こんにちは!
「晴れの国」岡山には珍しく昨日は明け方から一日中雨で、今日になってもずっと降り続いています。
 
昨夜、ポツポツという雨音が妙に近く聞こえてきて、「まさか~」と思ったら案の定、激しく雨漏りが起こっていました。
ボンボン育ちのせいか、これまで住む家には恵まれてきたので、リアル「雨漏り」は人生で初体験です。
築60年以上の古民家ですから致し方ないところ。

 

 
押し入れのふすまを外して、少しの裏季節の衣服の脇に、写真や手紙をディスプレイしていました。下の写真はある程度移動した後ですが、手紙類はビショビショで、移動しようとた際に何枚か破れてしまいました。。(泣)
 

こちらは使っていない部屋の押し入れで、荷物の被害は無かったですが、バケツをひっくり返したような状態に。

 

不幸中の幸いか、居室スペースではなく、押入れ内での雨漏りが2箇所。

急ぎ、置いてあった夏服や飾っていた元生徒たちからの手紙、家族写真などを避難。
 
しかし元生徒たちからの手紙や色紙の何枚かはびしょびしょで、、、泣
 
 
幸い写真に撮ってデータを残していたので、今一度読み返すことができました。
3月末にベトナムから帰ってきて、手に取ったことは無かった。
 
 
 
そこにはあまりにも純粋な生徒たちからの想いが綴られていて、
あの頃の初心
~生徒の本当の気持ちを考え抜いてアドバイスし、手を引いてやる情熱~
・・・とでも言うのかな(笑) それを再び思い出すことができました。
 
 
<手紙1>
 
<手紙2>
 
<手紙3>
 
<6年生からの色紙>
 
<5年生からの色紙>
 
 
↓こうやって飾っていたのです。
 
 
ちょっと涙ぐんでしまいました。
私のわがままでベトナムに行ってしまって悪いことしたな。
みんな元気でやっているかな・・・。しみじみ。
 
 
 
最近、勤務先で色々あり(どこに行っても人生色々ありますよね)、
この手紙や色紙のおかげで、自分の中の慢心やトゲトゲした心情になっている自分に気づくことができました。
 
 
まさに
災い転じて福となす。
 
 
雨漏りのおかげで、生徒や人に対する想いを思い出すことができました。
 
なんというか、私本位の固定観念で受け止める懐(ふところ)が狭くなっていました。
もっともっと大きく大きく、広く広く受け止めて、暖かいまなざしで人に接しなくては。
真に相手を思う優しさがなければ、どんな指導も伝わっていかない。
 
 
雨漏りの方は、
大家さんでありテニスの師匠であるOさんに連絡して、
雨が止んだら修繕してもらえることになりました。
結果的に、ありがたい雨漏りでした。
 
 
よし。優しさ復活。
 
 
 

ちょっと気持ちのよい話題も投稿しておきます。

 

2月8日(日)。雪がちらつく中、久々にテニスのプライベートレッスンをやりました。

 

↑この写真は2014年、いまから12年前にベトナムで、現地にいる日本人小学生にレッスンしているところ。

 

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↑こっちは昨年2025年3月。ラケットを握って数回目の小学生にボレーを教えているところ。私のレッスンスキルも格段に上がりました。

 

 

 

プライベートといっても今回の生徒さんは3人。

 

 

一人目はベトナムでプライベートレッスンを受けてくれていたSさん↓(写真は夏に会ったときのもの)

image

現在はベトナムから帰国し、岡山のおとなり広島県に住んでいらっしゃり、かなりレベルの高いテニスサークルに所属されているのですが、(たぶん周りの方がレベルが高すぎるからでしょうが)

「テニスがどんどん崩壊してきて、チャンスボールが来ても全く打てない。ダブルスやってもペアに迷惑をかけてしまう!」

とのことで、今回広島からわざわざやって来られることになりました。

 

 

もう一人は岡山市内のあるテニススクールに私が体験レッスンに行ったときに出会ったUさんとその旦那様。

Sさんのレッスンやることが決まって、以前から「教えてください」と言われていたので、お声かけしたらちょうど都合がよく二つ返事で参加表明いただきました。

とりわけ奥様が「スクールに通っているのになかなか上手くならない。初級クラスの試合に挑戦しているが優勝まであと一歩で勝てない。サーブも緊迫した場面でダブルフォルトが多い」

とのことで参加いただきました。

 

旦那様はテニス歴30年超の上級者でしたが、「肩が回らなくなりサーブのスピードが出せない」とのことでした。

 

 

・・・という、合計3人の生徒さんをお迎えしてのレッスンとなりました。

 

 

レッスン中の写真は無い(撮り忘れ。それどころじゃなかった💦)のですが、

テニススクールでは教えてくれない技術的ポイントをできるだけわかりやすく伝え、実践してもらうことに苦心しながら2時間のレッスンをやった結果・・・

 

 

Sさんは、

テイクバックの大きさと体幹の捻転(ユニットターン)への意識、スイングの角度、ボールの打ち出し角度に対する意識を改善することで、いいボールがかなり出るようになりました。

 

Uさんの奥様は、運動神経はとても良さそうなのですが、ストロークでポヨンという山なりのボールが多かったのが(スクールで「下から上へ〜」と教えるのでしょうがないです)、水平スイングからのフラットドライブの球威あるボールがバンバンでるようになり、サーブも威力、精度がかなり増し、それを維持するための練習法やその時に意識することなども伝授させていただきました。

 

Uさんの旦那様は、

私より少し若い世代で、スピン系のストロークで、明らかに中上級の方でしたが、フラットドライブ打法をすぐに習得され、ものすごい威力のボールを打つように。サーブも技術的改善ポイントをいくつかアドバイスしたらすぐに修正してすごいサーブを連発されていました。

 

 

という具合で、お三方ともにご満足いただけ、手ごたえを感じていただけたレッスンになりました。

(レッスンフィーなどいただいている訳なく、コート代を折半という形で行いました。)

 

「またぜひやってください♪」とリクエストまでいただいて、気分のよい日曜日でした。

 

 

次はちゃんと写真撮るぞ~。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!

 

またしても、あまり気分のよい内容ではありません。すみません。

 

 

 

◆◇◆その理由、ホント??◆◇◆

 

職場で、こんな言葉を耳にすることはありませんか?

 

「私はちゃんと授業しているのに、生徒がやる気ないんですよ」

「私は頑張っているんですが、お客さんが無茶、無理難題ばかりふっかけてくるんです」

「あの人って手を抜いているんですよ」

「あの人、あなたのこと悪く言ってましたよ」

 

 

はぁぁ・・・。溜息が出てきますね。泣笑

 

 

自分の仕事の成果が出ていないことや期限を守れていないことを問われると、

できなかった原因を自分に向けるのではなく、ほかのせいにする他責思考。

それが乗じて第三者に責任転嫁、原因を押し付けるような発言。

 

 

 

こんなのもありますね。↓

 

「家族が急病になって病院に連れて行っていた」

「遠縁の叔父が危篤で・・・」

「車が急に故障しちゃって・・・」

 

 

これらがその場をとりつくろうためのウソだったことは、ベトナムでも、日本でも私にとっては「あるある」です。苦笑

 

ただし、本当の場合も当然ありますので、

頭ごなしに疑ってかかるのは職場の人間関係を壊さないためにも抑えるべきですが、

ちょくちょくこれを使う人がいたら、一度疑ってみた方がよいです。

 

 

私が普段から使っている対処法のアイデアを書いていきます。

 

 

 

 

◆◇愛ある(?笑)対処法のアイデア◇◆

 

こんな具合に声をかけるのです。

 

「そっかぁ、大変でしたね。どこの病院に行ったの?」とか

 

「お医者さんはちゃんと見てくれた?どんな病気で、どんな処方をされたの?」とか

 

「県内?県外?どのへんに行ってたの?」とか

 

「危篤」というワードを使った場合は、数日したところで

「先日の叔父さん、具合はいかが?

