今週二人の生徒から

「将来、社長になりたいんです!」

と夢を語られました。

いいです、素晴らしいです。目標を持つことはとても大切。
社長だってアイドルだって、どんな仕事だって、「なりたい」と思わない限り、なることはないです。

 

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坂村真民(さかむらしんみん)先生という、国語教師で詩人でもあった方の言葉に

 

『念ずれば花ひらく』

 

というものがあります。

 

まさに。

 

 

間違い、失敗、敗北、悔しさ、悲しさ。

日々いろんなことがあります。
でもそれらは目標を諦める理由にはなりません。
大事なのは目標を見つめ、念じ続けることであるはずです。

 

 

= = = =

真民先生の言葉は本当に素晴らしい、心に染みるものが多いです。
公式ホームページや著作もたくさんありますので、気になった方はぜひ触れてみてください。

以下にいくつか紹介します。

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【天才と本物】

天才にはそう誰でもなれないが 本物には努力次第でなれる

 

 

【木の美しさ】

木が美しいのは 自分の力で立っているからだ

 

 

【一道を行く者】

一道を行く者は孤独だ

だが 

前から呼んで下さる方があり 

後ろから押して下さる方がある

 

 

【名刀のように】

すべては出会いの一瞬できまる

だからその時のために心を磨いておくのだ

名刀のように

 

 

= = = =

今から約20年前、とある出版社で働いていた時の話です。
(ここで真民先生のことを知りました)

全国で評判の会社を訪問して社長さんにお話しを聞いて、その社長さんの考え方、生き様を記事にしていました。

約200人の社長さんと直にお会いさせていただきましたが、繁栄している会社の社長さんの共通点は、

 ①前向き、明るい、笑顔が多い

 ②感謝の気持ちを忘れない

 ③愚痴や人の悪口を言わない

の3つだったように思います。

 

その社長さんたちは、成功したから、儲かっているから明るいのではなく、
そこに至る、苦しいとき辛いときも明るく前を向いていたのだと、お話から感じました。

 

= = = =

 

夢を語ってくれた二人よ。

念じ続ける。

そして、

いつも明るくプラス思考。

そしたらきっとその夢は叶うでしょう。

 

さあ、今日も頑張っていこう。

 

 

老人が松の苗を植えていた。

 

そこを通りかかった君主が老人に年齢を尋ねた。

「八十五になります」

 

君主は笑った。

「その松が立派な木材になっても、自分では使えないだろうに」と。

 

八十五翁は言った。

「国を治めている人のお言葉とは思えませぬ。
 私は自分のためではなく、子孫のために植えているのです」

 

君主は恥じ入るほかはなかった。

 

 

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江戸時代の儒学者・太宰春台(だざいしゅんだい)の著作『産語』(さんご)にある話。

また、詩人の坂村真民さんの詩にこんなものがあります。

 

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『あとから来る者のために』

 

あとから来る者のために

田畑を耕し 種を用意しておくのだ

山を川を海を きれいにしておくのだ

 

ああ

 

あとから来る者のために

苦労をし 我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

 

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる

なにかをしてゆくのだ

 

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以前ベトナムで7年ほど働き、最後の2年はフランス企業で働く中で、周辺各国の人々と交流させていただき、こういった精神性は日本人ならではなのだと痛感しました。(異国の文化の中では理解されない、あるいは優先順位が異なることが多かった。)

 

「日本人だけがなぜノーベル賞受賞者をあれほどまでに多数輩出するか?」
 

こう首をかしげる異国(隣国)の論調を目にすることがあります。
国別歴代受賞者数で、日本は7位の29人が受賞しているそうです。

 

1901年から始まった同賞。欧米諸国の受賞者が圧倒的に多いです。

これに対して、人口比率や日本の開国(1858年)が遅く文明や学問の発達が遅れたことなどを考慮すると、日本はかなり頑張っていると言えるのではないでしょうか。

 

