2026年、明けましておめでとうございます。

 

昨年11月から今年3月末まで約5か月ベトナムに滞在した時、

ろくに手当てが払えなかったのに、献身的に私に尽くしてくれた2人、

ルンさんとコアさんにお年玉を送りました。

(人様にお年玉を送るような身分ではないのですが)

 

 

◆ルンさん

ルンさんは2011年からの知り合い。

実はルンさんは夏に一度、「金がない。少しだけでいいので貸してくれないか」と言ってきたが、月末で私もまったくお金がなく断った。(所持金が500円を切り、途方に暮れた日にもらった連絡だった。恥)

だからずっと申し訳なく、常に彼が生きているか気になっていて毎月、「生きてるか?」と送り続けてきた。

 

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◆コアさん

もう一人のコアさんは、2016年までホーチミンで私が副業としてホテルの経営をしていたときに、受付のリーダーをやっていた。

今回、昨年11月からのベトナム滞在時はやろうとした事業のスタッフ募集の面接同席や、家探しや様々なものの買い出しなど、彼の家庭での役目(子供の学校送り迎えなど)が色々ある中、ブンタウというところから毎度バスでホーチミンまで通ってきてくれた。

 

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私の入社半年のボーナスから思い切って奮発して送った。

(お金持ちの人からすると普通の額かもしれないが)

 

サプライズは驚くくらいでないと意味がない。(笑)

 

 

 

二人が「happy」と言ってくれたので良かった。

送金に協力してくれたホーチミンのNさん一家にも感謝。

ちょっとサンタさんになった気分。

 

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2025年を表す漢字

 

みなさんこんにちは!

2025年の漢字は「熊」だそうですが、

 

私がこの1年を振り返り、漢字1文字で表すとしたら、

「変」

を選びます。

 

タイトルの通り、「変わる」という意味です。

 

人間は変わりたがらない生き物ですが、

でもそれはあくまでなかなか変わろうとしないというだけで、

目的があり、その達成に向けた道筋に納得すれば変化することができる。

 

日々の生き方、場面場面でのちょっとした選択を変えることができ、

その積み重ねによって、結果、パフォーマンスに劇的な変化をもたらすことができる。

 

 

 

 

生徒たちに起きた変化

 

3月末にベトナムから帰国。

4月末からとある進学塾で勤務するようになり、

校舎ではたくさんの変化を起こすことができました。

 

いくつか例を挙げましょう。。。

 

(1)心が折れてしまった受験生

外部模試で惨憺たる成績だった時、

あるいは

友達に遊びに誘われたりした時、

あるいは

部活や運動の習い事などで身体に疲労がたまっている時、、、、などなど

 

大人だって何かを「もう無理」と思うことがあります。

まして相手は10年前後しか生きていない子供たち。

いくら私が折に触れて人間学の薫陶をしていたとしても、

心が折れそうになることがあるのは避けられない。

当たり前のことなんです。

 

小6受験クラスで、昨年そういったことが2回(2人)ありました。

 

そんな状態にさせてしまったのは、一重に私の普段の教えが足りなかったからに他ならず、深く反省すべき点なのは承知していますが、

 

ただそんな時、大人が

「勉強の時間よ。さっさと塾に行きなさい」

「やると決めたんだからやりなさい」

「お父さん、お母さんの期待に応えるためにがんばりなさい」

なんて大人目線のあるべき論をぶつけたところで、

目の前が真っ暗になってしまった子供の心に光が差す訳がないのです。

 

 

その子が塾にやって来ず、保護者の方から「模試がひどい点で、本人が『どうせ合格しない、もう行きたくない』と言ってまして・・・」と電話がかかってきた時、

あるいは

もう一人の生徒が母親と塾に来て、目を真っ赤にして「もう塾を辞めたいです!友達と遊びたいです!」と言ってきた時、

私がとった対応・声かけは、今となっては私にとって当たり前のことでしたが、おそらく塾業界の常識とは異なるものでした。

咄嗟、瞬時にそのような対応が取れる塾講師はそう多くないと確信します。(私の前職の上司を除いて)

 

結果、2人はすぐに塾に戻ってきた。

いまでは2人とも、目に強い意志の青い炎を静かに燃やしながら、真摯に冬期講習に向き合ってくれています。

 

日々のちょっとした選択時に甘い方ではなく、厳しいが自分のためになる選択をする大切さ、そして頑張っている人のつらさを知った彼らはたとえどこの中学校に行ったとしても、自分への厳しさと同時に周囲への思いやりを忘れず、苦しんでいる人に手を差し伸べてやることのできる素晴らしいリーダーに育っていくと確信しています。

なんとも愛おしい子たちです。

 

 

 

 

(2)「時間がなかった」と宿題忘れ、適当な取り組みを繰り返す生徒

宿題を出しても「時間がなかった」とか「忘れていました」とやってこない生徒たち。

⇒今では宿題忘れはゼロ。完全になくなりました。

 

毎回同じ言い訳で2回、3回と宿題忘れを繰り返し、私に一喝され涙し、その後「生き方」をほんの少しだけ変革させてくれた結果、成績が爆上がりした生徒さんがうちの校舎には多数います。

 

それはただ一喝しただけでなく、

・なぜ自分がやらなかったか(その心のメカニズム)、

・自分に甘くすることがどういう結果になるか

・自分の周りの頑張っている人、頑張れない人を思い浮かべてみること

などを繰り返し、形を変えながら話して聞かせたことが奏功したのだと思っています。

 

ただ勉強習慣を強制(←教育現場あるある)したのではなく、

子供たちに日々の努力の大切さを説き、彼らが納得してくれ、

さらに変化が定着するまで粘り強く、暖かく声をかけ続けたからこそです。

 

 

 

 

 

(3)定期テストの準備がずさんな中学生たち

私の着任当初、定期テストの勉強は範囲が発表される1週間前からで、やるのも学校のワークをなんとか1回通りといった生徒たちがたくさんいました。まぁ、宿題への取り組み方を見れば推して知るべしなのですが。

⇒今では平素からワークを進め、2~3週間前からギアを上げてワークは2周、3周やるのが当たり前という空気になりました。

 

 

「準備は早く始めろよー」「1回だけなく繰り返しやるんだぞー」と生徒に言うだけなら、ちょっと気の効いた学校の先生でも塾の先生でも誰もが言うだろう。

・・・でも生徒は変わらない。変わるわけがない。

そして先生は「やれって言ったんだけどなー。あいつダメだなー」と生徒の責任にする。・・・クソ先生です。(笑)

 