お見舞いや万が一の場合は、気兼ねなくお休みとってくれていいよ」

 

「その生徒は何でやる気がないのでしょうね。別に理由があるとしたら、やる気を出してもらうために、私たちはどう接していきましょうか」

 

 

など、相手の言っていることが本当だという前提で、心配して問いかけをするスタンスで、客観的事実を尋ねていくのです。

 

 

前の投稿で書いた【裏読みコミュニケーション】の一例と言えます。↓




こうして聞いてみると、

最初の理由がウソだった場合、返答がとたんにしどろもどろになります。(笑)

相手も「バレたかな~」と気まずいので、このやりとりを2~3回やると

「この人にウソを言っても通用しない」と分かって/警戒されてきます。(笑)

 

 

過去を振り返れば、

虚言癖のある人で、何度言っても自分のウソが私に通用せず論破されちゃうものだから、

「もう前さんとは一緒に仕事したくない!」

と上司や役員に訴える人もいました。

「何も報告できないし、提案もできない。意見することもできない!」と。

だって随所に主観や思い込みという、事実と異なることを交えてくるので、その客観性を一つひとつ確認していっただけなんですけどね。苦笑

こういう人はもうそのクセが身に沁みついてしまっているのです。

私は報告も提案も意見もウェルカムです。ただし、事実を伝えてほしい。

 

・・・ちなみにその人は他部門に異動することとなりました。私をどこかへ追いやりたかったのでしょうが。

彼が相談した役員と私は普段から密にコミュニケーション取っていて彼の虚言癖、事例についてもよく話していましたから。(笑)

 

 

 

↓ほぼ同様の内容、なんでウソをついてしまうかの心理や対処について書かれたウェブ記事。

 「うんうん、あるある」とうなずいてしまうことが多いのでは。本当にやりにくい時代です。。。

 

 

 

◆◇ウソも方便?私(前)的に許せるケースと許せないケース◇◆

 

 

人間は自己防衛本能がありますから、どうしたって「身を守るため」にウソが口をついて出ることがあるものです。

それを全否定しようとは思いませんし、むしろ「人のウソ」とうまく付き合ってかわしていく術を身につける方が前向きだと私は思います。

 

分類してみました。

 

①「まぁしょうがないかな」ケース

 

・子どもがつくウソ全般

・人に心配をかけまいとつくウソ、強がり。

・自分を理由にするケース「体調が悪くてできなかった」「忙しくて」「時間がなくて」・・・

 

・・・こういうのは、私は愛をもって対処しています。(笑) 

ほんのこの1~2年でそれが自然とできるようになりました。

 

 

 

②「うーん。いただけないな。こういうのが続かないよう、ちょっと問い詰めてみるか」ケース

 

・第三者を悪者にしたてるケース・・・冒頭に書いたような、「●●が悪いよ」「▲▲のせいで」「みんなやってないよ」的な。

 

こういうのって潔くないというか、、、第三者のことを言い訳に使うというのは、はっきり言って卑怯(ひきょう)だと、相変わらず私の正義感が反応しちゃうのです。苦笑

 

 

どちらのケースも「裏ヨミコミュニケーション」で、質問、声掛けすることで対応しますが、②のケースは愛なくやってしまいますね。相手にも「やられた感」が残るでしょう。

 

 

でも虚言癖、他責思考の人ってなかなか変わらない。

 

そういう人とは仕事をしないというのが最終手段ですが、それでも仕事を一緒にしなくてはならない場合、どうするのが誰も傷つけない、成長して幸せになる最高のシナリオなのか、、、人生の永遠のテーマのようなものだと考えています。

 

 

同僚・部下、ときには上司に対しても、

ごまかししようとする心が生じないように

モチベーションが上がるような声かけ、

相手を認めホメる接し方を普段からしてあげるべき

なのだろうというのが現在のところ私の基本方針です。

 

 

 
人生は・・・人に良い影響を与え続けるというのは本当に難しいです。
さあ、今週も前向きに頑張っていこう。
 
 

 

こんにちは!

 

あなたの周りに、

〇過去の経験や仕事上の出来事について大げさに盛った話をしたり、

〇仕事の遅れやミスに対して「自分じゃなくて〇〇が悪かった」と他責な言い訳をしたりする

【言い訳・嘘つき体質】の人っていませんか?

 

 

 

最初に言っておきます、今回のテーマはあまり気分のよい内容ではありません。すみません。

人のつく「嘘」についてのお話ですから。

 

 

私は元々正義感が強過ぎる傾向があり、白黒をはっきりさせたい性質(タチ)ですので、人の「ウソ」って生理的に拒否反応を抱いてしまいます。

過去を振り返れば、自分だって状況に応じてウソをついたり隠し事をしたことも多々あったクセに勝手なものです。

 

ただ、私にとって激動だったこの1~2年くらいで、「グレーさ」「あいまいさ」「人ぞれぞれの価値観」を否定するのではなく、「それはそれでその人の感情や事情があるのだ」と受け入れることができるようになってきました。

これは私にとって実に大きな変化なのですが、今回はその話は置いといて・・・。

 

前回「人は本当のことなんて語らない①/裏ヨミコミュニケーション・・・」を投稿した以上、

これと一体で人が語る「ウソ」のもう一つの面として心構えをしておかなくてはならないテーマだと思いますので、書き残していきます。

 

 

冒頭の【言い訳・嘘つき体質】の人に手を焼いた経験がある方は、よかったら読み進めていただければ幸いです。

 

 

 

嘘にも色々ある?

 

「ウソは全部、絶対ダメ!」という考えも正論ですが、あくまで私の意見ですが、「人は本当のことをほとんど語らない」という私の仮説が正しいとすると、世の中はウソで溢れているということになりますね。溢れているものを「全部ダメ!」と拒絶するのも無理があり、一定数のウソはやむなしと受け入れ、対応していかねばならないというのが私の持論です。


そんなウソにも程度の差というか、色々あると思うのです。

 

 

人とかかわって働いたり生きていく中で、

 

■ 聞いていると前の話とつじつまが合わない明らかなウソや

■ 自分のミスや怠慢をほかのせいにする他責発言

 

に出くわすことがあります。

 

これらは度を超すと「人それぞれの価値観だから」とか「グレーさも必要」という言葉で見過ごせなくなってきます。

 

 

ちょっとした強がりや、人を傷つけないためのウソなど、、、実害が少なく、情状酌量の余地のあるウソもあれば、

 

仕事をする中で、周囲の人や同僚、会社を貶めたりするウソ。

業務の遅延やサービスの低下を引き起こし、ひいてはお客さま(私の場合、生徒や保護者たち)にまで迷惑をかけてしまう実害を伴いかねないウソもあります。

 

「人は本当のことなんて語らない」の第二段として、ここでは後者(実害につながるウソ)についてフォーカスして考えていきます。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

身近にいる「厄介な同僚」の正体

 

「あの人はいつも言い訳ばかり」

「話が長いのに要点が見えない」

「責任を取るべき立場であるのに、自分で責任を取ろうとせず、人や外部要因のせいにする」――。

 