ノーベル賞受賞者数TOP10

順位 国名 人数
第1位 アメリカ 411人
第2位 イギリス 137人
第3位 ドイツ 115人
第4位 フランス 75人
第5位 スウェーデン 34人
第6位 ロシア(旧ソ連含む) 30人
第7位 日本 29人
第8位 カナダ 27人
第9位 スイス 25人
第9位 オーストリア 25人

(出典:List of Nobel laureates by country – Wikipedia 2023年11月)

 

 

この理由は、日本人特有の
 「利他(りた:他人の利益という発想)」
 「経世済民(けいせいざいみん:世のため人のために自分のベストを尽くす)」

 

を重んじる精神性(利他性)に他ならないように思います。


自分のことが先に立ち(利己)、あとからくる者のために松を植えられない人、田を耕せない人が世のため人のための功績において、評価される訳がないのです。

 

 

 

何のために勉強するのか?

 

自分のため、夢を叶えるため・・・きっかけはこれでよいかもしれないが、「自分のため」だけでは限界がある。

自分のために戦う人は自分のために休むもの。

損得で勉強を捉える傾向があるため目線も短期的になりやすい。
 

授業を休んで家でテスト勉強する人がいますが、目先のテストのための勉強は、本質的には真の実力を育まない。
 

一夜漬けや目新しいもの(ドリル、勉強法など)に飛びついて多少よい結果が出たとしてもそれは一時的なものに過ぎない。

日々実直に不屈に、粘り強く繰り返す【継続・反復】こそが、風雪に負けない力を根付かせるのです。

 

中高生の部活はそういうことを学ぶよい機会だと思います。

部活の試合直前ギリギリにやって役立つ特効薬なんてありませんよね。

試合直前は軽い調整だけにしたり、むしろ体を休めますよね。

つまり「日々の積み重ね」こそがものを言うということです。

 

そして、自分が得た知識や学力を自分だけのためでなく、「いつか世の中のために役立てよう」というベクトル(方向性)を心に持つ人・・・小学生でもそんな発言が自然と出てくる子がいます。

こういう人こそがとんでもないところに到達するのだと、私たち教育に携わるものは多くの実例を目の当たりにしています。

 

 

部活で、先輩たちから教わらなかったでしょうか?
後輩たちに指導したのではないでしょうか? 
それは自分のためにやったことではないはず。
本当に強い部はそういうことが受け継がれている。

 

勉強もそうです。
 

自分が解くことだけで一杯一杯なようではまだまだ。
「これを友だち(あるいは弟妹)にどうやって教えたらわかってくれるかな」と考えると、聞き方が変わってくるでしょう?

そういうことです。

 

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長い目で見て大きくどっしりと構えて、

目先や小手先に走ることなく、日々植えて(積み重ねて)行きましょう。

 

     前

 

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
 

殊(こと)に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。

その母親が姿を消した。

 

 

庭に作られた粗末な離れ。そこにこもったのである。

結核(けっかく。感染性の強い死の病)を病んだのだった。

近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。

 

 

しかし、母親は一変していた。

 

 

少年を見るとありったけの罵声を浴びせ、コップ、お盆、手鏡と手あたり次第に投げつける。

青ざめた顔、長く乱れた髪、荒れ狂う姿はまさに鬼だった。少年は次第に母を憎悪するようになった。

 

 

哀しみに彩られた憎悪だった。

 

 

少年の六歳の誕生日に母は逝った。
 

「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに少年は全身で逆らい、決して柩(ひつぎ)の中を見ようとはしなかった。

 

 

 

父は再婚した。

 

少年は新しい母に愛されようとした。

だが、だめだった。

父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

 

 

少年が九歳になってほどなく、父が亡くなった。

やはり結核だった。

その頃から少年の家出が始まる。公園やお寺が寝場所だった。

公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。そのたびに警察に保護された。

 

何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、弟を連れて姿を消した。

 

 

それからの少年は施設を転々とするようになる。


十三歳の時だった。

 