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(4)先生を変える、保護者(親)を変える、自分を変える

生徒、子供たちだけではない。大人についても、

人から「〇〇やった方がいいよ」と勧められて日々の生き方のルーチンを変える大人がどれだけいるか。

 

・・・断言できる。ほぼ皆無だ。

 

なのになぜ子供には一度言えばやる、やり方を変えると思うのだろうか。

そんな大人、指導者、虫が良すぎないか。

 

本当に生徒のことを思うならば、生徒がやる気になるまで話してやり、そして実際に変化が定着するまで、親心をもって粘り強く、強制にならないよう、声をかけ励まし、背中に手を添え続けなけらばならない。

 

 

言い方を変えると、、

要するに1日8時間だけ生徒や校舎のことを考えるのでは全然足りない。家で休みの日も風呂の中でも布団の中でも24時間考えていないと人の生き方を変えることなんて叶わないということです。(少々極論ですが。)

 

 

でもそれができない先生が本当に多い。学校も塾も。

 

なぜなら先生たちも自分のこと、自分の時間が大切だからだろう。

人間だから、所詮自分が大事なのはわかる。

 

でも人を育てるということは、相手の生き方(勉強習慣、日々の選択、考え方)を変えることに通じる。

大変な作業である。

親も同じで、自分のことよりも子供、生徒のためを考え抜かねば、

相手がどう感じているかその気持ちを汲み取り、

自分の人生の時間を捧げるくらい考えて子供に声をかけ、接し、励ましていかねばならないのは、親になった経験のある人なら当然にわかるはずだと私は思う。

(私は毎朝テニスの早朝練習を2~3時間やりますが、その行き帰りの自転車に乗っている最中も、コートにいてラケットを握っているときも頻繁に生徒やその日の授業のことを考えています。夜、夢でもよく見ます。正味1日20時間前後は子供たちのことを考えています。これは決して大げさな話ではなく、そんな経営者、部門責任者たちにたくさんお会いしてきました。本当に部門を伸ばすリーダー(塾で言えば校長)は1日24時間考えている。)

 

 

・・・でもできない先生が多い。よくて勉強の知識を浅く表面的に語っているに過ぎない。そんなことで生徒の生き方は変わらない。それだけならAIでもYoutubeでも事足りる。

 

そんなAI先生は、いざという時に自分を優先し、できない生徒の理由を生徒のせいにする。

違うだろう。生徒ができないのは、すべて教える側の責任である。

 

 

私は長い間、こういう先生、リーダー(人を導く立場にいるのに、できていない、「自分が大事」という人)を見るとほっておけずついストレートな一言を投げつけてきた。そしてそのほとんどが反発しか生まなかった。

前職では最初の上司にそれをやろうとし、陰口をたたかれ続け、苛め抜かれた。

まぁ部下が上司にかみつけば、そうなるのが世の常で、悪いのは生意気な部下となる。

 

 

 

・・・そういう「行き過ぎた正義感」、これは父親譲りなのだろうと思う。

父も岡山県内の著名な医師を叱咤、指導していたと聞く。(父の葬儀でご本人たちから聞いた。私も子供の頃、その光景を幾度も目にした覚えがある)

 

 

昨年は1年間の中で、これ(正義感の直球)がかなり抑えられるようになってきた。

帰国当初は相変わらず直球を投げていたが、夏ころから「このままではいかん」と気付き、他の先生に接するときも子供に接するときと同じように、相手の気持ちを尊重した上で変化球を投げられるように少しずつなってきた。

 

 

自分の子供のことをダメ出しし、子供が家で勉強しない様子、学校成績が上がらない状況をすべて子供のせいにして、そのやる気をそぐ言葉を投げかけていた保護者に対する話し方も変わった。

「お母さんが子供の頃、親からそんな風に言われたらどうでした?」とか

「職場で上司からそんな風に上から全否定されたらどうです?やる気でます?」

ワンクッション入れられるようになった。

面談で涙し、気づいてくれた素晴らしい保護者は1人や2人ではない。その後2~3か月でお子さんの成績は爆上がりした。当然だ。

 

 

これが昨年、私に起きた大きな変化の一つです。

 

これができるようになってから、私が現在一番身近に接している先生にも大きな変化、劇的な意識改革が起こりつつある。

そのおかげで、例年は問い合わせや入塾がほぼないこの時期に、破格の数の生徒さんからの問い合わせや入塾が続いている。

地域に口コミで評判が広がりつつあるのを確かに感じる。問い合わせのすべてが友人、その保護者からの紹介だからだ。

 

 

 

(5)自分を変える/その②

人に対する接し方だけではない。

自分の日々の生き方にも大きな変化を起こすことができた。

 

具体的に書くことは差し控えるが、

58年生きてきて本当にできなかったこと(「ボンボン育ちのせいで」と言うと少しヒントになるでしょうか)が昨年後半からできるようになった。

日々のちょっとした場面での選択を180度変えることが意識的にできるようになった。

 

↓今日の自炊。値引きしてた和牛を使った肉じゃが

 

 

 

 

この肉質(サシ)!

200gで700円は和牛にしては破格と思って衝動買い。

 

 

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同じ生き方をしていれば、同じ結果が出るのは当たり前。

多くの人間は、同じようなミス、過ちを繰り返しているはず。

それは同じ生き方をしているから。

 

でも少しでも生き方、日々の選択に「変」を起こすことができれば、

人生は新しい道筋(ルート)を進みだす。ドラマチックに。

 

 

これを人に指南していく。

 

---父から授かった私の天職だと思っています。

 

 

↑中3受験生、高校生に面談で渡している資料の1ページ。

 

 

◆私は友人が少ないことについて

 

私のわがままな性格と、おそらく何かの発達障害(人の気持ちを汲み取れなかった)のため、小学校、中学、高校と真に理解しあえる親友と呼べる存在はできなかった。

 

18歳になり精神年齢がわずかに成長したおかげか、

人生を振り返って私が「親友」と認定している人は大学時代以降しか存在しない。

 

 

まぁ、私って客観的に見て、生まれてくる時代を間違えたかのようなある種の「変人」ですからね。

私の傍若無人ぶりを許容してくれる人が高校時代まではいなかったのだと思います。

いずれにしても、友人の少なさは私のぶっとびっぷりの当然の結果だと、そのことは認めております。(笑)

 

 

 

◆大学で得た盟友

 

小学校時代岡山で育ち、四国・愛媛の進学校を受験し寮生活。

大学で初めて東京に出た私が入部してしまった、大学の華麗なカラーとマッチしているとは言い難い<超体育会系テニスサークル>で私は何人かの親友を得るに至った。

 

