犬育には、段階があります。
犬育をしようとする飼い主さまの方にも理解の順序って言うのがあります。
ここを把握していないと、善悪のジャッジが牙をむく。
段階によって選ぶ手段が変わったとき、
自分が180度ま逆の選択をすることに抵抗が芽生えるから。
今日はそこを上手に切り抜けるためのお話です。
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今担当している飼い主さまのトレーニングでは、
「緩める」
「手放す」
というテーマを取り組んでもらっていて、
ふたつのことを意識しながら愛犬と歩き、
自分が感じることを言葉に出せた段階で初めて緩めたり、手放せる。
でもね、
飼い主さまは昨日まで「どれだけコンロールできるか」の練習をしていたのです。
え!?緩める???
えええ!!?手放す?
って困惑します。
犬の気持ちを考えず、とにかく自分本位に立ってね!と言われ続けていたのに、
今日からは犬にコントロールを使わないでハンドリングしてね!と言われたら...
ニコニコはしないです。
結構な割合で悲しい顔になるか、口がへの字になる。
ブログを読んでいる読者さまには...
一体なにが、どうなっているかわからないんですが、
受けている飼い主さまは体験してみると合点が行くんです。
さてさて、私側のお話。
私から見て一番大事にするのは、
相手の感じている気持ちを全部受け止めることです。
途中で話を折らないこと、
相手の話を非難しないこと、
感じたことを出しても良いと安心できること。
ここが大事だから。
飼い主さまは自分を非難し、ジャッジし、否定します。
もしくは、愛犬を非難し、ジャッジし、否定するって表現も同じです。
時には練習内容の切り代わりへの困惑も含まれます。
前回の記事で「遊ぶこと」「楽しむこと」に触れたのは、
遊びや楽しむことに規制はなくて自由なことなんだと感じやすいから。
その自由なことだって思えていることから愛犬と関係を持つことが、
自然と自分や愛犬への非難(正しくないんじゃないか?っていう疑念)を持たないコミュニケーションを体験しやすいから。
練習を通じて、
最終的に「遊べる自分」に帰ることがゴールです。
最初に入り口だった「遊ぶこと」が最後に辿り着くゴールです。
ここまで読んで...
あべこべな話に湧いて来た気持ち。
わからない!とか、
なにそれ?みたいな。
そう、それこそが書きたかったこと。
読んで感じてほしかった気持ち。
あべこべなんですよ、
こうしたら、こういう結果になる...が通用することもあれば、ならないこともある。
生きものが相手の時、
筋が通らないことなんて山ほどあるのです。
だからこそ、
臨機応変に、その場に合せて、その時に合せていける柔軟さが必要になる。
世間の正しさ(正しさだって自分が決めたこと)を手放す。
世間の正しさだと思っていたはずなのに、その正しさを生きない人も動物もいる。
そうか〜って受け止められること。
そこから、
自分は愛犬との関係に何を今選ぶかな?と意識を止めることなく続けられること。
柳のように柔軟に...
自分という軸を見つけて初めて揺れることができる。
自分を客観的に見られるようになったらコントロールを手放して、
犬達の揺れや変化を客観的に見る練習。
犬育にセオリーを作ってはいけない。
犬育は、変化ありきのものです。
何を育むか?
いつもそれを根っこに、あとは柔軟に。
あなたが何を感じようが、
愛犬が何を感じてるように見えようが、
感じる本人の自由意志です。
非難を持ち込むと枯れてしまう多さを体験するんじゃなく、
互いの違いを分かち合うことで新たに生み出す喜びをぜひ選んでみてください