こうした人物に心当たりはないでしょうか。

実は、言い訳を頻繁にする人と嘘をつく人の間には、心理学的に深い関連性があるそうです。

そして、このタイプの人材が組織、チームのパフォーマンスに与える悪影響は、結構深刻です。

 

 

なぜそういう人たちはウソをついたり言い訳して責任転嫁するのでしょうか。

調べてみました。

 

 

◆ 自己奉仕バイアス

自己奉仕バイアス(Self-serving bias)は、成功を自分の内面的または個人的要因に帰属させ(自分の手柄にすること)、失敗を制御不可能な状況的要因に帰属させること(人のせいにすること)です。

成功したときは自分自身の能力によるものであり、失敗したときは自分ではどうしようもない外的な要因によるものだと思いこむ考え方です。

 

この時、外的要因を強調するために、実際よりも状況を悪く描写・報告したり、細部を誇張したりすることがあります。

(←これが事実と異なる「ウソ・虚言」になる)

つまり「成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい」と考える心理現象が強い人は、自覚なく責任逃れをし、その過程でウソをつく傾向があるということです。

 

 

◆ 防衛機制

「防衛機制」とは、心理学の創始者フロイト(ジークムント・フロイト)の研究を基に、娘のアンナ・フロイトが発展させ、体系化した、人間による自己防衛の心理メカニズムです。

 

人は受け入れがたい現実や自分の失敗を受け入れる代わりに、もっともらしい理由を後付けで作り出すというのです。

 

この過程で、人は客観的事実よりも自分にとって都合の良い「解釈」を選択し、時には事実を微調整したり脚色したりします。この防衛機制が働くことで「失敗を外的要因とする=防衛反応」となって表れるため、言い訳体質が形成されます。

 

ベトナムでも日本でも、私にとっては「あるある」です。苦笑

とりわけ、構成員の民度(教育レベル、道徳レベル、倫理レベル)が低い組織において顕著でしょう。

 

ただ、学歴が全てではありませんが、論理的思考能力や謙虚さに長けた構成員が大半の上場企業(=民度が高い)ではこのような振る舞いはぐっと減るのではないでしょうか。

 

 

このような状況、振る舞いに対してどのように対処していけばよいかについて、深掘りしていきます。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

● 言い訳・嘘つき体質の人の心理的特徴

さて、意識してか無意識でかは別として、そういった「自己奉仕バイアス」や「防衛機制」を駆使してウソや言い訳を常套手段とする人の心理的特徴は、以下のように分類されるそうです。

 

①外的統制感:物事の結果は自分以外の要因に左右されると信じている

 

②自己愛的傾向:自分のイメージを保護することを最優先にする

 

③低い挫折耐性:失敗や批判に対する耐性が低い

 

④完璧主義の裏返し:失敗を認めることが自己価値の全否定に感じられる

 

 

・・・ナットクです。笑

 

 

 

●典型的な口癖と行動

 

<そういう人の口癖チェックリスト>

 

「でも」「だって」「ただ」で始まる発言が多い

 

「私だけじゃないです」「みんなもやってます」

 

「時間がなくて」「忙しくて」を多用

 

「言われてなかった」「聞いてない」

 

「○○さんが」「システムが」「環境が」(他責的表現)

 

 

 

●行動パターン

 

資料の提出がない:証拠隠滅本能、曖昧さの利用

 

話が長い:煙幕効果、疲弊戦術、時間稼ぎ

 

謝罪しない:責任認定の回避、自己イメージの保護

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

●そういう人の評価・・・一見優秀そうに見えてしまう

 

このタイプの人材は、往々にして表面的には「優秀」に見えることがあるそうです。確かに。(笑)

 

なぜなら、、、

⇒口が達者で、プレゼンテーション能力が高い

 

⇒人当たりが良く、コミュニケーション上手に見える

 

⇒アイデアが豊富で、企画提案力がある

 

⇒一見もっともらしい説明をする能力に長けている

 

 

でも少し一緒に仕事をすると分かります。

基本姿勢は「他責」で、自分にも至らぬ点があったかも・・・という自責の視点や謙虚さが著しく欠落しているのです。

 

 

●組織・チームに与える悪影響

 

どんな悪影響があるでしょうか。

少し考えてみただけでもメチャクチャたくさん挙げられます。

 

⇒信頼関係の連鎖崩壊

⇒チーム全体の疑心暗鬼

⇒報告システムの機能不全

⇒優秀な人材の離職

⇒責任回避の文化形成

⇒業務効率の著しい低下

⇒その人の仕事だけ特別な確認作業が必要

⇒会議時間の無駄な延長

⇒プロジェクト遅延の常態化

⇒管理コストの増大

⇒クライアントへの影響:「この会社は責任を取らない」という評判の確立

⇒納期遅延の常習化

⇒品質問題の隠蔽

⇒契約解除、業界内での悪評拡散

⇒企業イメージへの影響:ブランド価値の毀損

⇒デジタル時代特有のリスク(SNS炎上等)

 

 

 

●最も危険なケース:新規出店や変革プロジェクトを任せる

 

言い訳体質の人にとって「変革プロジェクト」は理想的な環境となります。

なぜなら、

・結果の評価が困難

・外部要因が多く責任転嫁しやすい

・前例がないため「誰もやったことない」で逃げられる

・失敗時の言い訳への注目が分散される

 

典型的な失敗パターン: 1年目:「仕込みの年」→2年目:「まだ成果は出ないが手応えあり」→3年目:「外部環境の変化で方向転換が必要」→4年目:プロジェクト自然消滅

 

 

 

●逃げられない状況:上司が言い訳体質の場合

 

上司が言い訳体質の場合は、不幸としか言いようがないですが、戦い方、向き合い方はあります。

 

基本的な心構えとしては、 言い訳体質の上司を変えることは極めて困難と割り切ること。「改善を期待する」のではなく「自己防衛しながら共存する」ことに集中すべきです。

 

具体的対処法:

1. 物理的・心理的距離の確保

 責任転嫁する人は細胞レベルで他人にミスや責任を押しつけてくるので、指摘しても改善は期待できません

 可能な限り直接的な業務関係を避ける

 他の管理職との関係を強化し、複数の報告ルートを確保

 感情的にならず、事実ベースでの冷静な対応を徹底

 

2. 徹底的な記録管理

 すべての指示を文書化(メール、チャット等)

 会議の録音(法的に問題ない範囲で)

 第三者の証人を確保

 「言った・言わない」の状況を作らない

 

3. 責任回避型コミュニケーション

 曖昧な指示は必ず確認を取る

 重要な決定は複数人での確認

 問題が起きそうな場合は事前にアラート

 自分の判断で動かず、常に上司の承認を求める

 

4. 上位組織との関係構築

 上司のさらに上司との良好な関係を維持

 他部署のキーパーソンとのネットワーク構築

 人事部や労働組合との相談ルート確保

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

調べたことをピックアップ、列挙しているうちに、時間がなくなってきましたので

ここで一旦終わります。

 

本来の私の文章のキャラ、空気とズレてきてしまっていますね。すみません。苦笑

 

なので、続編としてもう少し生々しいケーススタディとして対処法を述べていこうと思います。

しばしお時間を。

 

 

では!

 

 

 

 

こんにちは!