少年は愛知県知多半島の少年院にいた。

もういっぱしの「札付き」だった。

 

 

 

ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。

 

 

泣いて少年に柩の中の母を見せようとしたあの家政婦のオバサンだった。

オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。

 

 

死の床で母はオバサンに言ったのだ。
 

「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。

 幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。

 憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。

 あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。

 そのほうがあの子は幸せになれるのです」

 

 

少年は話を聞いて呆然とした。
 

 

自分はこんなに愛されていたのか、涙がとめどもなくこぼれ落ちた。

 

 

札付きが立ち直ったのはそれからである。

 

 

作家・西村滋さんの少年期の話である。

 

 

 

喜怒哀楽・・・うれしいこと、腹立たしいこと、かなしいこと、楽しいことに満ちているのが人生である。
そんな喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。
だがその表面だけをすくい取り、手放しで受け止めてはなるまい。
喜怒哀楽の向こう側、裏側にあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたいものである。

 

(致知出版社『小さな人生論』から抜粋。15年ほど前に勤務していた出版社の大好きな書籍の一つです。)
 

 

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最後の数行に書いてあることがとても大事だと思うのです。

最近、私の母(故人)への感謝を改めて感じ入ることがありまして、今回はこの文章を紹介させていただきました。

 

 

みなさんも、家庭で、学校で、塾で、日々様々な出来事が起こりますよね。
その時、うれしかったり、悔しかったり、悲しかったり、腹が立ったりすることがあるでしょう。

そういう感情を抱くのは当たり前なのですが、ただその感情だけに左右されるのではなく、ちょっと立ち止まって、
 

「その出来事は自分にとってどんな意味があるのか?」
 

と考えられるようになりたいものです。


ちょうど先日、ある小学生が
「私、さかな嫌いなのにお母さんがお昼ご飯に焼き魚を出して怒ってるの!」
と言っていました。聞けば旬のサンマだとか。おいしいのに~。

 

お母さんは栄養バランスを考えて、しかもおいしいサンマを出してくれたのですよね、〇さん?(笑)(〇さんはとても素直ないい子です。誤解なきよう)

 

「人生に無駄な出来事はない。すべてに意味がある。」
 

という言葉がありますが、まさにこれです。

 

勉強の場面でも同じようなことがあるはずです。
悔しかったり悲しかったりすること、ありますよね。
でもそこで、「待てよ。この意味は・・・」とか、「出題者の真意は・・・」と
考えられるようになれれば、学力の面でも人間的にも一段階成長できると思います。

 

 

・・偉そうにすみません。これは、私自身の反省点でもあります。

振り返り、何事からも、接する誰からも、その表面の裏側にある意味を汲み取り、
感謝し、学び、改めるべきところは改めながら成長していきたいものです。

 

 

先週、あるスポーツの大会で優勝経験もある小学生が苦しそうな顔をして
「受験のために習い事(そのスポーツ)をやめた方がいいでしょうか」

と聞いてきました。

 

状況を聞いた上で、
 

「いや、やめるべきではない。続けたら、あなたの勉強時間は少なくなり、より大変になるだろうけど、その中で時間をやりくりし、集中して少しでも短い時間で終わるよう取り組んでいく方があなたは伸びる」
 

とアドバイスしたら、ぱぁっと明るくうれしそうな顔になりました。

優勝するくらいだから、そのスポーツが大好きなのですね。一生懸命打ち込んだものを捨てることなんてないです。受験勉強と両立していきましょう。


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この人ほど人生の辛酸をなめた人はいまい、と思われる一人に二宮尊徳(幼名・二宮金次郎)がいる。
みなさんの学校にある銅像の人です。歩きながら本を読んでいる(勉強している)人です。

(写真:wikipedia英語版より)

天明七年(1787年)、現在の神奈川県小田原市に小さな農家の子として金次郎は生まれた。
平穏な暮らしが一変したのは四歳の時だった。関東一円を襲った大暴風雨で酒匂川が洪水をおこし、父の田畑は荒地と化し、一家は貧乏のどん底に落ちてしまう。

