみルートなのだが、ここまででけっこうな走行距離。地図だとたいしたことないのだが、なんせ山道なので実際の走行距離はけっこう長い。
天気は、出てくるときは良かったのだけれどもだんだん下り坂で、日吉ダムのあたりで雨が降り始めた。
R477とR162の交わるところで、道の駅ウッディに立ち寄る。木工の小物や野菜などが豊富な道の駅。
テレビで有田芳生氏が統一教会の報道がらみでミヤネ屋に出演していた。がんばってほしい。関係無いけどこの人は京北の人だったね。
R162に入り、しばらく山に囲まれてはいるものの特に険しいわけでもない普通の山間の町のなかの道を進んでいく。途中、京北第三小学校(もと弓削小学校、へき地1級)が目に入った。しだいに完全に山の中になり、じきにトンネルにたどりつく。
トンネルを抜けて、少し建物なども目立つようになって、国道から県道に切り替わるところの少し先で、バス停「学校前」を発見。
おやと思って車を止めてみると、道から少し小高いところに学校らしき建物が見えた。さっそく見に行ってみる。
もっとも現役ではなく、跡地のようだ。電気などが点いているので、最初はまだ現役かと思ってしまったのだが、跡地が再利用されているらしい。
平屋小学校跡。へき地2級(閉校時)。後から知ったところによると、中は教材関係の展示などを行っているらしい。
さらに県道を進んでいくと、かやぶきの里を抜けて旧知井村の中心付近にへとたどりついた。中心部から少し進んだあたりで、旧知井小学校がある。小学校にさしかかる少し手前にこんな記念碑が。
ここも閉校後は地域の施設として利用されているようだ。
ここもへき地2級。美山町の小学校は過疎化のため2016年に統合されているが、統合当時はどこも2級地となっていた。
一輪車は昔在籍していた児童のものなのだろうか。
小学校前が市営バスの操車場になっている。
この途中にあった内久保集落にはかつて内久保分校があったんだそうだが、これは確認しないまま通り過ぎてしまった。1958年に閉校しているらしいので、おそらくへき地指定はまだされていない(もしくは京都府独自のものが指定されていた可能性があるが、資料がない)と思われる。
知井小学校跡からさらに奥へと進むと田歌にさしかかる。29世帯60人が暮らしており、ここもかつては田歌分校があった。当時のへき地等級は1級だが、今とだいぶ基準が違っているので同一には扱えない。
田歌を抜けると本格的に峠道となる。ところどころ一車線しかなく、離合に困りそうな区間もあり、スマホの電波もちょくちょく入らなくなってきた。道路の整備じたいはちゃんとされているのでそれほどではないのだが、ふと右側を見るとけっこうな断崖絶壁である。このへんR477に通じるものがあるが、あそこまで怖くはない。県道より怖い国道っていったい
ぐねぐねししているうちに、工事現場にさしかかった。橋が架かっているが妙に新しい。
どうも、本来の道の一部が土砂崩れで通れなくなっているための仮橋っぽい。位置的には出合バス停付近にあたる。
バス停はぼろぼろになっていた。何年もたって朽ち果ててしまった、というわけではなく、おそらく土砂崩れの影響なのだろう。
あとで調べてみたら、今年1月18日に大規模な土砂崩れが起きて通れなくなったとのことだ。

この出合バス停は、芦生への分岐点にあたるので、まずは分岐先へ。

「芦生の里」まで2.8kmとある。
まずしばらく行くと、小さな集落がある。ここは口芦生というらしい。山奥ではあるが、まあまあ整備されている。
さらに奥、小さい集落が現れる。芦生集落。
集落の家が立ち並んだ先に、芦生山の家という施設がある。施設につながっている坂道のわきにはいかにも昔は小学校の銘板があったとおぼしき門柱がある。
坂を上がったところには2棟の建物があるが、どうもこのうち古い方の建物がかつての分校らしい。
ボート用の設備などの倉庫と、喫茶店を兼ねているようだが中には入らなかった。
学校横にすぐ横に神社があるのは毎度おなじみ。
芦生分校はへき地4級。現在は合宿所として活用されているようだがで、坂の下には工場がある。というわけで4級地としては栄えている部類だがここまでくる道のりのことを考えればやはりかなりきつい。27世帯47人が暮らしている(2015年)とのこと。
学校から見下ろした芦生の集落の光景。
というわけで、いったん芦生から出合まで引き返してあらためて佐々里へ。
途中、白石という小集落をぬけて、佐々里の集落に到着する少し手前のカーブでいかにも学校跡という建物が目に入る。バス停の名は「京都美山高校」。いちおう佐々里までバスは通っているのであるが、こんなところに高校…… というか、これが佐々里分校の跡地でもある。
佐々里分校はへき地4級。往時(1959年頃)は31名の児童数だったらしい。11世帯22人が暮らしているが、途中にあった白石はどうも現在では定住人口がなく、廃村となっているようだ。なにげなく通り過ぎてしまったのが悔やまれる。
旧美山町時代の町営バスのバス停。これとは別に南丹市営バスのバス停もあり、佐々里まで走っているようだ。とはいえ、一日数本で日曜は運休と、地域の足としてはとてもじゃないが使えなさそうである。

校舎はロープが張られていて中には入ることができないようになっていたが、窓もトタンで目張りされている。ここまでしている廃校跡はあんまりない気がする。
閉校は1980年。その後は、高校の用地として転用されたらしい。自然に囲まれた場所での全寮制高校という構想で作られた学校だったものの、不祥事などがあり高校自体がその後迷走。その後はインターネット学習を中心とした学校へと鞍替えし、現在では本部も京都市内に移転しているようだ。
学生寮、の跡地のようだが、どうも10人くらいしか住めなさそうな気がする。1棟は屋根が破壊され、倒壊しかかっていた。まあ、豪雪地なので雪だけでこうなってもおかしくはない。
校舎の正面には、実習農場と銘打った広場がある。昔は本当に農場だったのだろう。

その横には高校として使われていたころの寮がある。寮というが、ほとんどログハウス。

これで京都府内の往時の4級地をすべて訪れたことになる。正直なところ、兵庫の4級地に比べると京都の4級地は訪れやすい。もっとも当時は今より道路条件が悪かっただろうから、きびしかったことは想像に難くない。今回訪れたのは夏だが、冬になると雪深いのでなおさらだろう。実際、この佐々里から先、
峠は積雪によっては通行止めになるようだ。芦生で土砂崩れが起きた際は、迂回路ができるまでは陸の孤島と化してしまったため大至急でこちらの除雪を行ったらしい。3月ごろには迂回路ができていたとのこと。
佐々里の集落自体はここからさらに少し奥まったところのすこし平地がひろがったところにある。このあたりはヤマメ釣りなどが盛んらしい。
- 本庄豊「ポランの広場 : 瓦解した「宮澤賢治の理想郷」」(かもがわ出版)
廃校後高校として利用されていたころのルポらしい。