城南宮 → 坐摩神社行宮 → 阿部王子へ
間はかなり開きましたがブログ熊野詣はいよいよ和歌山に到着しました
JR海南駅から歩いて約20分 線路沿いをつたっていけば迷子になることはめったにありません

人生修行です!!

ここもまた城南宮のように近くに高速道路の入口があり・・・排気ガス臭いです
こんなところに本当に由緒正しい王子があるのか???


人生修行です!!

ありました
全く人っ子いません・・・・
王子編で紹介した五体王子のひとつである藤代(藤白)王子
藤代王子の旧址で、「藤代神社」に来ました


人生修行です!!

伝承によれば景行天皇(ヤマトタケルノミコのお父さん)の代の創建とされており
社殿は  斉明天皇が  白浜行幸の際に建立されたと伝わる

人生修行です!!
人生修行です!!

聖武天皇が玉津島行幸の時、
僧行基を詣らせて、
皇子誕生を祈願したところ高野皇女ご誕生(後に孝謙天皇)
妻・光明皇后はそのための神域を広め整えさせました
これにより、熊野三山の遙拝所とされ、子授け・長寿の守護神として広く信仰を集めました!!


人生修行です!!


この楠木は昔から子供を見守るご神木で
これにちなんで子供の名前に藤・楠・熊を使うと出世するとか
南方熊楠がその例です


人生修行です!!


藤白という地名は、
ここに成育する藤松(または藤白の松とも)に藤がまつわりつき、
有間皇子を悼んで33年に一度白い花を咲かせたのが、由来だそうです


人生修行です!!


有間皇子とは
大化の改新以降の政治の中心人物は中大兄皇子(後の天智天皇)だった。しかし,
皇位継承などでしばしば争いが起きたこの時代のこと,
中大兄皇子にとっても自らの立場を安定させるためには今後起きるかもしれない争いを
予想し事前に消し去っておくことは重要なことでもあった。
有間皇子はその消された皇子の一人
非業の死を迎えることになります
彼が呼んだ和歌の石碑がありました


人生修行です!!

中世熊野御幸の盛期には、九十九王子の中でも特に格式の高い五体王子のひとつとして崇敬され、
熊野詣の途上における要所であった

参拝の折には馴子舞や藤代王子におかれていた巫女による里神楽
歌会・里神楽・相撲などの奉納が行われるのが通例であった

大きなステージが今でも・・・・

藤白王子権現本堂

人生修行です!!


祭神の本地仏3体が祀られている。
これらの仏像はもともと藤代王子の神宮寺であった中道寺に祀られていたものであったが、
  豊臣秀吉の紀州征伐の際して危害が及んだ際に縁の寺院に避難させていたものを
江戸時代に復したものである。明治の神仏分離の際の破棄を免れ今日に伝わっている

人生修行です!!


阿弥陀如来 本宮仏

薬師如来 速玉仏

千手観音 那智仏

十一面間観音 藤白若一王子の仏

毘沙門天および不動明王三尊 熊野の入口の守護神を表しています


人生修行です!!


人生修行です!!

鈴木屋敷

熊野の荘園を管理していた八家のうちの一つであった鈴木家は、
平安時代末に熊野から今の海南市藤白に引っ越してきている。
このとき藤白神社に、鈴木家の祖先にあたる饒速日命おまつりした。

この饒速日命の子孫が、
熊野から大和へ向かう途中の神武天皇に、稲をさしあげたところ、
”穂積”という姓をもらったと伝えられている。
稲穂を積みあげたものは、”すずき”と呼ばれていたので、”鈴木”となったといわれている。
また、ナギの”木 ”に”鈴 ”をつけて馬印としたところから付けられたともいわれている。
日本で一番多い姓が鈴木さんなのである。


人生修行です!!
人生修行です!!

人生修行です!!

和歌山にはまだ入ったばっかりまだまだ熊野古道はつづきます・・・・・