今日は神経内科の診察日でした。
(すいません、初期過ぎて、誰かの参考になるような内容はありません…)
もう転院するので、簡単に、症状が落ち着いていることを伝える。
「良かったです、お薬は増やさない努力をしていきましょう」
と先生。
転院先の予約日も伝え、お礼を言うと
「何かあったらいつでも来てくださいね」
定型文かもしれないけど、じわっ…
一年前、ムズムズ脚と薬剤性Pで一週間おきに通院して。すがる思いで、暑い夏に。最後は歩けなくなり話せなくなり、夫が付き添いしてくれたな…
そこからの一年間。長くて辛かった。いろいろ思い出しました。
まだ新しい病院で長く長く続くのだけど、自分の中で一つ読点を打ったような、そんな感じでした。
唯一良かったのは
「まあいいか、を学んでください」
という先生の言葉。
辛いとき、思うようにできないとき、「まあいいか」と唱えて過ごしています。ふっと楽になります。
今は不眠で精神が追い込まれ、夜中は突発的な希死念慮と闘うのが地獄。どうかすると日中も酷い精神的疲労感に襲われ、脳が「逃げろ!」とアラーム発するので、衝動的にテラスから飛び降りそうになる。
といっても我が家は戸建て
これが怖いのです。
前にも過労でそうなったことがありますが(即刻入院)、危険から本能的に逃げる感覚なので、抗うのが難儀です。
電車に飛び込む人は飛び込みたくてやってるわけじゃなく、本能的に強い衝動に駆り立てられるのでしょう。経験した人にしかわからない。死にたいと言ってるうちは大丈夫って、ほんとにそうだなと思います。
本当に危険な人は、見た目が元気そう(本人は気が張ってる)、でも突発的な逃避行動に駆られて、それを実行してしまう最後のエネルギーが残っている人。
ここまで来ると前主治医は入院の手配をして点滴で眠らせる対応をしてくれました。前主治医は亡きご主人様も医師で、若くして過労死されたので、命の危険性を敏感に察知する人でした。
で、今の主治医は。(←言葉なし)
でもここ数日、昼寝が1時間〜2時間できるようになり、もしかしたら快方に向かってるのかも?
前は昼寝さえできなかった。
病気に対する強い恐怖心が和らいできたり、やっと泣けるようになったり、それこそ「まあいいか」と思えるようになったり。
何が良かったのか。
先日、こんなことがありました。
国立関西脳神経筋センターの姿勢反射障害についての記載に、転倒は発症から9年目に起きることが多いとあります。
わたし、昨年夏の薬剤性Pのとき、発症から1カ月でしょっちゅう転んでいました。
入院中もよく吹っ飛んで壁に激突。監視カメラが全く機能してないことを知った
ということは、1カ月で一気に9年目までいっちゃったわけです。ほかの運動症状も、薬なしリハビリなしの9年目を経験してしまった。そりゃ歯磨きなんてできなくなります。口をゆすぐのも精一杯。しかも知識が全くないからワケワカラン状態で動けなくなっていく恐怖…
検査でPDわかった後、OTさんが「パーキンソン病は全身が鉛みたいになるからバイク漕いだほうが良いですよ」とやたら嬉しそうに言ってきて。
鉛?鉄骨だろ、と毒付いていた。
という経緯で、病気についての誤った印象がどうしても修正されず、故に異様な恐怖心に囚われている、前向きになったつもりでもトラウマは消えない…
と、自分の中で起きていることを、「は!そういうことか!」と大発見したのでした。
これは非常に大きい転換点でした。
加えて、アメブロで病歴の長い方の具体的な様子を複数窺うことができて、さらにまた少しずつ歪んだ認識が修正されつつあります。ありがとうございます。
人は、理屈で物事を捉えてるだけではなく、様々な体験や見聞きしたものの印象が絡み合い、無自覚に対象物を複雑に歪めて捉えてしまいますね。
それをなるべく正しいほうへ近付けるのが認知行動療法なのだと思いますが、疾患や障害について、その治療を受けられる機会がほとんどありません。
癌は癌専門のカウンセリングが普及していますが、ほかの疾患や障害もそうあるべきと思います。現場のドクターに負わせるのには荷が重い。過労死しちゃう
15万人。多いような少ないような。
心のケアを整備してほしいです。
あー、また遠いところに着地しちゃった。
いつも読んでくださる皆さんに感謝します。
近くの総合病院へは森の小道を通ります。
こういう道をずっと歩いていきます。
木漏れ日と、道の先の光が美しいのです。まだ鶯が賑やかに鳴いています。
軽井沢です うそです
乳癌のときもP病のときも、トトロの歌を歌いながら歩いていきます。
歩こう歩こうわたしは元気。
泣かないように歌ってきましたが。
まあいいか。