今から19年前の写真となります。
この頃はまだまだ電車区の公開があちこちで行われていました。
今はなきスーパーくろしお用381系。
完成当時の塗装のオレンジと黄色の塗装の方が似合っていると思うのは私だけでしょうかキョロキョロ
運行最後の方は、写真のとおりのライト回りの処理・・・何だか寂しい気持ちになります。
ちなみに右に少し写っているのはDD51で、日根野区に所属するわけではなく、この後出てくるEF58とマイテ49をけ牽引して来た機関車です。
381系国鉄色。
日根野の381系の一部は最後まで国鉄色で残り、主にはんわライナーややまとじライナーとして運用されていました。
オーシャン色381系。
写真を見返しましたが、表示はほとんど回送やLEDは消灯され、昔のようなこのイベントに対する意気込みは少し後退していたのかも知れませんね。
そこに拘るのは鉄道ファンだけでしょうかねえー
体質改善40N工事が行われた113系。
103系とともに大幅な更新がなされまして、車内は223系と同等な転換クロスシートとなり、蛍光灯にはカバーが取り付けられるなど、新型車両に見劣りしないものになっていました。外観も塗装だけでなく、窓回りの変更や雨樋が目立たない張上げ屋根風のものとなり、この頃のJR西日本の意気込みを感じたものであります。
113系青帯車。阪和色や新快速色とも言います。
泉州地方に住む私にとっての113系はこの塗装が基本でありました。
廃車も近く、奥の方にある113系はこのような感じで留置されていました。
この日のゲストとして?JRゆめ咲線で活躍しているスパイダーマンラッピングの103系も登場。
注目の的で、人集りも凄いものでした。そして、乗務員室の窓からはスパイダーマンが??
スパイダーマンは本当に自由な感じで車内を動き回り、ファンサービスしていましたウインク
そして、注目のゲストのもう一つはこちらキラキラ
EF58-150。今は京都鉄道博物館に保存されていますが、この頃はまだ本線を運行出来る状態でイベント時には、こうやってあちこちで展示されるのはもちろん、客車を牽引して運行もされていました。
格好良い、“はと”のヘッドマークを装着しています。
そしてこちらキラキラマイテ49-2
マイテ49も最近、京都鉄道博物館に入ってしまいましたが、本線運行される客車でありました。
もともと一度廃車となり弁天町にあった交通科学博物館で展示されており、私も弁天町で見たことはあるものの、子供の頃の私にとっては“単なる古いやつ”くらいで、そんなに興味があるものではありませんでした魂
それが昭和62年春、国鉄からJRになると言う直前で車籍が復活しこのときに至るわけであります。
その後、阪和線から紀勢本線(現在のきのくに線)への臨時快速とかでも使用されており、今思えば、良い時代だったなぁと思う次第であります。
ちなみにこの写真、人や警備員さんが多く入り込んでいたので、初めて処理を利用してみました。まあまあ良い感じの写真となりましたが、まぁ、これはこれでって感じですね。

他にも103系や281系も展示されていたようなのですが、何故か撮影したのはこれだけでした。
あー、勿体ないてへぺろ