災難はさらに続いた。
その荒地開墾の無理がたたり、父は47歳で他界した。金次郎13歳の時である。

そしてその二年後、父の後を追うように母が急逝する。35歳の若さだった。母の死後、弟二人は母の実家へ引き取られ、金次郎自身は父方の伯父の家へと引き取られ、一家は離散を余儀なくされた。

伯父の家の野良仕事で働きづめの毎日。だが注目されるのは、金次郎が学ぶのをやめなかったことである。芝刈りの山への往復さえ、「大学」という人間学の本を手放さず読み続けた。

 

 

しかし、伯父は「百姓に学問はいらない」と勉学を嫌った。それでも金次郎は深夜に布団をかぶって行燈(あんどん)の灯を隠して本を読み続ける。だがそれも見つかってしまって、「油がもったいない」と叱られた。

金次郎は友人から借りた一握りの菜種(なたね。菜の花のたね)を川土手にまき、収穫した菜種をしぼって油をとり、学び続けた。

金次郎が捨てられた稲苗を拾ったのは16歳の時。それを荒地に植えた。秋、一俵(60kg)の米がとれた。翌年、一俵の米は五俵(300kg)になった。



自然の恵みに人間の勤労を加える営みをこつこつ積み重ねると、大きな成果になる。金次郎は「積小為大」(せきしょういだい※)の哲理を貧窮との闘いから会得する。それは、金次郎を多くの農民を救う指導者に成長させていった。

※「積小為大」(せきしょういだい:「小さい事が積み重なって大きな事になる。だから、大きな事を成し遂げようと思うなら、小さい事をおろそかにしてはいけない」という意味です。)

立ちはだかった貧窮の壁。それを乗り越えようとする苦闘の中で二宮尊徳という人格は育まれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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形こそ違え、人生の壁は誰の人生にも訪れてくる。

このブログを読んでくれているみなさんにも、
受験勉強の大変さ。部活や習い事との両立の難しさ。勉強してもなかなか成績が上がらない。勝てない相手・・・・など、色んな壁を味わっているはずです。
ただ、壁が立ちはだかった時に、人がたどる道は二つに分かれる。

●一つは厳しい道。壁に敢然(かんぜん)と挑み、なんとしても乗り越えていこうとする道、
●もう一つは楽な道。壁に圧倒され、萎縮(いしゅく)し、そこから逃避する(逃げる)道である。

 

 

 

 



今週の各クラスで話したことです。

『人生の選択理論』 
人生は選択の連続である。
例えば、ちょっと疲れている夕方。「今日宿題やってしまおうかな、それとも疲れているから今日はゲームして寝て、明日にしようかな・・・」みたいな選択。

選択の場面で人が選ぶ道は「自分にとって厳しい選択」か、「楽な選択」の2つである。
いま楽な選択をした人は、次の場面でも楽を選ぶ傾向がある。
一方、いま「厳しい選択」をできた人は次の場面でも「厳しい選択」をし、どんどん成長し、成績を上げていく。

もちろん休息も必要。でも休むのはやるべきことをやってからでいい。
「やるべきことをやってからやりたいことをするか」あるいは
「やりたいことを先にやってから、後でやるべきことをやるか」…

そのちょっとした選択の心がけの積み重ねが1週間、1か月、1年、3年と続くことでとてつもない大きな差を生み出すのだ。

 

 

 

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人は壁に苦しみ、悩み、苦悶し、格闘し、時に傷つく中で、その人格を成長させていく。
壁はその人の能力をさらに高め、魂を磨き、本物の人物にするために、天が与えてくれる試練だということである。


壁から逃げてはならない。

 


壁は私たちが何かを学ぶために、私たちの前に現れてくるのだ。
そのことを肝に銘じておきたいものです。

 

 


経営の神様、松下幸之助さんの言葉がある。
「人間は自らの一念が後退する時、前に立ちはだかる障害物がものすごく大きく見える。その障壁は動かすことのできない現実と思う・・・しかし、そう思うところに敗北の原因がある」