人とのコミュニケーションって難しいです。


表面的にあいさつや会話することはできても、
相手の本当の気持ちを汲み取ることも、
自分の本当の気持ちを相手に伝えることも、
簡単ではないですよね。



この背景には、

世の中のほとんどすべての人は
多くの場面で本当の気持ちなんてまず語らない


という現実があると私は思うのです。

 

 

実際、子どもの ”やってないのに「やった」”は日時茶飯事です。

そして大人になるほど、人は狡猾にウソをつくようになります。

自己防衛本能か、保身からか、当たり障りのない答えを口にするようになります。

 
 

私は基本は性善説ですが、人の言葉は常に疑い、ウラを読もうとします。

本当のことは、相手の言葉から判断するのではなく、

目に見える相手の行動、表情、発する空気などから読み取っていくしかないと、経験則上、私は思ってます。

 

 

ベトナムなどアジアではお互い母国語でない英語でコミュニケーションしているので、これ(ウラ読み)ができないと円滑に仕事、意思疎通なんてできない訳です。

 

たとえば、

ベトナム人スタッフに"Are you OK?"と聞いても

たいていの場合"OK,OK!"としか返ってこないが、

実はめちゃ体調悪かったり、仕事が全然進んでなかったり、

重大な問題が発生してしていたりする訳です。


だから表情、雰囲気を見て、

「ホント大丈夫?もし良かったら力になりたいんだ。話し聞かせてくれないかな」

と声をかけると、

「ああ、前さん。実はね、、、(泣)」

みたいなこと、実によくある訳です。

 

そして、こういうやりとりがあると、相手からの信頼感はとても強まります。これも経験則です。

 

↑私がオーナーとして経営していたホテルのスタッフたち。話しを聞いてあげることが本当に大事でした。いまだに彼らからはメッセージが来ます。
 

上のようなコミュニケーション障害は日本人同士でも当たり前に起こりますよね。
とりわけ最近の日本人は、本当の気持ちや事情をそう簡単には話さない。笑
 

 



例えば塾(私の職場)でも、期末テスト前に、

「どう?◯◯くん、テスト準備進んでる?」

「あ〜、はい、やってます」目が一瞬泳ぐ。

 
ここでその言葉を鵜呑みにして「そっか、頑張れよ」としてしまうと、信頼関係は1ミリも深まって行きません。むしろ「この人は私のこと分かってくれない」と心は閉ざされ、離れて行きます。
 

はい、ここでウラ読み(言葉は悪いですが)発動です。

 

「お!偉いね。でも大変でしょう?苦戦してるところもあるんじゃない?」

 

「・・・はい。実は歴史が苦手で全然進まないんです。」

 

「そっかあ。先生も歴史苦手だったな。そうだ!いいやり方があるんだよ。ちょっと一緒にやってみようか」

 

「はい♪」・・・という具合です。

 

 

こういうやりとりが上手くいくと、生徒は実にいい笑顔を見せてくれるんです。

次から悩みがあると私に相談してくれるようになります。

 

 

 

 

本当の気持ちを理解されていないと感じている子どもが多いと思います。

実の親でさえ、子どものことをどこまで理解できているのか。

親の経験と価値観で決めつけられ、断定される。・・・そんな構図が、保護者面談から伺えることが多々あります。

 

 

そうやって育てられた子どもがそのまま大人になると、自分の弱みになるようなことは決して言わなくなります。

でも口から出る言葉とは裏腹に、心の奥では理解されたいと思っているはずなんです。

人間には承認欲求がありますから。

 

 

 

 

◆ コミュニケーションの真髄

 

だからコミュニケーション、人心掌握の真髄は、

相手を肯定しつつ(否定から入ると相手は心を閉ざします)、相手の言葉とは裏腹な真意を推し量り、

 

 

「実は◯◯なんじゃないの?」

 

と言い当てて、口には出さないが実は本人が一番気づいて欲しいことを声かけしていくこと、

つまり「ウラ読み」だと私は思います。

 

 

私は日常的にこれを実行していますので、生徒は信頼感を深めてくれ、どんどん話したり質問に来てくれるようになります。

 

 

 

 

◆ まとめ

 

この「ウラ読み」コミュニケーションをいい形で行うには、

相手に対する好意と思いやりが大前提となります。

これ(好意)がなければ、ただの人間不信です。苦笑

 

 

大人・親から子どもに対して、

先生から生徒に対して、

職場のリーダーから部下に対して、

社長から幹部社員に対して、、、

 

確かなコミュニケーションが取れるようになると、

人間関係、信頼関係が深まり、

それぞれのパフォーマンスも高まっていくはずです。

 

さらに素晴らしいのは、そんなコミュニケーションを通して、

人からの思いやり・気遣いを感じた人は、

それをほかの人に対してもできるようになる、、、つながっていくのだと私は信じます。

 

 

自分の生きる環境で、そんな思いやりが広がっていくよう、人と接していこうと心に期しています。

 

以上です。

 

 

 

 

↓最初は同僚、のちに従業員になったルンさん。彼は私のウラ読み力を鍛えてくれました。笑

 『行方不明の友・ルンさん①』こんにちは。前です。今日はあるベトナム人の友達について書きます。  2011年夏、アジアの観光関係の仕事をしていた大学の先輩の紹介で私はホーチミンに仕事を得て…リンクameblo.jp


『行方不明の友・ルンさん②』私がベトナム人教育会社でスタッフを採用し、順調なスタートを切って間もない頃。   ルンさんが電話して事務所にやってきた。 「集金に手をつけてしまい、会社をク…リンクameblo.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑ベトナムの大学生で、通訳のフーンさんと、私のベトナム語の先生のマイフーンさん。

最初はお寿司に誘っても「いえ、いえ、私たちには分布相応です」となかなか受け入れてもらえませんでした。もちろん、最後にはお寿司行きましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

◆人が変われば企業は変わる。

しかし、人が変わらなければ結果(企業のパフォーマンス、客数、売り上げ、利益)も変わらない。

 

経営コンサルタント時代に、数多くのクライアント企業で経営者が頭を悩ませていたテーマです。

 

「人が変わる」とは、

望むような成果が出ていないそれまでの問題点を自分の中に見出し分析し、改善し、自分の考え方や動きを変えていくこと。

ここで大事なのが「自責視点」で分析、反省することです。

 

 

「社員が悪い」「上司が悪い」「他部門が悪い」「世の中が悪い」・・・果ては「客が悪い」など

原因を自分以外のせいにする「他責思考」では何の変化も起こりません

 

 

そうやって自責視点で考えや行動を変えていくことが人の<成長>であり、

それが企業の成長をもたらすのですが、人間ってなかなか変わらないものです。

 

長年慣れ親しんだ自分のスタンダード(基準)ってそうそう変えられるものではありませんから。

その変革は、よほどのきっかけや気づきがないと起こりません。

あとは<謙虚さ>が必要ですね。(笑)

 

 

口では「分かった!そうする!」と言いつつ、行動が変わらず会社をつぶしてしまった社長さんもいました。

(手形が落ちるその日にゴルフに遊びに行ってしまい、帰ってきたら会社が管財人によって鎖でぐるぐる巻きにされていて入ることさえできなくなっていた)

 

 

この10年ほど子供教育に携わってつくづく思うのは、

大人よりも子供の方が、納得さえすればよっぽど素直に変わりやすいということです。だから子ども教育って本当に楽しいです。劇的な変化や成長を頻繁に目の当たりにすることができます。

image

 

 

今日は大人の方について考えてみます。

 

 

 

◆大人に「変われ」と言いにくい時代背景

部門のリーダーが、あるいは平社員が、

パフォーマンスを劇的に向上させるためには、それまでの自己流から脱皮して新しい考え方、生き方を実践していく必要がある。

・・・しかし人間はなかなか変わらない。

 

