熊野詣のスタートは京都・城南宮となります(*゜▽゜ノノ゛☆
京の貴族になりきって進めて
行きたいと思います。。



城南宮
この地にあった
式内社「真幡寸神社」に、
 神功皇后の三韓征伐際に船上に立てた旗に
八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まりで

平安京遷都の際に平安京の南にあることから
「城南神」と呼ばれました
後代になると京都御所の裏鬼門守る神となったことから
貴族の方違 の宿所となり、方除けや厄除けの神
としても信仰されるようになりました

方違とは
平安時代に最も盛んに行われた風習で、外出の際、
目的地が禁忌の方向に当たる場合、前夜に別の方角に行って泊まり、
方角を変えてから出発するなど、
直接目的地に行かず屈折して行くことで凶方を避けることを言います



城南宮があるこの地・鳥羽は
平安京の表玄関に当たる交通の要塞でありました
やがて貴族の別荘が建てられるようになり、
平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(鳥羽離宮)
を造営して院政
(天皇ではなく上皇が政治を執る政治)を開始されました

こうして白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代にわたり
政治・文化の中心となり副都市の賑わいを見せたのですが・・・
現代は本当にそうだったのか疑わしいぐらい
トラックや高速道路が近くに走っており、にぎやかには違いないのですが
とっても排気ガスくさいところになっています(´・ω・`)・・・・・・。残念です

さすがに城南宮内は緑があり
神聖の場であって空気はこのエリアだけキレイでした

(城南宮のHPより)

4代の上皇ととってもゆかりが深いもので熊野詣でありました
白河上皇・・・9回
鳥羽上皇・・・21回
後白河上皇・・・34回
後鳥羽上皇・・・28回と熊野御幸行われました

離宮もここにあるわけですから自然に
熊野詣出立の地になるわけです
熊野御幸前には陰陽師のト占により御精進、御進発の日が定められ
まず5日から1週間程の御精進は上皇はじめ随従する人々が魚、肉、葱、韮などを絶ってこもり
鳥羽の離宮で院政を執っていたので、ここの御殿を精進屋に当てここから
往復一月にも及ぶ信心の旅に出掛けたのです。
(えっ!あそこまで一月で往復できるのかとびっくり)

離宮の近くには大阪までつづく淀川があり
川でひとまず大阪→紀伊に向かいます

img_4_m.jpg

ちなみに(住吉大社から)一寸法師もこの川から京にやってきたんだよ♪

img_5_m.jpg

城南宮のマークは神功皇后ゆかりのもので
太陽・月・星がモチーフにされています
お洒落ですね

img_6_m.jpg