不要不急の外出は控え、鉄分補給云々も言ってはいられないのは当然のことであります。
今回も過去のアルバムの中からの話題となります。

昭和60年11月1日にデビューした特急サザン。
運転開始当日は平日。
今であればダイヤ改正ともども休日となるのでしょうが・・・
学校終わりに友だち5人と泉佐野駅に見に行ったのを覚えています。
デビュー前まで全車両座席指定(10000系のみ)のイラストポスターだけしか情報が無かった私は、7100系と連結していることにショック(格好悪いと思った)だった記憶がありますガーン
今思えば、斬新なアイデアであり、名鉄やAシートなどに通ずるものであると思っています。
もちろん格好悪いなんて思っていませんよ照れ??
ちなみにこの日はデビューして10日後の日曜日、祖父、祖母、家族でサザンに乗りに行った日の写真です。
自由席側7100系。この当時の4両は幌やジャンパ栓が取り付けられておらずスッキリした印象です。
ちなみに10000系も7100系と連結した一部座席指定の時は前面方向幕は【特急】表示で側面のみ【特急サザン】表示でした。
7100系も含めて【特急サザン】表示になるのは、だいぶ後の話・・・何故なのかはよくわかりません。
あくまで私的見解ですが、当初のサザンは10000系に対する名称だったのかなと・・・
こちらは同じ日に撮影をした22000系。
方向幕は【急 | 高野山】。まだ高野山極楽橋と言う表示ではありません。
ホームのカラーテレビを使った行き先案内も懐かしい限りです。
表示される時、優等列車は赤地、普通は緑地に白文字。
文字は左側からジワジワと表示されていく(この表現でわかるでしょうか・・・)のを見て、格好良く思ったのも良い思いでですニヤリ
なんば駅南口に並ぶ案内表示。
ビッグパタパタ、そして現在はLCDと表示装置は変わって行きましたが、この位置にそれぞれ設置されています。
昔はこの出発時刻でしたねぇニヤリ懐かしい~
00急行、03普通、12特急、15-急行-、17普通・・・高石行きもこの頃は健在ですびっくり
さすがに浜寺公園行きはもう無くなっていたでしょうか。
ちなみに、なんば駅中央口改札外にあった喫茶店の店内にもこれの小さい版が置かれていたような・・・

ここからの写真は日にち関係なく緑の南海電車で進めます。
9000系に地平時代の泉佐野。
上りホームのなんば方より撮影。

やはり9000系は緑の帯だけのシンプルな感じが似合っていると思うのは私だけでしょうか。
ステンレスカーも去ることながら、横軸2ハンドルにスタフ差しも一体化された運転台と本当に格好良い車両でした。
8両運転もまだされていないことから、電気連結噐は外されています。
ちなみに写真の9505Fは今年マイトレイン仕様に更新されました。
9507F。
泉佐野の下りホームの和歌山市方で撮影。
泉佐野駅は下りホームの和歌山市方先端にトイレがあり、業務用のような細い通路で結ばれており、そこから撮影をすればこの様な構図になります。
今思えば、もっと撮りようがあったのになぁと・・・ショボーン
一時的に9507が6両編成で急行に充当されていました。
デビューから暫くは4両と言うことで普通車運用しかないことから、よく泉佐野からなんばまで1時間普通車に乗って9000系を楽しんでいましたが、急行運用に付くとあって、嬉しかったのを覚えています。
ちなみに9507Fは9509Fの増備を待って4両になっています。
今は9511Fと9513Fが6両固定となっていますが、一時期9511Fではなく、9501Fが6両の時もありました。
(⬅️なんば方9501-9001-9002-9011-9012-9502と言う組成だったかと)
7000系未更新車。
方向幕もなく原型に近い車両。
検査上がりでとても綺麗だったので、撮影をしたかと。
まだまだ冷房化率が低かったため、普通車と言えば専ら7000系。
夏はかなり暑かったタラーたまに7100が来ると嬉しく思いました。
その7000系が更新と同時に冷房化されました。

7100系【-急-|淡路号なんば】表示。
7961Fほか6両。写真をじっくりみただけなので、手前の番号しかわかりませんでした・・・
7954Fと思います。
泉佐野始発か羽倉崎始発か、はたまた和歌山市まで延長運転をした分かはわかりませんが、白線急行です。
和歌山競輪か岸和田競輪開催日か多客期輸送のためか、その頃よくわかっていないのですが、泉佐野や羽倉崎行きの急行を和歌山市まで延長運転しているときがあり、確か延長する急行については和歌山市行き表示でも【-急-】表示、通常の和歌山市行きは春木に臨時停車であっても【急】表示立ったように思います。
こちらは車掌も乗っていないので、確実に泉佐野始発だと。7962Fの急行。
この頃は専ら入場券で駅に入り、友人たちとずーっと電車を見ていました。
おかげで泉佐野の駅長さん以下、駅員さんに覚えられており、話も何度かした記憶もあります。
今でも、他の駅でその当時の駅員さんをお見かけすることがありますが、さすがにこちらからお声かけするのも恥ずかしく、そのまま通過するだけでありますが・・・
10000系。10902F。
この頃は特急サザン座席指定券は売り切れが多く、1年で100万人が乗車するなど大盛況でありました。
当初は予備車なしで運用されていましたが、後に2次車が投入されると、多客期などには写真のように日中に全車両座席指定の臨時サザンが運転されるようにもなりました。
朝と夜にしか運転されない全車両座席指定のサザンを見るには子供の頃の私には難しい時間帯であっただけに、この臨時サザンは嬉しい存在でありましたルンルン
ちなみにこの頃の南海電鉄はサザン推しで、『特急サザン100万人クイズ』なるものも開催されていました。
こちら駅のホームに設置されていた座席指定券販売機。
出発20分前からの発売開始で、座席指定料金(1人400円)を投入し、降車駅のボタンを押すだけ。
1回で2名まで購入が可能でした。
その販売機から出てくる座席指定券がこちら。
ちなみにこちらは駅窓口で発券されるタイプ
手売りタイプ。
ラッシュ時や利用者が多い時間帯に駅員が券売機の前で机を出して発売していました。
こちらは泉佐野の定期券売り場(南海国際旅行委託)で購入した座席指定券。
最後は旧1000系。
もっといっぱい写真を撮っておけば良かったと思いますが、この当時、気持ちはサザン一色で、これもボロい電車の括りだったかと思います。
この時はさよなら四国号を撮影するためではなく、偶然に来たので撮影をしたかとびっくり

写真容量の関係で今回はここまでであります。
失礼いたしました。