コンプライアンスとか、モラハラ、パワハラが当然のこととして訴えられるようになった昨今、

「君、これはこうしなさい」「今までのやり方をこう変えなさい」と、

人のスタンダードの変革、自己流からの脱却を求めにくい世の中になっている。

 

そんな中で、

「社員には無理強いなんてできない。そんなことしたらすぐに会社を辞めてしまう。

 彼らが気づいて変わってくれるのを気長に待つしかない」

という選択を(仕方なく)している経営者やリーダーは結構多いのではないかと思います。

 

社員個人の意思や気持ちを優先、尊重して、ゆるくぬるい指導にとどめる訳です。

・・・その結果赤字を垂れ流し続け、会社が傾いたりつぶれたりするケースもきっとあるはずでしょう。

 

これは全く本末転倒な話です。

なぜなら、

社員の自由度を優先して会社がつぶれてしまったら社員の心も幸せも満足度もないから。

 

 

 

 

 

◆心は折れるようなものではない/自己反省・自己否定できない大人たち

人が変わる(パラダイムシフトを起こし成長する)ためには自己反省が不可欠です。

自己反省とはそれまでの自分に対する自己否定です。

それまで上手くいっていない自分の考え方ややり方を客観的に反省し、

それを改善すべき問題点と捉えること、つまり自分自身を一旦否定すること。

 

この自己否定ができないと、企業も人間も成長することはありませんが、

昨今この自己否定ができない若者が多くなっていると感じるのは私だけでしょうか。

 

そういう人たちは打たれ弱く、すぐに「心が折れた」とか「心が折れそう」とか口にするのですが、

そもそも心は折れたりするようなものではありません。

 

 

そう、心は折れない。

ただ、やる気がある状態か、やる気がない状態か、なだけです。

 

ただこれは本人だけの問題ではない。指導する立場の人がどれだけその人のモチベーション、やる気を引き出せているかという問題も極めて重要だ。

 

欠点指摘やあるべき論が強い私は、ついここがないがしろになってしまいがちなのが常に気をつけなくてはならない点だ。

相手の目線、相手の気持ちを汲み取ろうとすること。

 

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↑ベトナムで私がオーナーとして投資し、経営立て直しに取り組んだホテルの従業員たちと。

その過程では、変化の痛みもあれば、それまでできなかったことができた喜びもありました。私がやってきて1年経った時点でみなの給料は1.2〜1.5倍にはなっていました。涙も笑いもありました。

 

 

 

◆会社の内部要因にこそ改善すべき原因がある

会社が赤字で業績不振ということは外部要因もあるでしょうが、

必ず内部要因、内部の人の問題もあるはずで、むしろ内部の方が比重は大きいはずなんです。

 

「不況の世の中が悪い」?・・・そんなことはないです。

だって、世の中には同じ経済状況の中でも、黒字の会社、世間から評価を集め、儲かっている会社もある訳ですから。

 

 

業績が思わしくなく、本当に会社をV字回復させたいなら、

社内の多くの人にそれまでの自己を反省し、自己否定してもらい、

自己改善からバージョンアップしてもらう必要があります。

 

 

その過程で、やっぱり「心が折れそう・・・」なんて言葉が出てくるでしょう。

しかしそんな戯言(たわごと)に本気で取り合う必要はないというのが私の考えです。

 

これはサラリーマン(労働者)側ではなく、

経営者側、コンサルタント側の考え方だと言えるかもしれませんが、

企業の永続・繁栄が最優先と位置づければ正当化されると思っています。

もう一度言いますが、会社がつぶれちゃったら社員の心も幸せもないですから。

 

 

 

◆打たれ弱い人をどう改善に導くか

一定数いる打たれ弱い人間に対しては

 

・そのがんばりを認め、ほめてモチベーション上げてやることと、

 

・ウィークポイントを指摘して改善の方向性を指導してやること

 

のバランスをとりながら、成長した自分の未来をイメージさせてやればいいだけだと、、、

それこそが真の指導だと私は思います。

 

つまり、やる気を引き出しながら、並行して指導して変化を促すのです。

 

 

その過程において、

自己否定の痛みと同時に、新たな自己実現の喜びを生み出してやる。

それが会社、部門を生まれ変わらせる真のリーダーの使命だと思うのです。

 

それができず、「みなさん自分流でよくがんばってくれています」とか甘いことをリーダーが言ってたらその会社は傾きます。

 

不景気の今こそ、リーダーはその点において”強く”あることを意識するべきです。

 

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↑ベトナムの日系製菓企業の営業リーダーたちへのチームビルディング研修を経ての目標達成祝賀会にて。写真に写っているのは、それぞれが数十人くらいの販売チームを持つリーダーたち。この笑顔に至るまでにいくつもの不平不満や愚痴、涙がありました。

 

 

 

◆子供教育との共通点

これって実は私が従事している学習塾での子供教育とまったく同じなんですよね。

 

今の子どもに「やれー!」といったってやらないですよ。

 

強制命令では人は動かないし、変化しない。

やる気、モチベーションを高めてやる配慮を先生がしないと子供は変わりません。

 

山本五十六が言っていた通りです。

古今東西、大人も子供も同じ。

 

 

自分への戒めとともに、

そんな先生、そんなリーダーが増えるのを願ってやみません。

 

↑先述のホテルで私がオーナーになってから1周年記念会。笑顔。

 

↑ホテルと並行して勤務していたベトナム人教育会社のホーチミン営業所長の時。事務スタッフ(左)と研修講師(右)。最初は二人が仲悪くて大変でした。。。笑顔。

 

 

 

 

 

みなさん、こんにちは!
 
 
 
◆教わっているのにテニスがうまくならない人たち
 
Aさん(女性)
1月17日(土)は、サーブの威力をアップしたいという女性に頼まれて、そのための身体の使い方を教えさせていただいた。
30分ほどやって見違えるようにサーブのキレが増し、すごく感謝してもらいました。良かった♪
ただその女性、週に1回、テニススクールのコーチにプライベートレッスンを受けているそうです。
サーブについて教わったけど本人は満足できていないとのことでした。
 
Bさん(男性)
1月18日(日)には、昨年ベトナムで私のプライベートレッスンを受けてくれていた生徒さんで、いまは帰国して広島県在住の男性が、「フォアハンドがまったく打てなくなった。毎週レッスンで教わっているのにむしろ崩壊してきている」と連絡してきました。しばし話した結果、来月はるばる岡山まで教わりにやってくることになりました。
 
二人とも、教わっているのになんで上手くならないのでしょうね。
私が顔を出すテニスの場には、こういう人が実に多いです。
 
 
 
◆テニススクーではテニスは強く/うまくならない⁈
考えてみれば、いわゆる(ほとんどの)テニススクールではテニスは決して強くならないという意見(↓下の動画)には私もまったく賛同します。
 
実際にいくつかのスクールに通ったり体験レッスンを受けて、テニスの技術的ポイントがきちんと言語化できて話せるコーチって本当にいないです。
 
私の過去48年のテニス人生を振り返ると、たった2人しかいません。
(東京で二軸式打法を教えてくれたKコーチと、ベトナムでフラットドライブ打法を教えてくれたSコーチ)
↑こんな風に身体の使い方をレクチャーするテニススクールは極めて稀です。写真は股関節と体幹の使い方について説明を受けているところ。私はここで現代風の体幹でボールを飛ばす身体の使い方を学びました。2010年ごろ。
 
