梅さんが冬休みが終わって1週間経ちました

短縮も終わり

やっと通常生活に戻りました口笛

ブログもボチボチはじめることにしました。。

寺ネタはしばらくお休みして

 

私が見に行った美術展の備忘録でございます☆

 

2017年秋、たくさんの会場で北斎をテーマにした美術展がたくさん行われていました

そのうちの一つ

北斎-富士を超えて- あべのハルカス美術館

 

見に行ってきました!!

 

 

大盛況!!!

朝一に行っても開館していないのにもかかわらず

30分待ちになっていました滝汗あせるあせる

幼稚園のお迎えの時間もあるのでドキドキの展覧会でした滝汗あせるあせるあせる

送れたらごめんね…梅ちゃん

 

NHK大阪が題材的にいろんな番組で宣伝していたのでその景況もあるかもしれません

 

葛飾北斎の没年30年ということもあり

ロンドン・大英博物館の特別展「北斎-大波の彼方へ」が5月から8月に行われ

ここでも満員御礼の大盛況でした

そのコレクションが大阪にやってきました

 

主に活躍した60歳からの30年をスポットにあてたもので

どれも見たことある!おもしろい!すげ!の連発デレデレ

 

ただ浮世絵なので小さい

人が集中するので見るのが大変でした

 

北斎といえば名前をたくさんかえたのに有名です

わかっているのでいえば30回かえたそうです

 

簡単な経歴を書すると

 

1760年 現・東京都墨田区の一角にて、 貧しい百姓の子として生を受ける

      、貸本屋の丁稚、木版彫刻師の従弟となって労苦を重ねる。この時、貸本の絵に関心を持ち、画道を志す

1778年 浮世絵師・勝川春章の門下に入り 「春朗」として勝川派の絵師として歌舞伎役者の絵をかいていました

1794年 勝川派を破門 理由は隠れて春章に隠れて狩野派の画法を学んだからとか・・・

      琳派や中国様式の絵を学んだそうです 

1795年 「宗理」の名を変え 

1798年 「北斎」と名乗り 肉筆・美人画 読本の挿絵をかいて有名人に

1814年 北斗七星をいただくという意味の「載斗」を名乗り 北斎漫画を描きました

1820年 「為一」 『富嶽三十六景』制作が始まります

1834年 「画狂老人」「卍」

1844年 信濃国は小布施に旅し、『怒涛図』などを描く

1849年 浅草にて没する 享年90歳

 

経歴見ただけで絵に情熱がすごい

色んな絵を学んで、年を重ねてもその情熱衰えることなく書き続けていたことにびっくり!!

 

展覧会は6章に分かれて展示されていました

第一章は画壇への登場から還暦

その大通りに初期の絵が展示されていました

 

今日は第一章 画壇への登場から還暦

 

 

デビュー作

役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」

 

玉巵弾琴図

全く和式のイメージしかなかったのにこんな絵もかくんだと印象的な絵でした

この絵はお弟子さんのもの(娘)

 

 

二美人図

北斎の美人画も新鮮かも

立ち姿の遊女は歌麿の影響を感じられ

座り姿は既婚者の落ち着きが感じ取られます

 

 

 

為朝の図

48歳の時に絵が認められて

曲亭馬琴作の「新編水滸伝」などの挿絵を担当

瞬く間に有名人になり

北斎の名が知られるようになりましたが・・

馬琴との折り合いが悪く衝突したそうです

 

つづく・・