越えられない壁はない。達成できない目標はない。
 越えようとしない自分がいるだけ。
あるいは
 何としても越えようとし、越えていく自分がいるだけ。

さあ頑張って行きましょう。

             前

2010年、いまから14年も前に書いた記事を転用します。

自営業としてフリーライターみたいなことをやり四苦八苦していた頃の話です。

 

 

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今年(2010年)の夏の終わり、まだ暑かったころ、

あるテニスの練習会に顔を出したときのことです。

 

1人の旧友が会社の後輩を連れてきていました。

その後輩さんは、立教大学の体育会テニス部の元キャプテンで、

学生時代は、その名を知られた有名人でもありました。

 

 

「どんな仕事やってるの?」 といった会話の流れで、

 

 

彼 「私は講○社で、少年マ○ジンの副編集長をやっています。 前さんは…?」

↑『○イビーステップ』というテニスのマンガや、『○リアの騎士』というサッカーものの担当をしているそうです。

 

前 「そうですか…。私は、独立してライターやってるんですよ。経営者の自伝をインタビューして執筆代行とかやっています」

 

といったことを話していたところ、


 

彼 「ちょうど、執筆代行をお願いしたい仕事があって、ライターさんを探していたんです!前さんやっていただけませんか?」

 

という話が飛び出た。


 

聞くと、『日本マンガ辞典』といった感じのタイトルの共同執筆の本で、

彼が担当している「日本におけるマンガ編集の特徴」というパートの執筆の話だという。

 

私は普段からマンガは相当読むし、興味もあって即答でお受けさせていただいた。



 

---それから約半月後。


 

○談社社(すっごいでっかいビル!)に行って、彼をインタビューすることになった。

 

 

 

●日本のマンガ編集の特徴

 

なんでも、日本のマンガ編集には、決まったスタイルというものは存在しないらしい。

世の中に出ている漫画家の数だけやり方が異なる。同じマンガ家でも、違う作品であれば、やり方も異なるという。

 

これに対して、欧米では、企画、原作、作図、着色・・・などかなり分業化が進んでいて、大組織で工場製品のように作り上げる傾向が強く、その意味では画一に近いプロセスの中で、マンガは「生産」されるそうだ。


 

一見、日本のマンガの作り方は、欧米と比べると、<非効率>なものと言えるかもしれない。

 

でもなんでそうなっているかと言うと、

マンガ家の個性、感性を最大限に生かすために、マンガ家が臨むプロセスを出版社側が実現、提供しようとしているからなのだそうだ。


 

個人の個性と感性の尊重……。


 

この極めて日本人らしい、価値観の置き方によって、

一つひとつがオンリーワン、一品一様のマンガが、マンガ家、スタッフ、編集たちのチームによって

それこそ手作りで作り上げられているのが、日本のマンガなのだそうだ。


 

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彼と話しているうちに壮大な話になった。


 

●フォードとトヨタの生産現場

 

彼 「アメリカのフォードでは、一個のネジを締める人は

その工場に勤めている限り、一生そのネジを締め続けるだけで、

それ以外の仕事は一切しないし、極端な場合では、

自分が従事してるラインがどんな車を作っているのかさえ知らないらしいです。

 

でもトヨタでは、ある月にあるネジを締める仕事をしたら、

次の月は、ドアの取り付けへ…といった具合に、

ラインの中の色んな部署を回るそうなんです。

 

そうするとどうなるか・・・

 

このデザインをもっとこうした方がいいとか、

この作り方はこうした方がいいとか、<知恵>が出てくるんだそうです。

そしてトヨタの幹部は、その知恵を極力取り入れるようにし続けたというのです。

結果、トヨタとフォードの地位は逆転してしまったのですね」


 

「その話で思い出したことがあります。

私は以前ある上場機械メーカーに勤務していたのですが、

そこである時、『シックスシグマ』という、アメリカのモトローラーとかGEで

採用されていたコンサルティング手法を取り入れたのです。

 

