青森旅行のブログのときに再三にわたり出てきた『25年前』の言葉。
昔の記憶を思い起こすべく、仕舞っていたアルバムを引っ張り出して来たら、懐かしい写真が出てきましたびっくり
その25年前(正確には26年前)に青森県方面に向かったときの写真です。
1996年8月3日から青春18きっぷを使って、東北~青森、函館に行ったようです。
時間を有効に使うため、大垣からムーンライトながらで東京へ。
昼間は紀伊半島一周と名松線を回ったのではないかと思いますが、写真がありませんでした。
東京から山手線、東北本線を乗り継ぎ北上。
途中、郡山から福島までは乗り入れて来ていた阿武隈急行の8100系に乗った記憶がうっすらとあります。
この車両のデザインが好きだったので、テンションが上がっていた記憶もあります・・・
その後は小牛田から石巻線、気仙沼線を乗り継ぎ気仙沼へ。
気仙沼は昔読んだ鉄道雑誌に気仙沼線開業のときの乗車記事(きっと鉄道ジャーナルの列車追跡シリーズではないかと思うのですが)で、心引かれるものがあって、訪問先の1つに入れたと思います。
気仙沼で1泊し翌日は快晴。真夏ではあるものの、東北と言うこともあるのか、夏の日差しが照り付けはいるものの、カラッと乾燥した感じで駅は涼しい風が吹いており、ホームの軒に飾られた風鈴の音が心地よかったのを覚えています。
そしてもう一つ。
これは今でも車体に貼られているかと思いますが、“ドラゴンレール大船渡線”のステッカーが印象的でありましたニヤリ
気仙沼から乗った列車は、ロングシート部分に座れたもの混雑しており、外の景色を見ることが出来ませんでしたびっくり
大船渡線を北進し盛へ。
盛からは三陸鉄道南リアス線で釜石へと進みます。
今でこそ盛~釜石~宮古~久慈まで全てが三陸鉄道となって繋がっていますが、この頃の三陸鉄道は釜石~宮古はJR山田線であり、三陸鉄道は南リアス線と北リアス線に分かれていました。
ここまでも含めて写真と駅名があっているかちょっと怪しいところではありますが、釜石からは山田線で宮古を経由しまして、盛岡に向かい1泊しています。
盛岡は友人と何度か訪れていまして、夜は盛岡冷麺を毎回食べていたことも懐かしい思い出であります。

翌日は東北本線を青森まで進みますが、途中、普通列車だけだと乗り継ぎが悪くなり八戸から野辺地まで特急はつかりに乗ったような・・・ここ重要ですが、写真がないアセアセ
今みたいにデジカメで好きなだけ写真を撮れる訳でも無かったので、撮らなかったのかともやもや
青森駅前。
今でも青函連絡船の八甲田丸がメモリアルシップとして繋留されています。
が、キハ58も展示されているのかはわかりません。
先日近くまで行ったのですが、お土産を買って時間がギリギリであったため、立ち寄らずでありました魂

煙突部分にはJNRマークが描かれています。

青森で周辺散策した後、津軽線で青森から直通の三厩
行きに乗りまして三厩駅、龍飛崎に向かっています。 先日のブログの25年前はこの時の話であります。
こちら三厩から戻ってきて函館へ向かう際に乗り換えたときの写真。
本当は三厩発青森行き気動車で蟹田へ向かい、10分ほどの待ち合わせで函館行き快速海峡に乗り換える予定でしたが、三厩から乗った青森行きが遅れまして、蟹田で接続するはずの快速海峡が目の前で出ていくと言うことにハッ
本数もそんなにないので、絶対に接続待ちをすると思っていたのに・・・
結局1時間ほど待ちまして、次の快速海峡に乗ります。 
今では営業運転している姿を見ることが出来ませんが、青函トンネル専用の牽引機ED79を先頭に、50系客車が連なっています。
最後尾はこんな感じ。青函トンネルに入ったところです。一番後ろにいて写真を撮っていたら車掌さんに話しかけられたのも良い思い出です。
まだまだ色んな意味でおおらかな時代でしたニヤリ
こちら快速海峡車内に設置された青函トンネル内の走行位置案内。
予定通りの列車に乗っていたら、増発用の14系客車でしたが、このような装置がついているのは、快速海峡用に改造された50系客車だけの設備。接続出来なかったことが良かったのかも知れません照れ
吉岡海底駅を通過。
函館駅に到着後に撮影。
オハフ50の文字だけでなく、サボも風情があります。
こちらは青森の八甲田丸と同じように、函館に繋留されている『摩周丸』
そして函館駅。

函館で1泊しまして朝市を冷やかし、函館市内を観光。函館を楽しみまして夕方には大阪行きの寝台特急“日本海”に乗車しまして、一気に大阪を目指します。この時が初めてのブルートレインおねがい
青函トンネル専用機ED79が据え付けられて、まもなく出発となります。
北海道の函館で見る“大阪”が不思議な感じに思います。