甲賀・湖南観音紀行の続きです

 


平安初期
鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており
嵯峨天皇は坂上田村麻呂公に勅命を出して
これを平定させました
それゆえに
交通の障害を取り除いて
土地を安定させた坂上田村麻呂公の御遺徳を仰ぎ
812年、嵯峨天皇は勅令を出して坂上田村麻呂公を
この土山の地に祀られることとなりました




坂上田村麻呂が鈴鹿峠の悪鬼を平定してよりのち
作物が実らず疫病が流行しました
嵯峨天皇は詔を出し
坂上田村麻呂公の霊験を以て厄除の大祈祷がされました
これにより、坂上田村麻呂公は厄除の神としてされ

 


また鈴鹿峠の悪鬼を討伐して交通の安全を保たれたことに加え
その後東北に出征され、これを平定されました
その御神威により、交通安全の神様としても崇敬されています

 

 

この神社独特の厄落とし方法
あっという間に終わってしまいました

 


拝殿

 


本殿
神仏霊場でなければ、訪れることのない神社
縁を感じます

 

バス停に戻ります

 

 

バス停のある道の駅でまず見かけたのはこの看板

蟹ヶ坂飴

 

どうやら伊勢に向かうこの坂のことを蟹ヶ坂というそうです

古くから土山宿の名物と知られ
「生野、茶屋あり、飴を煎じて売る。」とあります。


大昔、鈴鹿山麓に身の丈3mの巨大な蟹が出没し、
旅行く人や近郷の村人に危害を加えていました。
ある時恵心院の僧都がこの地に赴き、
説法を施すと不思議にも
大蟹が随喜の涙を流して悪行を悟り
我が身の甲羅を八つに割裂いてとけ失せました。
僧都は八つの甲羅を埋めて、蟹塚を建てると

不思議にも蟹の血がかたまって、八個の飴となったそうです。

それを竹の皮に包んで村人に授け、
「この八ツ割飴は、諸々の厄除けに効あり」と伝えました。


その後、数百年に亘り「厄除けの蟹ヶ坂飴」として
世にその名声を高めたと伝えられています。
江戸時代では、旅の疲れを癒す糖菓子として旅人に喜ばれた名物ということです

田村神社にお参りした後はここで飴を買って

厄払いばっちりです☆

 

神社散策が終えた後バス停前の道の駅にて

 

 


近江米バーガーを食べてみました 鰻ときんぴらを挟んだライスバーガー
半分はそのまま、残りは土山茶をかけてお茶漬けにして食べます

まぁまぁおいしかったです


つづく・・・・