 
下の動画の中で言っていることを一部紹介すると
・ほとんどのテニススクールでは、教え方が下手なコーチでも教えられるよう、画一化したマニュアルでレッスンが行われている。そのマニュアルに従ってもテニスは決して上手くならない。

・そのマニュアルに示されている代表的なメッセージが「ラケットを早く引きましょう」(これで致命的にヘタになる)とか「メンタルの問題ですね」。爆笑
 
・ほとんどのテニススクールで教わるスイングは「手打ち」で身体を傷める
 
・どこにどんな球が来るか分かっている球出しの練習では、多少打ち方が間違っていてもコートには入るようになる。しかしどんな球が来るか分からない試合ではまったく通用しない。
 
といったものです。
ここまで言っていいの?(笑)というくらい気持ちよく言ってくれています。
 
選手として素晴らしい過去の戦績を持つコーチをズラっと並べたスクールもありますが、名選手が名コーチとは限りません。
コーチングスキルって、どれだけ技術的ポイントが言語化できていて、生徒の状態や理解度習得度に応じて適切な指導を分かりやすく伝えられるかどうかです。
テニスが超強い人がそれにあたるかどうかはわかりません。

実際、世界ランキングナンバーワンの選手にもコーチはいる。野球ですが大谷翔平にだってコーチがいる。
でもそのコーチは試合に強い訳ではないですよね。


 
↓クリック!面白いですよ。
 
◆テニスに求める目的とそれを実現する手段
テニスを、
・エクササイズ(健康のための運動)
と捉えるか、
・対人競技、勝負
と捉えるかで、目的は全然異なってきます。
 
週1日か2日くらい、身体を動かすのが目的の人には上の動画で言っているようなテニススクールのシステムでも問題なくマッチします。上手くならなくても汗をかけたらいいんですもんね。
だったら(汗をかきたいなら)テニススクールでなくても、ジョギングでもウォーキングでもいいのではという気もしますが。(笑)

↑2015年、ベトナム在住の日本人小学生のレッスンを手伝っていましたが、今思えば、強くなるための指導ではなく、ほぼ「エクササイズ」でした。
 
 
ただし、最初に出てきた2人のように、技術的にうまくなりたい試合で勝てるようになりたいという目的の人には、ほとんどのテニススクールは意味がないです。目的と手段が合っていない。
 
結論。
99%のテニススクールは「健康的に身体を動かしたい」という人の満足を満たすエクササイズの場です。
間違いない。
 
 
 
◆私のテニス観:「勝負!」
 私のテニス観は、
試合は1球1球が真剣勝負。斬らなきゃ斬られる。
・・・練習からそんな心構えでやらないと強くならないし、試合に勝てるようになる訳がないと心底思っています。
ベトナムでプライベートレッスンをやっていた時もそうだったし、いま私が頼まれて教えるときも、
対人スポーツであるテニスで”相手を斬る”ための技術を教えるようにしています。
小学生に教えるときもそうしてきました。

4月に小学4年生、6年生の姉妹を教えた時は、2人とも結構長くスクールに通っているのにフニャフニャなボールしか打てなかったのが、2時間のレッスンでバシバシと重く速い球が打てるようになり、上級者のお母様が目を丸くして驚いていました。

 
ふわっとボールをつなげる、ただ返すだけの技術には興味がないし、教えたりはしません。
(でもホームコートで年配の方や女性とダブルスするときはもちろん盛り上がるように手心を加えますよ。)
 
 
試合に勝ちたい、強くなりたいのなら、
その目的にあった練習をすること。
 
より強く球を打てる身体の使い方、スイングの仕方を技術的に学び、
実戦(試合)に近い形式とメンタルで行う。
(真剣勝負の緊張感のない練習で強くなることは永久にない)
 
 
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余談になりますが、これは塾も非常に通じるところがあります。
 
新しい知識だけ学んでも勉強した気にはなりますし、実際に勉強はしているのですが、
それだけで学校での成績・順位や、志望校の合格可能性や偏差値は1ミリも動かない。
 
なぜなら、ほかの塾に通っているライバルも、塾に通っていなくても学校の授業で、
その新しい知識はみんな勉強する機会を持っている訳です。
順位や偏差値を決めるのは、その知識にどれだけ磨きをかけるかです。
本番、実戦、テスト、入試を意識した練習がどれだけできるかです。
 
その磨きのかけ方・・・つまり日々の勉強方法や時間の使い方を指導して変えていかないと生徒の成績(相対順位)は変わらない。
私は塾の価値はそこにあると考えています。
 
 
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目的と手段をマッチさせる。
大事ですね。
 
 
 

 

2026年、明けましておめでとうございます。

 

昨年11月から今年3月末まで約5か月ベトナムに滞在した時、

ろくに手当てが払えなかったのに、献身的に私に尽くしてくれた2人、

ルンさんとコアさんにお年玉を送りました。

(人様にお年玉を送るような身分ではないのですが)

 

 

◆ルンさん

ルンさんは2011年からの知り合い。

実はルンさんは夏に一度、「金がない。少しだけでいいので貸してくれないか」と言ってきたが、月末で私もまったくお金がなく断った。(所持金が500円を切り、途方に暮れた日にもらった連絡だった。恥)

だからずっと申し訳なく、常に彼が生きているか気になっていて毎月、「生きてるか?」と送り続けてきた。

 

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◆コアさん

もう一人のコアさんは、2016年までホーチミンで私が副業としてホテルの経営をしていたときに、受付のリーダーをやっていた。

今回、昨年11月からのベトナム滞在時はやろうとした事業のスタッフ募集の面接同席や、家探しや様々なものの買い出しなど、彼の家庭での役目(子供の学校送り迎えなど)が色々ある中、ブンタウというところから毎度バスでホーチミンまで通ってきてくれた。

 

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私の入社半年のボーナスから思い切って奮発して送った。

(お金持ちの人からすると普通の額かもしれないが)

 

サプライズは驚くくらいでないと意味がない。(笑)

 

 

 

二人が「happy」と言ってくれたので良かった。

送金に協力してくれたホーチミンのNさん一家にも感謝。

ちょっとサンタさんになった気分。

 

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2025年を表す漢字

 

みなさんこんにちは!

2025年の漢字は「熊」だそうですが、

 

私がこの1年を振り返り、漢字1文字で表すとしたら、

「変」

を選びます。

 

タイトルの通り、「変わる」という意味です。

 

人間は変わりたがらない生き物ですが、

でもそれはあくまでなかなか変わろうとしないというだけで、

目的があり、その達成に向けた道筋に納得すれば変化することができる。

 

日々の生き方、場面場面でのちょっとした選択を変えることができ、

その積み重ねによって、結果、パフォーマンスに劇的な変化をもたらすことができる。

 

 

 

 

生徒たちに起きた変化

 

3月末にベトナムから帰国。

4月末からとある進学塾で勤務するようになり、

校舎ではたくさんの変化を起こすことができました。

 

いくつか例を挙げましょう。。。

 

(1)心が折れてしまった受験生

外部模試で惨憺たる成績だった時、

あるいは

友達に遊びに誘われたりした時、

あるいは

部活や運動の習い事などで身体に疲労がたまっている時、、、、などなど

 

大人だって何かを「もう無理」と思うことがあります。

まして相手は10年前後しか生きていない子供たち。

いくら私が折に触れて人間学の薫陶をしていたとしても、

心が折れそうになることがあるのは避けられない。

当たり前のことなんです。

 

小6受験クラスで、昨年そういったことが2回(2人)ありました。

 