テニスのイメージとは程遠い厳しい練習の中で共に励まし応援し合い、

執行学年ではそれぞれの立場でサークルを支えてきた仲間たちは私の中では「同志」であった。

 

 

その同期の中で、

3年生の時に私が主将(キャプテン)で彼がマネージャを務め、共にサークル約120名を率いて、

大学5年の時にはダブルスでペアも組んだし、

試合の前にはいつも彼の実家に泊めてもらいご両親にも大変お世話になった友がいる。

 

社会人になり彼は長くアメリカで活躍しており、私がベトナムで結婚式をした時はわざわざ地球の裏側から祝いに駆けつけてくれた。

 

 

 

【盟友】という言葉がある。

ネットで調べてみたら

「友情を誓った友」「固く誓い合った友人、同志」とある。

 

うーん。そこまで重いニュアンスを求めていない。

検索を進めるとこんな表現に出会った。

 

「よいことも悪いことも一緒に体験した関係のこと」

「苦楽を共にした戦友、生死を共にした友」「チームメイト」

と。

うん。これに近いかな。別に生死を共にした訳ではないけど。笑

 


さらにこんなのも見つけた。

 

「漠とした一点を共有している者同士のこと」

 

これだ!これが一番しっくりいった。

 

 

 

その彼が、ご親族のお見舞いでアメリカから1週間だけ帰国するという。

東京ではタイミングのあった同期が集まるとLINEで連絡が来た。

 

最初は「受験を来月に控えた生徒たちもいるし、今仕事は休めないよな」と我関せずのスタンスを決めていたが、

ふと

「お互いいい歳だし、このチャンスを逃したら彼ともう会うことはないかもしれない」

と考えを改め、上司に有給休暇を取れないかそれとなく聞いてみたら快諾してくれた。

 

急遽1泊2日の東京行きを決めた。

東京は1年半ぶりだ。

山手線。学生時代から比べたらホームには電動の柵ができたり、灰皿が無くなったり。(当たり前ですが)

何より3〜5分に1本電車が来るのは岡山では有り得ない未来都市のよう。笑


まあ、人が多いこと。


銀座。


 

宴席に集まる面々、一人ひとりと乗り越えた苦楽があった。

そんなことが一つひとつ思い起こされた。


それぞれが違う人生、異なる価値観を持っていまを生きている。

同じ目的や利害関係がベースとなっている仕事上のつきあいとは別世界のものだ。



確かに共有した時間はあった。

何が、なぜ「漠」なのだろう。



僕はこう考えた。


学生時代にあのテニスサークルで、一緒に過ごした時間そのものは、確かに存在した。


でもその時間の中に当事者である僕たちが見出し、価値を感じたものを言語化して定義しようとすると、それはものすごく難しく、また人それぞれ異なるワードが出てきたりして、明確な定義は一つに絞れない。



別の例で考えると、同じ映画を観たり同じ小説を読んだりしても、人によって受け止め方は異なるということ。そうですよね?

小学生に人間学の話を読んでもらい、書かれた感想文はまさに虹色玉虫色です。「こう書くべきだ!」と生徒に押し付けるような人間は先生、指導者になってはならない。




話を戻します。

でもそれぞれが何かあの時間から得た確かな価値を胸に抱いているからそのつながり(同窓会とか同期会みたいな)が続くんだろう。


例えその価値が、人によって漠として言語化されていなくても、

あるいは言語化したとして、人によって違ったとしても。


自分にとってそこには確実に、自分が価値を感じた何かがある。


だから集まると、触れると、心地よい。

でもお互いが感じている心地よさは、人それぞれ異なる玉虫色ということだ。




一見すると、冷めた意見に見えるかも?



そんなことない。

人それぞれ感じ方が異なるのは、先述の映画や小説でも、性行為だって当たり前。


そこで相手に「同じものを同じように感じてくれよ」なんて求める方が無茶というもの。発達障害で人の気持ちや考えを汲み取れなかった頃の自分と同じだ。



相手の価値観、受け止め方を理解、尊重できるからこその「漠」という表現なのだ。




さて、

会うと約40年前の学生時代が一瞬で戻ってきた。

あの頃私が抱いた「思い」がそうさせるのだろう。

「思い」・・・まさに「漠とした一点」。


お互いがそれぞれの思いを確かめ合っている訳だ。


それでいい。


久々に人と食事をした。しかも笑顔で。

おねがい

 

人生には様々な人間関係があるが、

この、利害関係や依存関係は微塵も絡まないが、

漠とした一点を共有しているもの同士の関係・・・【盟友】というのは、

これほどまでに得も言われぬ精神的充足を感じさせてくれ、活力をもたらしてくれることを改めて実感した。

 

 

盟友たちに乾杯。

生きているうちにもう一度会えるといいな。

 


 写真はクレームいただいたら取り下げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!前です。
今日11月23日は岡山のOPTAという結構大きなテニストーナメントの二日目でした。
前日の予選リーグではよいテニスができて勝ち残ったのですが、今日は準決勝で負けてしまいました。
やればやるほど新たな課題、壁にぶち当たります。本当に面白いです。
 
 
テニスでも勉強でも同じです。
『勝ち方』を磨き上げなければ勝てるようにはならない。
何となくボヤッとやって勝ってもそれはたまたまだ。
 
 
そして「勝てば何だっていい」というのも違う。
勝ちたい欲だけの戦いの行き着く先は《戦争》だ。
 
 
【勝ち方】に信念、美学がなくてはならないと僕は考えている。
僕の場合は、「ノータッチエース」だ。
サーブもストロークもいかにノータッチエースを取るかに苦心している。
意図のない「つなぎの返球」には価値を置いていない。
 
 
あとはフェアプレー。
勝っても負けても、死力を尽くした試合の後には相手と認め合い、心が通い合う、そんな勝負をしたいと。

 

今日の対戦相手、Tさん。爽やかな笑顔。

後で気づいたが、今日の敗因は私が自分のテニスに徹しきれなかったことだ。3-1でリードしたところで意識が守りに入り、ただ球を返すだけのラリーをしてしまった。Tさんの鮮やかな攻めに幾度となくやられ5ゲーム連取されての完敗でした。

 

 

 
【テニス】でも、私が塾講師として子どもたちに教えている【勉強】でも、すごく通じる部分があると私は捉えています。
勉強でも、「テストでいい点取りさえすればいい」なんて考えに陥り過ぎると、カンニングとか色んなことが起こり、真の実力はつかない。
努力する過程と考え方が大事なのは、テニスも勉強も同じだ。
 
 
おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい
なぜ人間教育が大事なのか
 
経営コンサル時代に出会い、学んだものです。
 
どんな知識やスキルも、それを使うのは人です。
その人の「人間性」という土台の上に知識、スキルが乗っかっている訳です。
土台である人間性が腐っていたら、どんなに素晴らしい知識を持っていても正しく発揮されることはありません。
 
これだけ読むと、
「どういうこと?」
「そんなことないでしょう?」
「知識やスキルがあれば、強ければ人間性なんてどうでもいいんじゃない?」
と疑問に思う方もきっといるはずです。
世の中には知識や技術力だけをウリにしたりアピールする表現があふれていますから。
 
 
そこで、ちょっとこんな人を想像してみましょう。
 
・知識や技術はあるけど、人間性がひどいお医者さん
 そんなお医者さんに手術をお願いして命を預けられますか?大切な人を任せられますか?
 
