清盛のゆかりの地・六波羅蜜寺へ
951年に醍醐天皇の第二皇子である空也上人によって創建された六波羅蜜寺
空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き
念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったといいます
西国三十三ヵ所第17番札所
で再び訪れることになりますね
六波羅蜜寺の六波羅蜜とは
菩薩が涅槃に至るための六つのこと
布施(ふせ) 財を与え、真理を教え、安心を与えること
持戒(じかい) 財戒律を守り、つねに自己を反省すること
忍辱(にんにく) 財苦しみを耐え忍ぶこと
精進(しょうじん) 財修行に努め、努力すること
禅定(ぜんじょう) 財心を安定統一させること
智恵(ちえ) 真実の知恵をひらきあらわすこと
だそうです。。。
はぁ~すべてできてない
菩薩すらなっていない私が言うセリフではありませんが・・・・
ほかにこの地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられています
清盛と六波羅蜜寺の関係は
平家一門の館が、ここ六波羅周辺にあり、
平家が都落ちし自らの手で焼き払うまで六波羅周辺には5,000を超える邸があったとされています。
写真は教科書に出てくる木造僧形坐像(伝・平清盛像)
伝!すっかり平清盛と思っていた像が・・・ちがうかもしれないんですね
六波羅蜜寺の宝蔵でみることができます
写真よりやっぱり本物の方が目に力が迫力があります
境内には清盛塚があり、立派な屋根がついています
平家の六波羅館がなくなった後は
のちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近に置かれました
平安末期から鎌倉時代と政治の重要機関がここに置かれていたんですね
現在は京都の下町として
ゆったりした時間が流れています
こんな看板をみつけたので
あと2回行かないとね
宝蔵には素敵な仏様があって紹介したかったのですが
それはまた次の機会にレポートします
最後まで読んでいただきありがとうございます
ランキングにチャレンジしてみました
押していただけるととても感謝です( ´艸`)
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951年に醍醐天皇の第二皇子である空也上人によって創建された六波羅蜜寺
空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き
念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったといいます
西国三十三ヵ所第17番札所
で再び訪れることになりますね
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菩薩が涅槃に至るための六つのこと
布施(ふせ) 財を与え、真理を教え、安心を与えること
持戒(じかい) 財戒律を守り、つねに自己を反省すること
忍辱(にんにく) 財苦しみを耐え忍ぶこと
精進(しょうじん) 財修行に努め、努力すること
禅定(ぜんじょう) 財心を安定統一させること
智恵(ちえ) 真実の知恵をひらきあらわすこと
だそうです。。。
はぁ~すべてできてない
菩薩すらなっていない私が言うセリフではありませんが・・・・
ほかにこの地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられています
清盛と六波羅蜜寺の関係は
平家一門の館が、ここ六波羅周辺にあり、
平家が都落ちし自らの手で焼き払うまで六波羅周辺には5,000を超える邸があったとされています。
写真は教科書に出てくる木造僧形坐像(伝・平清盛像)
伝!すっかり平清盛と思っていた像が・・・ちがうかもしれないんですね
六波羅蜜寺の宝蔵でみることができます
写真よりやっぱり本物の方が目に力が迫力があります
境内には清盛塚があり、立派な屋根がついています
平家の六波羅館がなくなった後は
のちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近に置かれました
平安末期から鎌倉時代と政治の重要機関がここに置かれていたんですね
現在は京都の下町として
ゆったりした時間が流れています
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