そんな状態にさせてしまったのは、一重に私の普段の教えが足りなかったからに他ならず、深く反省すべき点なのは承知していますが、

 

ただそんな時、大人が

「勉強の時間よ。さっさと塾に行きなさい」

「やると決めたんだからやりなさい」

「お父さん、お母さんの期待に応えるためにがんばりなさい」

なんて大人目線のあるべき論をぶつけたところで、

目の前が真っ暗になってしまった子供の心に光が差す訳がないのです。

 

 

その子が塾にやって来ず、保護者の方から「模試がひどい点で、本人が『どうせ合格しない、もう行きたくない』と言ってまして・・・」と電話がかかってきた時、

あるいは

もう一人の生徒が母親と塾に来て、目を真っ赤にして「もう塾を辞めたいです!友達と遊びたいです!」と言ってきた時、

私がとった対応・声かけは、今となっては私にとって当たり前のことでしたが、おそらく塾業界の常識とは異なるものでした。

咄嗟、瞬時にそのような対応が取れる塾講師はそう多くないと確信します。(私の前職の上司を除いて)

 

結果、2人はすぐに塾に戻ってきた。

いまでは2人とも、目に強い意志の青い炎を静かに燃やしながら、真摯に冬期講習に向き合ってくれています。

 

 

日々のちょっとした選択時に甘い方ではなく、厳しいが自分のためになる選択をする大切さ、そして頑張っている人のつらさを知った彼らはたとえどこの中学校に行ったとしても、自分への厳しさと同時に周囲への思いやりを忘れず、苦しんでいる人に手を差し伸べてやることのできる素晴らしいリーダーに育っていくと確信しています。

なんとも愛おしい子たちです。

 

 

 

 

(2)「時間がなかった」と宿題忘れ、適当な取り組みを繰り返す生徒

宿題を出しても「時間がなかった」とか「忘れていました」とやってこない生徒たち。

⇒今では宿題忘れはゼロ。完全になくなりました。

 

毎回同じ言い訳で2回、3回と宿題忘れを繰り返し、私に一喝され涙し、その後「生き方」をほんの少しだけ変革させてくれた結果、成績が爆上がりした生徒さんがうちの校舎には多数います。

 

それはただ一喝しただけでなく、

・なぜ自分がやらなかったか(その心のメカニズム)、

・自分に甘くすることがどういう結果になるか

・自分の周りの頑張っている人、頑張れない人を思い浮かべてみること

などを繰り返し、形を変えながら話して聞かせたことが奏功したのだと思っています。

 

ただ勉強習慣を強制(←教育現場あるある)したのではなく、

子供たちに日々の努力の大切さを説き、彼らが納得してくれ、

さらに変化が定着するまで粘り強く、暖かく声をかけ続けたからこそです。

 

 

 

 

 

 

(3)定期テストの準備がずさんな中学生たち

私の着任当初、定期テストの勉強は範囲が発表される1週間前からで、やるのも学校のワークをなんとか1回通りといった生徒たちがたくさんいました。まぁ、宿題への取り組み方を見れば推して知るべしなのですが。

⇒今では平素からワークを進め、2~3週間前からギアを上げてワークは2周、3周やるのが当たり前という空気になりました。

 

 

 

「準備は早く始めろよー」「1回だけなく繰り返しやるんだぞー」と生徒に言うだけなら、ちょっと気の効いた学校の先生でも塾の先生でも誰もが言うだろう。

・・・でも生徒は変わらない。変わるわけがない。

そして先生は「やれって言ったんだけどなー。あいつダメだなー」と生徒の責任にする。・・・クソ先生です。(笑)

 

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(4)先生を変える、保護者(親)を変える、自分を変える

生徒、子供たちだけではない。大人についても、

人から「〇〇やった方がいいよ」

(「読書した方がいいよ」とか「健康のためには週に何回か運動した方がいいよ」とか)

と勧められて日々の生き方のルーチンを変える大人がどれだけいるか。

 

・・・断言できる。ほぼ皆無だ。

 

なのになぜ子供には一度言えばやる、やり方を変えると思うのだろうか。

そんな大人、指導者、虫が良すぎないか。

 

本当に生徒のことを思うならば、生徒がやる気になるまで話してやり、そして実際に変化が定着するまで、親心をもって粘り強く、強制にならないよう、声をかけ励まし、背中に手を添え続けなけらばならない。

 

 

言い方を変えると、、

要するに1日8時間だけ生徒や校舎のことを考えるのでは全然足りない。家で休みの日も風呂の中でも布団の中でも24時間考えていないと人の生き方を変えることなんて叶わないということです。(少々極論ですが。)

 

 

でもそれができない先生が本当に多い。学校も塾も。

 

なぜなら先生たちも自分のこと、自分の時間が大切だからだろう。

人間だから、所詮自分が大事なのはわかる。

 

でも人を育てるということは、相手の生き方(勉強習慣、日々の選択、考え方)を変えることに通じる。

大変な作業である。

親も同じで、自分のことよりも子供、生徒のためを考え抜かねば、

相手がどう感じているかその気持ちを汲み取り、

自分の人生の時間を捧げるくらい考えて子供に声をかけ、接し、励ましていかねばならないのは、親になった経験のある人なら当然にわかるはずだと私は思う。

(私は毎朝テニスの早朝練習を2~3時間やりますが、その行き帰りの自転車に乗っている最中も、コートにいてラケットを握っているときも頻繁に生徒やその日の授業のことを考えています。夜、夢でもよく見ます。正味1日20時間前後は子供たちのことを考えています。これは決して大げさな話ではなく、そんな経営者、部門責任者たちにたくさんお会いしてきました。本当に部門を伸ばすリーダー(塾で言えば校長)は1日24時間考えている。)

 

 

・・・でもできない先生が多い。よくて勉強の知識を浅く表面的に語っているに過ぎない。そんなことで生徒の生き方は変わらない。それだけならAIでもYoutubeでも事足りる。

 

そんなAI先生は、いざという時に自分を優先し、できない生徒の理由を生徒のせいにする。

違うだろう。生徒ができないのは、すべて教える側の責任である。

 

 

私は長い間、こういう先生、リーダー(人を導く立場にいるのに、できていない、「自分が大事」という人)を見るとほっておけずついストレートな一言を投げつけてきた。そしてそのほとんどが反発しか生まなかった。

前職では最初の上司にそれをやろうとし、陰口をたたかれ続け、苛め抜かれた。

まぁ部下が上司にかみつけば、そうなるのが世の常で、悪いのは生意気な部下となる。

 

 

 

 

・・・そういう「行き過ぎた正義感」、これは父親譲りなのだろうと思う。

父も岡山県内の著名な医師を叱咤、指導していたと聞く。(父の葬儀でご本人たちから聞いた。私も子供の頃、その光景を幾度も目にした覚えがある)

 

 

昨年は1年間の中で、これ(正義感の直球)がかなり抑えられるようになってきた。

帰国当初は相変わらず直球を投げていたが、夏ころから「このままではいかん」と気付き、他の先生に接するときも子供に接するときと同じように、相手の気持ちを尊重した上で変化球を投げられるように少しずつなってきた。

 

 

自分の子供のことをダメ出しし、子供が家で勉強しない様子、学校成績が上がらない状況をすべて子供のせいにして、そのやる気をそぐ言葉を投げかけていた保護者に対する話し方も変わった。

「お母さんが子供の頃、親からそんな風に言われたらどうでした?」とか

「職場で上司からそんな風に上から全否定されたらどうです?やる気でます?」

ワンクッション入れられるようになった。

面談で涙し、気づいてくれた素晴らしい保護者は1人や2人ではない。その後2~3か月でお子さんの成績は爆上がりした。当然だ。

 