・経済や経理システム、会社のお金の流れは熟知しているが、自分のことしか考えない経理部長
 横領(おうりょう)という言葉を知っていますか?会社のお金を不正にいただいちゃう(盗む)ことです。人間性に欠くところがあるからそういうことをやってしまうのでしょう。
 
・核ミサイルのスイッチを握った権力者が、自国のことしか考えなかったら・・・
 貿易戦争、実際の戦争・・・たくさんの人の不幸を招くことになります。
 
 
どれも考えるだけで恐ろしいですよね。
 
 
そう、だから人間性、人間教育が何よりも大事なのです。
 
子どもに限らず、人を育てる現場で働く塾講師や教員も同じ。
 
だって教える側ができていないのに子供に「正しい倫理観を持て」と言っても通じる訳はないですから。
 
笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き
 
 
小学生、中学生くらいの勉強の範囲では、必ずしも子供の人間性と学力、成績が比例しないケースもあります
言葉は悪いですが、意地の悪いいじめっ子が意外と成績が良かったりする場合もあります。
(神童と呼ばれつつも、ジャイアンと出来杉くんを合体したような小学生時代の私のように。恥)
 
 
でも、高い人間性、利他性を有する子供はほぼ間違いなく成績はトップクラスになります。
そりゃあ、やるべきことは手を抜かず真摯にやる。
約束は守る。
わからない友だちが目の前にいたら教えてあげる。これによりさらに理解度が高まる。
謙虚さを持ち現状の自分に満足しないから努力に対して貪欲さを失わない。
 
・・・成績が上がるのは当たり前なんですよ。
 

私の授業では全ての学年で折に触れて道徳、人間学の講義をし感想文を書いてもらっています。子どもたちは、あるべき姿や生き方を考え、見違えるような勉強姿勢になります。

偏差値は当たり前のように上がって行きます。保護者から「以前とは子どもが変わった」と嬉しいお言葉をいただくことがよくあります。

 

私の亡き父(東大医学部卒。岡山の形成外科の始祖と呼ばれ、全国名医全艦という書籍にも名を連ねた)は、私が高校1年の時に、当時全国偏差値70台だった(医学部は十分狙えた)のに、
 
「君は別に医者にならなくてもいいぞ。自分がなりたいと思う好きな道に行けばいい。なりたいと思うものがなければ、どこか適当な大学の理系の学部に行って、そこでやりたい道を探せばいい」
 
と言った。
 
将来について深く考えていなかった私は「ラッキー❤️」と、軽い気持ちで東大の理科Ⅰ類(工学部)を志望校に書いた。
→たとえ偏差値が70超えていてもそんな奴が、全国の神童が血の汗と涙を流し目指す東京大学あるいは国立大学医学部に合格するはずがない。土台が腐っていました。
 
 
今となっては知る術はないが、亡き父は、
「こいつは(この利己的な人間性では)医者になってはならない」
と思ったのではないかと思う。
情けない話だが、かなり確信がある。
 
 
ですから
私が、「人間性教育が必要だ」と言うのは、自分に足りていなかったため、父の言葉の表面づらしか受け取れず失望させてしまったに違いないという悔悟の念からなのです。
自分の人間性が立派だなんてこれっぽっちも思っていないです。
 
 
 
◆まとめ
 
・私の考える、塾のなすべき社会的使命
勉強はあくまで手段。塾が子どもに教えるのは、努力して自分を変化・成長させる成功体験を積ませること。この体験こそが社会、世の中に出て仕事についたときに生徒が輝く原動力となる。
 
・それを実現するために塾講師のあるべき姿、日常生活
生徒に成長するよう指導するなら、自分自身が壁と向き合い、成長する生き方をしていなければ説得力は生まれない。
 
・私の考える、人を惹きつけるテニスプレーヤーのあるべき姿
とにかく相手のことをよく見る。
その結果、相手の弱点やスキをつき、打ち勝とうとするのはもちろんだが、
一方で相手のナイスショット、知略には素直に称賛を送る。
だから戦った後には爽やかな握手ができる。
フェデラーもナダルも国枝慎吾も、そんなプレーヤーに違いない。
 
 
 
爽やかに、全力で
自分を磨きながら生きて行こう。
 
こんにちは!前です。
 
下の写真は、
【中学生の2学期中間テスト前夜の自習室の風景】です。

 

↑授業がない日、テスト勉強の自習に来る生徒たち。えらいですね~。

 

↓この日、ホワイトボードに書いたメッセージです。
右の方(赤字のあたり)、「基準?何これ?どういう意味?」と思った方もいるのでは。(笑)

 

◆ ”基準(限界線)を上げる”とは?

たとえば、前回のテストで数学が50点だった子は、
今回も50点取れるくらいやったところで「よしOK!」と思ってしまうものです。
それがその子の現時点の基準(スタンダード)であり限界線です。
そう、限界線は自分が作っているのです。
 
だからこそ、自分が「よしOK」と思ったところ(今の基準)からもう1回、2回練習を重ねたところが新たな基準という訳です。
こうして自分の「OK!」という基準を上げていくことで、
50点レベルの習得度・実力が
70点レベル→80点レベル→90点レベル・・・と上がっていくのです。
 
 
◆前回1学期期末テストの振り返り
前回、7月の1学期期末テストは、私がこの校舎に赴任してきて初めての定期テストでした。
 
5月に突然やってきた暑苦しい先生(私)から、
◯早く準備を始めろ
◯スラスラできるまで繰り返し反復練習しろ
と言われ、素直にやってくれ数学の点数を爆上げしてくれた生徒たちがいました。
数学が56点も上がった人(40点→96点)もいました。
詳しくは↓参照


 

 

