ゆっくりと、

ゆっくりとですが、

心のリハビリをしているんだということを、

飼い主様に理解してもらいながらトレーニングを進めているペアがいます。



一方では、

年を重ねて体のケアが必要になってきた犬たちの飼い主様との関わりもあります。


私にとって、

対象が心であろうが、体であろうが、

犬たちから聞く言葉はさほど変わらないのです。


今をいきる


毎日という時間の質をどれだけ心地よく快適に感じられるか。

飼い主さまとの間にある絆を感じられるか。


結局外側を剥がして本質にすると、
これだけが残るのです。


飼い主さまは愛犬を見すぎるがゆえに、

心配し、
出来るには限りがある気がして傷付き、
心も体も疲れてしまうことがある。

相手を見すぎて、自分に気が付かなくなる。


でもね、

そんな飼い主さまを犬達は見ている。

犬たちにとっての大切な相手は飼い主さまだから。


リハビリってね、
犬にさせるものではないのです。


二人三脚みたいなもので、
結局はペアが体験する絆の深さを感じるためのアトラクション。

犬は今を生きていて、
アトラクションに生きることは少ない。
飼い主さまが望まなければ、
その日その日を変わらず生きる。


だから、
飼い主さまが今日の愛犬が昨日の愛犬とどれだけ違おうが、今日の愛犬として受け入れる勇気が試される。

リハビリは治すために行うものだ。

と、決めている人がいたとしても、
それは犬次第だし、運命次第かもしれない。

私たち人が出来るのは、
選択できる限りに愛犬との間で今日何を望むか?

その積み重ねの未来が期待通りじゃなくても、積み重ねた時間と愛犬と過ごした日々の絆がなかったことになることはない。

そこをリハビリに専念しすぎて見失うのは、誰にでもあること。

例外なく、誰にでも!


私はトレーニングという名目のもと、
人と犬の間に寄り添うときには、
シンプルにいつも、
人が愛犬と今を愛し合えるために行うことがほとんどだ。


生きているだけで、

共にいられることだけで、


毎日ドラマチックなのです。


リハビリは自分のためにしていること。

愛の表現のひとつだ。


犬たちがケアを必要とすることなのに、
自己満足だといってるんじゃなくて、

自分のためにリハビリをすることが、
結局は犬たちが今を生きていることを尊重しながら、寄り添えることに繋がる。

愛犬のためのリハビリは、
時に飼い主さまが自分をないがしろにする。

感じてることも、

体の疲労も。

それが違うんだ。


飼い主さまが愛犬に元気で幸せでいてほしいと望んでいるのと同じ気持ちを、

愛犬が飼い主さまへ向けていることを忘れてはいけない。


リハビリは、

共に歩む1日1日の過ごし方の変化があって変更するだけなんだから。


不幸なことでも悲しいことでもない。


何かをしなければならない!

そんな愛情表現に自分が傾いたときには、
あなたと愛犬の間に変わらずあり続けるものを思い出してほしいなと思います。

生きているということは、

下り坂もあるものです。

共に歩んでくれるなら、
そんな日も幸せなんだよ!

という愛犬たちがささやく思いがあることに耳を傾けてください。

目標ができたとき、
人は頑張ばることで意味を見いだそうとするけれど、今この瞬間を置き忘れて未来を見すぎてしまうから、愛犬たちは寂しがる。


そんな事実を、

犬たちからよく聞くので書いてみました。

今日もあなたと愛犬の1日が共に幸せな時間となりますよーに。