甲賀・湖南観音紀行のつづきです

 

 

びわ湖百八霊場のひとつ・大徳寺へ

元は禅宗の林慶寺と言ったが

小田原の大蓮寺の僧叡誉に寺の建造を依頼し

浄土宗に改め浄慶寺と号しました

その後、僧叡誉が家康の幼児の学問の先生だった関係から

関が原の戦いの後、この寺に来て寺領29石余と金品等を寄付し、堂の増築もさせました

 

 

上洛の際に水口に宿泊する時は大徳寺に宿泊をしました。

山門の前の石垣はめずらしい積石法(植石伏)で小堀遠州の作

といわれています。

門を入って右の鐘楼前にある石は、家康が腰掛け叡誉上人

といろいろ話し合ったと伝えられています。

 

 

そこらへんに葵の紋がたくさんあります

 

 

大きな山門は修復中でした

 


なお、水口岡山城主長束正家と正妻栄子姫の遺児

仏門に入って大徳寺の3世の還誉上人(岌閑)に栄進し

北脇に栄照寺を建て父母の霊を弔ったといわれています。 

 

 

この訪れる3日には水口岡山城には藤岡弘、さんがゲストでイベントが行われたそうです

なんで藤岡弘、やねん!と思ったら

水口岡山城主長束正家の正妻栄子姫は本田忠勝の妹

本田忠勝は去年真田丸で藤岡弘、さんが演じていた縁なんですね

納得!!