◆生徒それぞれのルーチン(勉強の仕方)・・・それぞれの生き方

 
でも人それぞれ、その子なりの勉強スタイルがあって、
勉強の取り組み方も点数も順位もそれほど変化しなかった子たちもいました。
 
それはそうです。
 
慣れ親しんだやり方、日々の過ごし方・・・ルーチンを変えるのは子どもも大人も簡単にできるものではありません。
 
でもこの仕事は・・・【生徒の成績を上げる】ということは、
ある意味、生徒のルーチン、つまり日々の生き方を変えることに通じる。
 
なぜなら、同じやり方(同じ勉強の仕方)をしていたら、同じ相対順位になるのは当たり前だから。
成績を上げようと思ったら、【やり方】【取り組み方】を変えていかなければならないのだ。
 
 
 
 
◆知識を授けることだけが先生の役割ではない
 
確かに新しい知識を教えていくことも先生の役割の一つですが、
極論を言えばそれは、参考書でもYoutubeほかインターネットでも、タブレットなどICT教材でも事足りる。
 
それによって、新しい知識は確かに増えるのですが、
学年の中での順位を変えることにはつながらない。
だって、学校でも他の塾でも、みんなその新しい知識は勉強するのだから。
 
だから順位(相対順位、偏差値)を上げようと思ったら、
やり方、取り組み方を変えさせて、
知識の完成度、習得度合いに磨きをかけていく以外に方法はないのです。絶対に。
スポーツでも、一つの技を教わって練習するまではどこの部活でもスクールでもみながやる。
勝敗を分けるのはその技をどれだけ磨き上げたかにかかっている。
 
勉強も同じ。
でもその点、その本質に気付いていない先生がいかに多いことか。。。
 
知識をわかりやすく説明するなんてのはやって当たり前のこと。
先生としてのスタートラインでしかない。
でもそれはAIでも、ChatGPTでもできる。
取り組み方をいかに変えさせられるかが塾講師の価値のはずなんです。
 
 
 
◆刺され、言葉!
 
そのために・・・生徒のやり方、取り組み方に変化を起こすために、
私の【贈る言葉】が生徒の心に真に刺さらなければ、
相手の思想、価値観を少しでも揺さぶることができなければ、
人の生活習慣を変えることなんて叶うはずはない。
 
 
言い方だけの問題ではない。
 
生徒からの信頼関係・・・信頼できる先生だと判断してもらえるか。
「前先生の言うようにやってみるか」と思ってもらえるか。
 
・生徒のためを思っているという好意、愛情を言外の視線や言葉遣い、声かけなどからどれだけ伝えられるか
 
にかかっている。
 
 
だから、生徒の望み(「成績を上げたい」、「志望校に合格したい」)をかなえようと思ったら、
やり方を変えるアドバイスを、一度言って伝わらなかったくらいで諦めてはならない。
 
自分の一挙手一投足、ささいな一言、目線に細心の注意を払いながら、
暖かい親心を持って、
相手の心に響くことを念じ、
言い方、接し方を色々変化させながら
伝えに伝え続ける。
 
ここをブラしてはならない。(もちろんブレませんが。(笑))
 
 
・・・という訳で、
今回の2学期中間テストに当たっては、
少し言い方を変えて生徒たちに贈ってきました。
接し方についてはここでは明かしませんが、自分なりに考えて少し変えてきました。
 

↑これはテスト1~2週間前の授業時に書いたもの。

 

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「よしOK!」と思ったところ(今の基準)から
さらにもう1回!(新たな基準)
 
成績は頭の良し悪しではなく、
がんばりの基準(限界線)の勝負だよ。
=====
と。
 
昭和的ですかね。
でもなかなか響いてくれた手ごたえです。
それまで自習室に来たことがなかった生徒が何人も来るようになりました。
(ものすごくうれしいです)
 
テスト前週の授業時にテスト勉強の進み具合を聞いたら、
「今回、過去イチ勉強してます!」と言ってくれた生徒が何人もいました。
過去イチ勉強したのだから、
実際、自己ベストを更新する生徒が何人も出てくるでしょう。
だって質(勉強姿勢)も量(勉強時間)も明らかに上がってきているから。
 
確かに、生徒たちを見ていて1学期期末テストの時より手ごたえがあります。
それは生徒の声だけでなく、
授業中に小テストや発問したときの理解度や、
生徒一人ひとりの表情に浮かぶほのかな自信から確信があります。
 
 
結果が楽しみです。
がんばれ、みな!!!

 

 

 

 

今回は

「人生において

 本当に必要な出会いは、

 必要な場所で、

 早過ぎず遅過ぎず、

 これしかない絶妙のタイミングで

 訪れるものだ」

というお話です。

 

あなたもそんな経験はないですか?

 

 

 

 

【全日本ベテラン選手権観戦】

9月末から10月上旬まで岡山県で開催されていた全日本ベテラン選手権のシングルス準決勝を見学に行ってきました。

自分(55歳の部)より一つ若い50歳の部の全国トップ4。元プロの方や、世界ベテランランキングで1位経験者の方も。

 

驚くべき動きと戦略を遂行する身体能力、一つ一つのラリーのクオリティがとんでもなく高い。・・・見惚れました。

 

↑50歳以上クラスの準決勝の一つ。

 

↑40歳以上クラスのダブルス準決勝。

 

岡山県では、40歳、50歳、60歳、70歳のクラスが開催。

45歳、55歳(私の年代)、65歳は福岡県で開催でした。

 

 

 

【頂上(全日本選手権)の景色を!】

同時に、『どうせテニスに打ち込むならこのレベルに行きたい』という思いも抱きました。

 おねがいおねがいおねがいおねがいおねがい

 

この1年間は年間約300日の練習をしてきました。

おかげで私自身ものすごく上達したと実感しています。

さらにどんな工夫とレベルアップをしたらこの全日本選手権の予選出場を目指せるだろうか。

 

 

 

振り返れば2010年頃、いまから約15年前。

その時も仕事環境の変化で自由になる時間が増え、

思い立って2〜3年ぶりにテニスを復活させた。

 

この時に通ったテニススクール(↓写真)はかなり競技志向なところで、

いろんなテニス大会に挑戦している生徒さんが多かった。

↑二軸式打法を学んだテニススクール「スポーツラーニング」(東京都大田区西馬込)。2010年ごろ。

 おかげで学生時代のフォームから激変しました。

 

 

 

その影響で、自分もベテランJOP大会(関東オープン、神奈川オープン、札幌オープン、毎日トーナメントなど)に挑戦しました。

・・・が、戦績の方は、1回戦負けがほとんどで容易には勝てないレベルでした。

 

↑2010年札幌オープンベテランにて。1回戦で第2シードとあたって、惜しくもファイナル負けでした。43歳。

 

 

たまたま絶好調だった日に「毎日トーナメント」(通称「毎トー」)という大きな大会(ポイントがたくさんつきます)で1回戦を勝ち、最高位100位ちょい(105位あたり)になったことがあります。

 

全日本選手権の予選参加資格を得るには、だいたい90位以内に安定在籍している必要があります。

本戦ストレートイン(予選無し)は確か30位くらい。

 

まずは全日本選手権予選出場を目指したい。

15年前に届かなかった90位以内へ!

