甲賀・湖南観音紀行のつづき・・

 

水口は宿場町の他に城下町という面を持っています

 

 

水口岡山城

羽柴秀吉の命により中村一氏が甲賀郡の支配の拠点として築き入城

昔から、都から伊勢国へと通じる街道の要所として栄えていたところを宿場町としての基礎を整えました その後、秀吉の重臣が歴代入城していました

関ケ原では当時入城していた長束氏が敗走し、籠城していましたが

降参、開城しました。

 

 

時代は江戸に移り

徳川の直轄地になり、東海道の宿場町に指定されました

かつての中心であった水口岡山城廃城され、新たに城が築かれました

それが水口城

将軍の上洛の際の宿館として

作事奉行は小堀遠州がつとめ

二条城の御殿を模した豪華なものができたそうです

もちろん、小堀遠州といえば庭園!素晴らしい庭園もあったんでしょう

幕府から借りている城のため居城にもかかわらず、本丸御殿は使用していないとか

結果的に家光が一回訪れただけで、明治時代に廃城になりました

現代のはレプリカで内部が資料館になっています

 

城の前がしまむらというのがなんだか笑っちゃうのはわたしだけ?

 

 

岡山水口城にあったとされる大岡寺

俗に「岡観音」の名で知られています

寺伝によれば、僧行基が諸国行脚に際し

大岡山に一宇を建て

自彫の千手観音の木像を安置したのが創まりで

その後、寺勢は盛大を極め、十六箇院が建立されたそうです

 

とても立派な寺院なのにだれもいなく寂しい寺院でした。