 

これが昨年、私に起きた大きな変化の一つです。

 

これができるようになってから、私が現在一番身近に接している先生にも大きな変化、劇的な意識改革が起こりつつある。

そのおかげで、例年は問い合わせや入塾がほぼないこの時期に、破格の数の生徒さんからの問い合わせや入塾が続いている。

地域に口コミで評判が広がりつつあるのを確かに感じる。問い合わせのすべてが友人、その保護者からの紹介だからだ。

 

 

 

 

(5)自分を変える/その②

人に対する接し方だけではない。

自分の日々の生き方にも大きな変化を起こすことができた。

 

具体的に書くことは差し控えるが、

58年生きてきて本当にできなかったこと(「ボンボン育ちのせいで」と言うと少しヒントになるでしょうか)が昨年後半からできるようになった。

日々のちょっとした場面での選択を180度変えることが意識的にできるようになった。

 

↓今日の自炊。値引きしてた和牛を使った肉じゃが

 

 

 

 

この肉質(サシ)!

200gで700円は和牛にしては破格と思って衝動買い。

 

 

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同じ生き方をしていれば、同じ結果が出るのは当たり前。

多くの人間は、同じようなミス、過ちを繰り返しているはず。

それは同じ生き方をしているから。

 

でも少しでも生き方、日々の選択に「変」を起こすことができれば、

人生は新しい道筋(ルート)を進みだす。ドラマチックに。

 

 

これを人に指南していく。

 

---父から授かった私の天職だと思っています。

 

 

↑中3受験生、高校生に面談で渡している資料の1ページ。

 

 

 

 

◆私は友人が少ないことについて

 

私のわがままな性格と、おそらく何かの発達障害(人の気持ちを汲み取れなかった)のため、小学校、中学、高校と真に理解しあえる親友と呼べる存在はできなかった。

 

18歳になり精神年齢がわずかに成長したおかげか、

人生を振り返って私が「親友」と認定している人は大学時代以降しか存在しない。

 

 

まぁ、私って客観的に見て、生まれてくる時代を間違えたかのようなある種の「変人」ですからね。

私の傍若無人ぶりを許容してくれる人が高校時代まではいなかったのだと思います。

いずれにしても、友人の少なさは私のぶっとびっぷりの当然の結果だと、そのことは認めております。(笑)

 

 

 

◆大学で得た盟友

 

小学校時代岡山で育ち、四国・愛媛の進学校を受験し寮生活。

大学で初めて東京に出た私が入部してしまった、大学の華麗なカラーとマッチしているとは言い難い<超体育会系テニスサークル>で私は何人かの親友を得るに至った。

 

テニスのイメージとは程遠い厳しい練習の中で共に励まし応援し合い、

執行学年ではそれぞれの立場でサークルを支えてきた仲間たちは私の中では「同志」であった。

 

 

その同期の中で、

3年生の時に私が主将(キャプテン)で彼がマネージャを務め、共にサークル約120名を率いて、

大学5年の時にはダブルスでペアも組んだし、

試合の前にはいつも彼の実家に泊めてもらいご両親にも大変お世話になった友がいる。

 

社会人になり彼は長くアメリカで活躍しており、私がベトナムで結婚式をした時はわざわざ地球の裏側から祝いに駆けつけてくれた。

 

 

 

【盟友】という言葉がある。

ネットで調べてみたら

「友情を誓った友」「固く誓い合った友人、同志」とある。

 

うーん。そこまで重いニュアンスを求めていない。

検索を進めるとこんな表現に出会った。

 

「よいことも悪いことも一緒に体験した関係のこと」

「苦楽を共にした戦友、生死を共にした友」「チームメイト」

と。

うん。これに近いかな。別に生死を共にした訳ではないけど。笑

 


さらにこんなのも見つけた。

 

「漠とした一点を共有している者同士のこと」

 

これだ!これが一番しっくりいった。

 

 

 

その彼が、ご親族のお見舞いでアメリカから1週間だけ帰国するという。

東京ではタイミングのあった同期が集まるとLINEで連絡が来た。

 

最初は「受験を来月に控えた生徒たちもいるし、今仕事は休めないよな」と我関せずのスタンスを決めていたが、

ふと

「お互いいい歳だし、このチャンスを逃したら彼ともう会うことはないかもしれない」

と考えを改め、上司に有給休暇を取れないかそれとなく聞いてみたら快諾してくれた。

 

急遽1泊2日の東京行きを決めた。

東京は1年半ぶりだ。

山手線。学生時代から比べたらホームには電動の柵ができたり、灰皿が無くなったり。(当たり前ですが)

何より3〜5分に1本電車が来るのは岡山では有り得ない未来都市のよう。笑


まあ、人が多いこと。


銀座。


 

宴席に集まる面々、一人ひとりと乗り越えた苦楽があった。

そんなことが一つひとつ思い起こされた。


それぞれが違う人生、異なる価値観を持っていまを生きている。

同じ目的や利害関係がベースとなっている仕事上のつきあいとは別世界のものだ。



確かに共有した時間はあった。

何が、なぜ「漠」なのだろう。



僕はこう考えた。


学生時代にあのテニスサークルで、一緒に過ごした時間そのものは、確かに存在した。


でもその時間の中に当事者である僕たちが見出し、価値を感じたものを言語化して定義しようとすると、それはものすごく難しく、また人それぞれ異なるワードが出てきたりして、明確な定義は一つに絞れない。



別の例で考えると、同じ映画を観たり同じ小説を読んだりしても、人によって受け止め方は異なるということ。そうですよね?

小学生に人間学の話を読んでもらい、書かれた感想文はまさに虹色玉虫色です。「こう書くべきだ!」と生徒に押し付けるような人間は先生、指導者になってはならない。




話を戻します。

でもそれぞれが何かあの時間から得た確かな価値を胸に抱いているからそのつながり(同窓会とか同期会みたいな)が続くんだろう。


例えその価値が、人によって漠として言語化されていなくても、

あるいは言語化したとして、人によって違ったとしても。


自分にとってそこには確実に、自分が価値を感じた何かがある。


だから集まると、触れると、心地よい。

でもお互いが感じている心地よさは、人それぞれ異なる玉虫色ということだ。




一見すると、冷めた意見に見えるかも?



そんなことない。

人それぞれ感じ方が異なるのは、先述の映画や小説でも、性行為だって当たり前。


そこで相手に「同じものを同じように感じてくれよ」なんて求める方が無茶というもの。発達障害で人の気持ちや考えを汲み取れなかった頃の自分と同じだ。



相手の価値観、受け止め方を理解、尊重できるからこその「漠」という表現なのだ。




さて、

会うと約40年前の学生時代が一瞬で戻ってきた。

あの頃私が抱いた「思い」がそうさせるのだろう。

「思い」・・・まさに「漠とした一点」。


お互いがそれぞれの思いを確かめ合っている訳だ。


それでいい。


久々に人と食事をした。しかも笑顔で。

おねがい

 

人生には様々な人間関係があるが、

この、利害関係や依存関係は微塵も絡まないが、

漠とした一点を共有しているもの同士の関係・・・【盟友】というのは、

これほどまでに得も言われぬ精神的充足を感じさせてくれ、活力をもたらしてくれることを改めて実感した。

 

 

盟友たちに乾杯。

生きているうちにもう一度会えるといいな。

 


 写真はクレームいただいたら取り下げます。