 

ただ当時は東京に住んでいてグレードの高い大会に参加しやすい環境でしたが、今は岡山県在住で、大きな大会は年間数えるくらいしかない。さらに仕事(塾講師)の関係もあり複数日の遠方への遠征は現実的ではない状況。

 

 

 

■レベルアップ

何より、JOP90位以内に入るには、今の技術・フィジカルをまだまだレベルアップさせなくてはならない。

「100位に大きな壁がある」と聞いたことがある。その通りだろう。

現在年間300日のハイペースでコートに通っているとは言え、楽しく快適なテニスだ。

 

レベルアップのためにはもっと厳しく実戦的な練習を積まなくてはならない。

・・・しかし今その練習環境は私にはない。

 

 

 

■エントリーする大会

さらに岡山県開催の大会だけで予選出場に必要なポイントは稼げるのか、疑問。

ならば近県(香川や広島、兵庫)の大会に日帰り遠征は可能か。

午前中試合に出た後、午後からの出勤時間に間に合うか。(・・・これはできるかも)

 

 

 

・・・考えましたが結論は出ません。

 

当たり前ですね。

 

なんだってやってみないと分からない。

 ショボーンショボーンショボーンショボーンショボーン

 

 

前置きが長くなりましたが、

そんな悶々とした日々を数日過ごしていたところ、

僥倖(ぎょうこう。偶然に得る幸せという意味)とも言えるご縁に恵まれました。

 

 

 

先日このブログに書いた「倉敷市B級シングルス大会」の決勝戦で対戦した方・Hさんに、試合後

「今度一緒に練習しませんか?」

と誘っていただき、10月13日スポーツの日、とある練習会に参加させていただきました。

 

このHさん、実は私と同じ教育に携わる方で、詳しくは書けないのですが仕事の面ですごく縁深い位置にいらっしゃる方でした。

 

お互いのテニスを認め合い、今度小さなダブルスの大会にペア組んで出ることになりました。

照れ照れ照れ照れ照れ

 

 

さてその練習会、行ってみたら岡山県のテニス大会の各クラス上位常連の方々がゴロゴロ。

 

まさに今、欲していた練習環境♪

 

でも私なんかが相手になるのだろうか。

軽く緊張しながらHさんと組んでダブルスを6試合やらせていただきました。

 

最初2連敗したものの、その後Hさんとのコンビネーションがかみ合い、後半4連勝と尻上がりに内容が良くなりました。

 

負けた試合も勝った試合も、少しでも甘い球を返すと強烈な一撃をくらいました。

一球も気を抜けない高速で練られた展開、ラリーの応酬にしびれました。

 

自分の課題、弱点が浮き彫りに。

それでもなんとかついていけた。(ホッ)  

大変充実、満足。。。

 おねがいおねがいおねがいおねがいおねがい

 

 

 

■全日本ベテランテニス選手権優勝の方が!

極めつけは、先日開催された全日本ベテランテニス選手権の55歳以上の部(福岡開催)でダブルス優勝(全国1位!)されたSさんがこの練習会のメンバーなのです!!!

大会で負傷されたため今日はプレーされませんでしたが、メンバーのみなさんにご挨拶にいらっしゃいました。

 

このチャンスを逃す手はありません!!

 

 

厚かましくも、

「今日初参加の前と申します。(少しお話した後)初対面でこんなこと聞くのは恐縮なのですが、岡山って大会があまり多くないですよね。どのあたりの大会を回って全日本に参加できるJOPポイントを稼いで来られたのですか?」

と質問したら、大変親切に色々教えてくださいました。感激。

 

「確かにグレードの高い大会は少ないですが大丈夫ですよ。

 〇〇、△△、□□あたりを回れば何とかなります」

とアドバイスいただきました。

もちろん上位進出する成績を残せば、ですが。

でもこの一言で悩みの半分は解消。

 

要するに自分が強くなって岡山+近県で出られる大会で結果を叩き出せば可能性はあるということだ。

 

 

 

■ホメられた!!

さらにさらに、今日参加していた旧知の方(「虎の穴」というシングルス大会で昨年対戦した名手Tさん。岡山で有名人。写真↓の満面の笑顔の方)から後で聞いたのですが、

 

 

「Sさんが前さんのプレー見て『ウマい人ですね』と言ってたよぉ!」と。

 爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑

 

たまたま調子の良い時間帯を見ていただいた上でのリップサービスでしょうが、全く興味を持たれないよりはずっといい。

全日本優勝者に褒められるなんて光栄至極、ありがた過ぎました。

 

これもハチヤテニスクラブで毎日揉んでいただいているメンバー、諸先輩の方々のおかげです。

 

 

それにしても、ちょうど全日本へのチャレンジについて考えていたところに何とタイムリーなご縁。

 

 

「人生において

 その人にとって本当に必要な出会いは、

 必要な場所で

 早過ぎず遅過ぎず

 これしかない絶妙のタイミングで訪れるものだ」

 

と、経営コンサルタント会社時代の尊敬する上司の言葉がよみがえりました。

 

 

 

振り返れば昨年倉敷の大会にやや無謀な挑戦しようとした時、大会1か月前にハチヤテニスクラブとO師匠に出会い、その1か月で我ながら劇的にレベルアップしました。

 

そしていま、全日本選手権予選出場を意識してさらなるレベルアップを志したときにこの出会い。

 

 

さらに過去にも、そんな出会いは数えたらキリがないです。

 

この1年でも、

・ベトナムでの数々の出会い

 

・4月に帰国して出会った現勤務先の校舎の校長(今や盟友!)

 

・ハチヤテニスクラブで、私なんかのことを気にかけてくださるたくさんの人生の先輩方

 

 

本当に人生の出会いって不思議ですよね。

感謝。

 

行けるところまで行くぞ!

