昭和62年4月国鉄が分割民営化され、JR各社はアピールするかのようにあちこちでイベントを開催しておりました。
鉄道ファンからすると本当に楽しいときでありました。
現在外出自粛要請となっていることもあり、昭和63年日根野電車区(現在の吹田総合車両所日根野支区)で開催された“電車大集GO2”の時の写真を掲載したいと思います。
左からクモヤ90、クモル145、123、205、165、381、113、103。
写真では切れていますが、103系の横にはクモヤ145系が並べられています。
まだこの頃のイベントはそんなに人が殺到することもなく、のんびりした雰囲気に包まれていました。
イベント自体手作り感満載でありますが、JRに掛ける意気込みを感じたものであります。
ちなみに縁日なども出ており全てJR職員によるもの。金魚すくいなど行列もなく、最後は金魚を大量に持って帰れとばかりに、全く破れないポイで掬ったのを覚えています。
381系国鉄色と113系阪和色。それも113系はデカ目ライトおねがい
確か、全体が写せるようにロープがかなり手前に引かれていたのですが、時間を追うごとに少しずつ奥へとロープの位置を変えてくれ、最後はこのように近くまで行けたと思います。
205系と165系。
リクエストにより方向幕を変えてくれ、205系は【快速加茂】になっています。
耳の記憶では、誰かが『うぉー、快速加茂行きや』と言っていたのを覚えています。
103系とクモヤ145系
左からクモヤ90、クモル145、123系
123系は国鉄末期に荷物電車を改造して1両単行でも走行出来る電車として閑散区間などに投入された車両で、阪和線では羽衣支線に投入されるとあり、心踊らせましたが扉は荷物用電車の位置のままで、少し窪んだ感じ、前面は貫通型と他の路線よ123系と違って簡単な改造だっただけにガッカリした記憶があります。
Wikipediaによりとクモニ143系を種車としており、この3本を並べたのには意味があったのかなぁと今になって思います。
こちらは『特急しらはま』のヘッドマークを掲げてくれました。
後から入線してきて、見学が始まることは、安全面からも今ではあまりないのではないでしょうか?
クモヤ145系の横に381系が入線。
係員によって梯子が掛けられ、運転席見学が始まりました。
極め付きはこちらキラキラクモヤ90びっくり
事業用車として長い間、日根野電車区にいた記憶が・・・
学校区外に出てはいけないと言う暗黙の了解??みたいなものも気にせず、友人とよく日根野まで自転車に乗って電車を見に行っていました。
日根野電車区の外周道路からフェンス越しにクモヤ90の姿を見ていました。
確かに一番東側のところにいたような・・・
その頃は単なるボロい電車とだけしか思いませんでしたが、今思えば・・・
こちらクモヤ90の車内。
覚えていないのですが、確か構内を乗車体験出来たような・・・
今であればきっちり撮影をしたりするのですが、この頃の私はまだ旧型車にそんなに興味がなく、ここまでであります。
ヘッドマーク。
一番右の“電車大集GO”は第一回目、国鉄時代に事前募集の形で行われ、確か485系が専用電車として運転された際に取り付けられたものかと。
きっちりJR西日本に書き換えられていますが・・・

こんな感じで少しずつ鉄分を放出出来たらと思いますので、宜しければお付き合い下さい。