その企業改善手法における最大のポイントは、

個人のモチベーションや意見などは基本的に無視、人は一つの歯車として、

いかにして生産効率を上げ、欠陥率を低減させるかということだったんです。

 

結果、どうなったかというと、職場ではコミュニケーションが減り、

モチベーションを低下させたり、ひどい時はうつ病になってしまう社員が

一向に減らず、会社の業績も下げ止まらず、毎年数百億の赤字を垂れ流し、

いまでは都内にあった本社土地を売却し、千葉の山奥に移転してしまいました。

 

その後私はその会社から、

中小企業を対象としたコンサルタント会社に転職したのですが、

そこでは、徹底した個人のモチベーションとか目標管理を重視した

企業改善手法を取って、大きな成果を上げていました。

 

個人の力が全体のパフォーマンスに与える影響の大きさは、

中小企業に限ったことではなく、大企業でも同じだと思いますね。」

 

 

彼・私

「その意味では、日米のマンガの隆盛を見ても、

個人の力を大切にすることがいかに重要だったか

ということにつながると言えるでしょうね!」


 

…と非常に盛り上がりました。

 

インタビュー後、

 

「いやあ、前さんと話しているうちに、ぼくの考えもまとまって思わぬ気付きがありましたよ。いい原稿ができそうですね。前さんお願いしてよかったです」

 

と言っていただけました。

まだ文章ができていないので少し気が早いですが、編集者として無上の喜びです。

 


 

 

●個人の感性が、付加価値の高いものをつくる

 

先日ノーベル賞を受賞された北海道大学の教授もおしゃっていましたが、

「これからの日本が生き残っていくためには、理工系をよりバックアップして、付加価値の高いものを世の中に出していけるようにすることだ」

と。

 

確かに、世界に名だたる日本の製品の多くは、

個人のアイデア、感性が生かされ具現化されたものが

いのではないでしょうか。


 

以前取材させていただいた、

東京江東区の岡野工業の岡野代表社員が発明した「痛くない注射針」なども、

まさにその通りだなと思い浮かべました。


 

大企業文化・体質から脱せない面々や、したり顔の経営コンサルタントは、

やれビジネスモデルだの、やれマクロ経済だの、システムやしくみといった

無味乾燥の領域のお話をありがたがるものでしょう。



 

しかし本当に世の中を動かすのは・・・

どんなシステムであってもそれを運用し、ものを作り出すのは・・・

 

『人だ!!』ということですね。


 

もっともそんなことは

2000年以上も前から、中国古典でしっかりとうたわれているのですね。

 

そこに戻ってきただけの話ではないでしょうか。


 

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●『個』の尊重の誤解

 

「個の尊重」について書いてきましたが、

ここで、誤解してはならない大事なポイントがある。

 

 

「個の尊重」とは、「個」の自分勝手がまかり通ることでは断じてありません。

 

 

マンガ編集の世界では、

「素晴らしい作品を世に出す」ために、

マンガ家や、スタッフ、編集者が一体のチームとなって、

時に「個を押し殺す」ことさえもいとわないそうです。

 

目的の共有と、達成に向けての一致団結がそこにはある。

極端な話、その過程では、時には自己犠牲だってあるのでしょう。

 

これは何もマンガの世界に限った話ではなく、

社会とは、そういうものなのです。

 

 

 

リーダーとなる『個』(マンガの世界ではマンガ家)の

理念や感性を尊重し、具現化するという共有目的のために

チームが一つになり、熱く動く。。。

それぞれの立場で、それぞれできることを最大限まっとうする…。

 

そして全員で達成の喜びをわかちあう。

 

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2024年に戻ってきました。

確かにいまの職場でも、リーダーの個を尊重し、それを実現するために、スタッフは時に「個」を殺しつつも全力でサポートする。

会社というのはそんなものかもしれませんね。

 

                      前 真治郎