甲賀・湖南観音紀行の続きです・・
 

その小堀遠州・作と伝わるめでたい蓬莱の庭があるお寺へ
大池寺


奈良時代末期にこの地を訪れた行基さんが、
この大きな溜め池「心字(しんじ)の池」を造り
そのほぼ中央に本堂を立てたのが寺の始まりとされています

 

 

 


地元の方などの散歩コースなどになっている公園
池の真ん中に弁才天さまを祀っています
どうやらこの池は琵琶湖をイメージされているとか

 

 

※許可を得て写真撮りました


ど~~んとでかい釈迦如来様です

行基さんが一彫りごとに三拝したという
「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されています
生活に必要な池を作ってくださり
仏様も彫ってくれるなんて
なんていい人なんだ

 


その後、戦国時代になり
織田信長が甲賀攻めで村を襲ってくることを知った地元の人は
この仏様を運んで守ったそうです

 


歴史好きの方ならピンとくるこの紋・織田信長紋
えっ・・・さっき甲賀攻めで織田信長がこの地域を攻めてきた悪もんやん

甲賀攻めの後
大きな伽藍があったお寺は仏像のみ焼け残り、
その後約90年間
草庵に、安置されていたとはいうものの
風雨にさらされた状態でしたが
1667年京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際
草庵の仏像を見て、
寺の再興のため住山の決意

以後大池寺の再興に尽力し
1670年に仏殿、庫裡が完成
その時に多額の浄財を寄進したのが
後水尾天皇、伊達宗房や織田主水正信
中でも織田主水正信は
当地の地頭で織田信長の甥にあたり、
大池寺再建のため多くの寄進をしたのだとか

叔父のやらかした罪ほろぼしなんでしょうか・・・

 


北庭・見事な開山臥龍の松
この松をつくるのには長い歳月がかかります
ここまで大きくなるには何年かかっているんでしょうね

 


 
サツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園
 
あの芸術大名・小堀遠州によって作られてお寺です
真ん中の生垣が宝船を現し、他の生垣が大海原を表しているとの事です。
大海原から宝船がやって来るとてもめでたい庭
初夏にはさつきがきれいだそうですが少し早かったのか少ししか咲いていませんでした


つづく・・・