人生で、はじめての「入院」。



当時20代前半だったわたしは





なんか
ちょっとうれしかったwwwデレデレ







こういうと
不謹慎に聞こえるかもしれないけれど






「血小板減少」くらいしか
大きな症状がなかったわたしは

なんで入院してんの?

って言うくらい身体は元気そのものだった。







『全身性エリテマトーデス』って


“全身性”というだけあって

身体のいろんな所に症状が出る場合が多い。





典型的な症例としては



顔に現れる「蝶形紅斑」。

手に現れる「レイノー現象」。

身体に現れる「関節痛」や「倦怠感」。

内臓に現れる「ループス腎炎」。


などなど。






わたしは
そういった症状もなかったし、


なんだったら



自分自身

「病気である」

という感覚が薄かったように思う。






なんかまるで
「人ごと」のような感覚。






担当医からの説明なども

うろたえる母親とは打って変わって

わたしはいつも冷静にメモを取っていたし、






「入院も年単位で考えて下さい。」

との言葉も、

どこか上の空だった。





今書いていて思ったけど

当時は、
そうして無いといられなかったのかもしれない。





わたしは


病気になっても


ちゃんとしてた。









その① でも書いたけれど

わたしは自分をいつもいつも責めていた。




ちゃんとしなきゃ。

頑張らなきゃ。

わたしはダメなんだ!

もっともっと

自分なんかより人のために。





呪いのようなこの思考は

見事にこの病気とリンクしていた。






『全身性エリテマトーデス』

自己免疫疾患のひとつ。


つまり、


免疫システムが誤って、

自分を攻撃してしまう病気








それはまさに、

当時のわたしだった。






自分で向けた刃で

自分でも気付かずに

自分自身を攻撃していたんだ。










よくスピリチュアル で言われる


「病気」は自分自身で作ったもの


という言葉があるじゃない?






その時のわたしは

その言葉がとても嫌いで

言いたい事は何となく分かるけど
受け入れたくなかったし

そんな訳ないと思っていた。






だけど、今ならよく分かる。






「病気」にでもならなければ

当時のわたしは止まれなかった。







わたしはわたしのために

「病気」を作って

休ませてあげたのだし



自分をいかに責めていたのかに

気づかせてくれたんだ。







だから、その時のわたしは


自分(顕在意識)では気づいてないけど

どこかでホッとしていたのかもしれない。




「やっと休める」って。











入院中は、


家族はもちろんのこと、

友達や会社の人もたくさんお見舞いに来てくれたし、


とてもとても大事にされて

ゆっくりと休めて、



思えば

わたしの『引き寄せ』は
見事に叶っていたw


↑無意識的マイナスな「引き寄せ」は、かなり上手だった件( ´_ゝ`)







大学病院ということもあって

毎日、入れ替わり立ち替わり誰かが来ていたので

退屈する暇もなかった。



その後、



大大大嫌いな胃カメラで
ピロリ菌の検査をしたり、

↑先生を手で押しのけてしまうくらい
大の胃カメラ嫌いwww



いろいろな検査の結果




わたしの“血小板”は


どうやら「脾臓」で壊されているようだ
ということが分かり、



『脾臓摘出手術』を勧められた。







ちょっぴりワクワクしていた入院生活は


その言葉で凍りついた。





臓器を摘出。。。!?滝汗滝汗滝汗





つづく。





akane.