 

 

 

 

 

 

 

Chiến thắng thứ 2 liên tiếp!!
倉敷市B級シングルス2連覇‼️

大会2日目の今日は、準決勝と決勝。
前日の雨も上がった。
試合会場には1時間半前に到着。


1人スタンドのベンチに腰掛けていると、
「ウォームアップしませんか?」
と声をかけてくださった方が。ありがたい。
聞くと同じ55歳クラスのベスト4の方。初対面。

打ってみると強い。球が伸びてくる。
実は4時間後にこの方と決勝を戦うことになろうとは。


会場は各クラス優勝を狙う猛者たち。
初日とは空気が違う。

このヒリヒリ感、たまりません。
人生は、一瞬一瞬が勝負の連続。


準決勝、決勝と紙一重の勝負をものにでき、晴れて優勝できました。2連覇。


↑ただでさえ日焼けで黒いのに、逆光で闇夜のカラス状態。


↑2個揃いました。来年は昇格してBクラスには出られないでしょう。



次は11月の岡山県シングルス(グレードE1)。
近県からベテランJOPランカーが集う大会。
目標は1勝。
(40歳の頃にベテランJOPの大会にいくつか出ましたが一回戦負けがほとんどでした。)

勝負の連続!


朝5時半過ぎ。

秋分の日を過ぎ、夜明けがだいぶ遅くなってきました。


岡山市にあるハチヤテニスクラブ。
昨年(2024年)9月に、試合に向けて平日に練習できる場を探していたところ、知人から紹介され通うようになった。

老若男女のテニス猛者たちが集うここハチヤテニスクラブでの早朝練習が私にもたらしてくれたのは、テニスのレベルアップだけではない。

それは「心の安定」である。

◆朝の運動がもたらす効果
朝、運動すると脳内に幸せを感じ、物事をポジティブに対処できるホルモンが分泌されると聞いたことがある。

経営コンサルタント会社に勤務していた時、好調な会社の社長さんには朝に運動や散歩する方が多いと聞いた。
致知出版社勤務時代にも、どちらかの社長さんのインタビューでも同じことを耳にした。

職場の机についた時点の精神状態で勝負はついているのだと。


◆幸せホルモンとは?
調べてみました。

「幸せホルモン」とは、幸福感をもたらす脳内物質の総称であり、主にセロトニン・ドーパミン・オキシトシン・β-エンドルフィンの4つが挙げられます。これらはそれぞれ異なる働きを持ち、心身の安定や喜び、意欲などを促します。不足すると気分の落ち込みやストレスを感じやすくなるため、適切なバランスを保つことが大切です。


「幸せホルモン」の主な種類と働き

  • セロトニン:安心感や幸福感をもたらし、精神を安定させ、気分を落ち着かせる働きがあります。不足するとイライラや不安を感じやすくなります。

  • ドーパミン:意欲ややる気を高め、目標達成時や喜びを感じたときに分泌されます。学習や集中力にも関わります。

  • オキシトシン:別名「愛情ホルモン」や「抱擁ホルモン」とも呼ばれ、スキンシップや信頼関係によって分泌されます。不安やストレスを和らげる効果もあります。

  • β-エンドルフィン:高揚感や幸福感、鎮痛、抗トレス作用をもたらします。運動によって分泌されるため、「脳内麻薬」とも呼ばれます。

これらのホルモンを増やす方法

  • セロトニン:適度な日光浴、リズミカルな運動(ウォーキングなど)、トリプトファンを多く含む食事(大豆製品、乳製品など)が有効。


  • ドーパミン:目標を達成する、適度な運動をする、十分な睡眠をとる、趣味を楽しむなどが効果的。


  • オキシトシン:ペットと触れ合う、マッサージを受ける、親切な行動をする、信頼できる人との会話を楽しむといったスキンシップが分泌を促す。


  • β-エンドルフィン:有酸素運動を習慣的に行うことで分泌される。


◆この1〜2年を振り返って
この1〜2年、私は数多(あまた)の逆境に直面しました。(そのほとんどは、自らが招いたものでしたが。)

最初の頃は、精神的に落ち着かない日々でした。
睡眠は浅く短くなり、疲労と自己否定感に苛まれ、同時に世の中や人に対する恨みの感情に支配されていたと思います。
この「恨み(うらみ)の感情」って、いま振り返れば、まったくもって自分目線、自己都合からくるもので、何ら正当性のないものだったと客観視できます。
でも渦中の私は、その悶々とした負の感情を如何ともできない日々を過ごしていました。


ところが!

本当にひょんなきっかけでテニスを再開したことで、泥まみれだった日々に光が差し始めました。
それが、運動による「幸せホルモン」の分泌効果だったと今は確信しています。

テニスを再開し、週一回が二回になり、ハチヤテニスクラブと出会い週五、六回になり、
ベトナム(2024年11月〜2025年3月の数ヶ月間)でもそのテニスジャンキー(中毒者)のようなハイペースは続いた。

身体と心が幸せホルモンの分泌を求めていたのだろうと思う。



人からは「お気楽な人生」と見えただろう。

でも、心が折れてしまいそうな現実の中で、
憤怒を溜め込まず、前向きに生きてこられたのはこの早朝テニスのおかげだ。いつも早朝練に行くと爽快な気持ちになる。

僕はテニスに救われている。

負傷中や、一日中仕事の時など、テニスをできていない時期はイライラしたり誤った判断をしてしまうことが多かった。
この1年、365日中300日くらいはコートに足を運んだ。
300日の爽やかで前向きな自分と
60日のイライラと怒りっぽい自分を
振り返ることができる。

そこには、
運動(テニス)をすることと、メンタルの安定度の確かな相関関係を感じている。



◆他責(たせき)な人
世の中を見渡せば、みなさんの周囲にも、
やれ「会社が悪い」「上司/部下が悪い」「客が悪い」「生徒が悪い」・・・と、うまくいかない現状を全て自分以外のせいにして、自分の非や改善点を探ろうとせず、人を責めてばかりで1ミリも自己改善できない人って結構いませんか?

こういう姿勢を「他責(たせき)」といいます。
経営コンサルタントの時に出会った言葉です。

赤字続きでつぶれそうな会社の社長さんは何人も会いましたが、ほぼ例外なくこの他責状態に陥っていて、憤怒や恨みをつのらせていました。

会社が思うように行かないのは全部人のせい。
「社員が働かない、無能だ」
「世の中が悪い」
「客が分かってない」
などと言っていたら会社の業績が上がる訳ありません。
優秀な社員から辞めて行くでしょうし、客も離れて行きます。

対して、感謝と自責の姿勢の強い社長は、
「みなさんのおかげ」
「うまくいかないのは全て自分の責任。自分のどこを改めようか」
と四六時中考えていました。
そんな会社は、たとえ一時的に苦しい時期があっても、変化・成長してその逆境を乗り越えることができます。

社長さんでなくても、全ての人は、この他責と自責のどちらかの性質を持っています。
性格や育ち、国民性の影響も少なくないと思いますが、幸せホルモンが分泌しやすい生活を送っているかどうかも影響が大きいと思うのです。


◆他責な人にどんなアドバイスをするか
私の周りにも、他責な人います。
うまく行かないことは、全て人のせい。自分には何ら改めるところは無い!という人。

聞くとそういう人たちは、

・移動手段はすべて車で、一日中ほとんど歩かない。当然運動なんてしない。
朝の散歩だけでもしたら、その人の精神状態はガラっと変わるはずなのに。

・酒が好き。これは私の偏見かもしれないが、他責の人の酒癖は悪い。酔いによって他責が助長され人の悪口や呪いの言葉を吐き続けながら飲んでいるに違いない。


人の生活スタイルを変えさせることは、本当に難しい。
だから大人にいきなり「運動しましょう」とアドバイスしたところで、する訳がない。

でも他責な人を放置していては、会社や部門のパフォーマンスが上がらないのも明らかだ。
何より、お客さん、生徒がかわいそうだ。

どうしたものか・・・。

うーん。


◆奇策!他責な人への接し方

Googleのオキシトシンの記述に目が止まった!
オキシトシンを分泌させるには、「信頼できる人との会話を楽しむスキンシップ」とある。

そうか。

私がその人にとって、信頼できる人になればいいかもしれない。

今までは、
「あの生徒は、◯◯だからダメだ」とか
「私はこれまでこうやってきた。だからこの会社のやり方はおかしい」
といったそういう人の他責発言の矛盾を指摘して、指導という名目で論破してきましたが、その人が間違っているという言い方は封印しよう。
代わりに「申し訳ないが、こういうやり方でやってみてくれないかな。信頼できる◯◯さんを頼りにしてます」という言い方にしよう。
自慢話にもできるだけ付き合い、共感を示そう。

これを続けることで、彼が、
「前さんは僕を信頼して評価してくれている。
信頼できる人だ!」と思うに至ってくれたら何て素晴らしいことだろう。


まずは明日からやってみます!
その人に幸せホルモンを分泌させ、他責傾向に変化をもたらすことができるか⁈

壮大な対人関係実験スタート‼️


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この記事を書き出した時(4時間前)は、
自分にとってテニスの早朝練習がいかに精神の安定、ポジティブさの維持に役立っているかについて書こうとと思っていたのですが、

書いているうちに、他責思考の人にどう接するかというテーマに変わっていき、

それについても、最初は運動を勧めるかくらいのアイデアしか無かったのですが、
勧めたくらいで、相手が生活習慣を変えて運動なんてしてくれる訳ないと気付き、

最終的に<私自身の接し方を変える>という策を見出すことができました。

非常に有意義な執筆だと感じています。














【倉敷市B級シングルス(55歳以上の部)初日結果】

 

無事ベスト4に残りました。


でも自分がイメージしてるようには全然動けても振れてもいなかった。。。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

少し前の投稿で「今が人生で最強」と吠えてましたが撤回します。恥。えーんえーんえーん

 

むしろ1年前の方が動けていたかも。

自分はまだまだ若いつもりでも、写真や動画を見ると、やはり歳は確実にとっているということがわかります。

 

素直に老いは受け入れざるを得ないなと思った次第です。


動きは衰えているかも知れませんが、毎朝通っているハチヤテニスクラブでは、1年前に全く相手にならなかった若者強豪プレーヤーたちと試合して勝てないまでもそこそこ戦えるようになりました。


やはり練習は裏切らない。精進精進。

 

 
準決勝、決勝は2週間後(10月5日)
目指すは2連覇!!

 

 

 

 

こんにちは!前です。

 

今週日曜(21日)に、倉敷市B級シングルス(55歳以上の部)に参戦します。

この大会は、昨年4月に数年ぶりにテニスを再開し、半年間トレーニングを積んだ末に優勝した思い出深い大会です。

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↑1年前の大会表彰式

 

 

おかげで今年は第1シードをいただきました!

↑倉敷市テニス協会のHPに公開されている今年のドロー。昨年より参加者が減っています。

「55歳以上」と侮るなかれ。この世代、松岡修造(1967年生まれ)、伊達公子(1970年生)、ベッカー(1967年生)、エドバーグ(1966年生)などテニスがすごく盛り上がっていた時代で、元プロでなくても「マジで55歳以上?」という若いころからやっていて今なお名手という人とたくさん出会います。

 

 

1年前は「優勝したら奇跡だな。。かなり無謀な挑戦」というレベルでしたが、

今年は「丁寧に、油断せず戦えば勝てる」と思っている自分です。

 

 

 

この1年、途中ベトナムでの4か月を含めて365日中300日以上は練習しました。。。

 

↑昨年11月のベトナムでのシングルス大会の1コマ。ロシア人のイゴールさんと対戦しました。1球目は絶対インなんですけど・・。苦笑。

これはこれでそこそこいいプレーしていますが、決め球が山なりだったり(今はもっと直線的で強い球を決め球にしてます)、この時より今はずっとキレよく動けるようになっています。

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↑すごくお世話になったベトナムのエグゼクティブテニスのメンバーと。懐かしいなぁ。

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↑女子プロテニスプレーヤーのナーちゃんともダブルス組ませてもらいました。ナーちゃんとは今もフェイスブックでつながっています。

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↑ベトナムではテニスコーチもやりました。テニスの技術をどう言語化したら伝わるか色々考えたのもとても役立ちました。

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↑ベトナムでプライベートレッスンをやらせていただいていたSさんが「フォアハンド見てほしい」と、わざわざ隣県から私のホームコートまで来てくれました。なんていい笑顔!

 

 

サーブも、苦手だったネットプレーもバックハンドも、もちろん元々武器だったフォアハンドも、格段にパワーも精度も進化し、今が人生で一番テニスが強いと自己評価しています。

O倉師匠、テニスショップ・フォレストヒルズはじめ、練習に入れてくれたたくさんの方々のおかげです。

 

 

テニスのことだけ書くと、「なんてお気楽人生!」みたいに見えると思いますが、、、

この1年を振り返れば、独り身になり、メンタル面でも健康面でも経済面でも人生ゲームセットの崖っぷちに何度となく直面しました。

それでもなんとか生きていて、しかも色んな面(肉体面、精神面、経済マネジメント)で成長したのが実感できているのは、まあ上々ではないかと思います。

 

 

 

来年も成長を実感できているように身体と心を鍛えながらこの1年を過ごしたい。

目標は80歳までは働き、100歳までは生きること。

孫の顔も見たい。(多分20年後くらい)

 

よし今週末、勝つぞ!