あかねぞら room
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風の中の馬(56最終回)

ロンシャンの直線。
 
フォルスストレートを抜けた一団が遥か彼方に見えた。
 
宏の目にまず入ったのはもがく白い馬体だった。
 
『ノリさん、遅いよ!』
 
横山典弘騎手のアクションにも反応がないゴールドシップ。
 
そして…。
 
『ハープ!ハープ!』
 
恵美の叫んだ先には大外に出したハープスターが。
 
だんだんと近づく馬群。
 
 
『…ダメだ。』
 
『ジャスタはどうだ?』
 
インでもがいている福永騎手が目にはいった。
 
 
一瞬の静寂の後歓声が訪れた。
 
 
 
今年も『重い扉』は開かなかった。
 
 
宏が
『でもさ、来年もまた夢が見られるってことじゃない?』
 
『夢は叶っちゃったら終わっちゃう。次の夢を見つけなきゃならないから。来年も来ような…。』
 
恵美は泣いているようだった
 
『…。』
 
どうした?
宏が聞いた。
 
『でも、夢は叶えなきゃいけないと思うんだ。叶っちゃったら終わりじゃないよ!』
 
そういうと人混みに一人走り去ってしまった。
 
宏に恵美のその言葉の意味が分かるのはまだ先の話だった。
 
 
 
ロンシャンから帰ってきた恵美の店は閉まったままだった。
もうすぐクリスマス。
書き入れ時だというのに…。
 
宏も恵美と連絡が取れなくなっていた。
 
『恵美ちゃん、なんか思い詰めたように出ていったよ。』
 
圭子の言葉でようやくハッとした宏だった。
 
『行かなくていいんですか?』
 
少し考えてから宏が口を開いた。
 
『夢は叶えなきゃダメなんだもんな…。』
 
 
 
 
201×年、ダービー。
 
府中のスタンドに宏と圭子の姿があった。
 
宏は一頭の馬に熱い視線を送っていた。
 
ディープインパクトの子供、ニジノカケラ。
 
 
鞍上はもちろん武豊。

 
大外からニジノカケラ!これは独走になりそうだ。7馬身、8馬身圧勝!
 
 
『よし!行ける。』
 
 
『豊さん、強かったですね?三冠確実と言ってもいいんじゃないですか?』
 
アナウンサーの問いかけに武豊騎手は
 
『いや、菊にはいきません!世界を取りにいきます!』
 
東京競馬場を埋め尽くした15万人の大観衆から地響きのような歓声が上がった。 
 
 
『やっぱり行くのね。』
 
圭子が宏に問いかけた。
 
『ああ、俺にも叶えなきゃならない夢はあるから…。』
 
『頑張ってね。』
 
『ああ…、頑張るのはニジノカケラもだけどね。』
 
 
 
201×年、凱旋門賞。
 
ロンシャンはかつてない盛り上がりを見せていた。
 
ニジノカケラのブックメーカーのオッズは2倍を切っていた。
 
 
『つかないなあ、まあ馬券勝負はいいか。』
宏が呟いた。
 
 
スタート。
 
武豊騎手はスタートと同時にニジノカケラを最後方に下げた。
 
『豊さん、ロンシャンでその位置は…』
 
でもレース前に武豊騎手が言った言葉を思い出した。『いつもと同じ競馬をして勝たなければ意味がないから…。』
 
父、ディープインパクトで先行して敗れたレースを思い出した。
 
『そうか、それでいいんだ…。』
 
 
4コーナー。
 
ニジノカケラのエンジンがかかるのが確認できた。
 
あえて大外を回す武豊騎手。
 
さあ、残り200メートル。来た来た来た!
日本のニジノカケラ!
 
引き離す、さらに引き離す。
飛んだ!間違いなくロンシャンで飛んだ!
 
凱旋門賞圧勝!
歴史が変わりました!
 
 
 
 
恵美はパリ市内で小さなパティスリーを開業していた。
現地でも人気の店になっていた。
 
 
宏は表彰式も見ないで競馬場から駆け出していた。
 
 
 
『恵美、ニジノカケラ勝ったぞ!』
 
『宏!どうしてここが…。今日だったんだね…。』
 
店は大繁盛。凱旋門賞だからといって簡単には休めなかった。
 
 
『恵美、お前も武豊も、ディープインパクトも、ニジノカケラも叶えなきゃならない夢を叶えたんだ。』
 
『え?』
 
『俺にも叶えさせてくれ!』
 
 
『それ、プロポーズ?』
 
 
店の中のお客さんたちはビックリした表情だったがやがて温かな拍手に変わった。
 
 
『…ありがとう。』
 
 
雨上がりのパリの空に虹がかかっていた。
 
夢は夢で終わらせるものじゃない。
叶えなきゃならないものなんだ…。
 
いや、叶うものなんだ。
 
それがたとえ、夢の中であっても…。
 
 
完。

風の中の馬(55)

『夏ってケーキ屋にとっては暇な時期なのよね…』 府中の競馬場の裏に店を構えて3年、もうそんな台詞は恒例になっていた。
『でも今年はちょっといそがしいんだよね…』
美が嬉しそうに言った。
『なんで!?もうローカル開催じゃない…』
宏が怪訝そうな顔をした。 
『実はね、今年、競馬場の花火大会に店を出すことになったんだ。評判が良くて市の方から要請がきちゃったの』
 
恵美の店は評判が評判を呼んでいまや人気のパティスリーになっていた。
 
『ねぇ、宏、なんかアイデアない?なんか、こう、馬と花火がコラボしたようなスイーツ』
 
『えっ、いきなりかよ!?』 
『いつも宏が考えたメニュー当たるんだから!』
  
『そうだなあ。馬だけなら思い付くけど花火でしょ。しかも花火大会にスイーツなんて…』
 
『片手で食べられて、夏だからアイスか氷菓子にするか…』
 
『…ほら、宏もう考えちゃってる。そういうの好きなのは分かってるんだから!』
府中の競馬場では毎年7月の終わりに花火大会を開催する。
これは府中市の花火大会。地元の人たちが店を出しあって手作りの花火大会なのである。
 
『そうだ!ひらめいた。』 
『どんなの!?』
 
『名前はハープスター!』 
『えっ!多分そう来ると思ったよ。夜空に関係してるからね…。』
 
『来週までに考えとくから楽しみにしてて!』
 
宏はそういうと走って店を後にした。
 
『いい人ですね…。』
 
店員の圭子が恵美に笑いかける。
 
『まだ一緒にならないんですか?』
 
恵美はただにっこり微笑むだけだった。
 
花火大会当日を迎えた。
 
恵美の店のブースはパドック横の小さなパラソルの下。
 
『雨、降らなくて良かったね。去年は大変だったから…。』
 
恵美が空を見上げて呟く。 
『…ハープスター。こういうことだったんですね。』 
圭子が笑った。
 
宏が考えた『ハープスター』とは…
 
クレープ生地にハープミント味のアイスをくるんでチョコで星をつくってちりばめたもの。『ハーブスター』だった…。
 
そしてもう一品。
 
パイ生地を何層にも重ねてミルフィーユ場にして船の形にしてアイスを挟んだもの。
『コールドシップ』
 
宏が考えるメニューなんてそんなものだった。でも不思議と当たるのだ。
 
用意した分はものの30分でなくなった…。
 
『すごいね、宏が考えると本当にあたるね。いつもありがとう』
 
『いや、これは恵美の腕があってからこそのことだから気にしないで。』
 
『お二人さん、本当に夫婦みたいですね』
 
圭子にはなぜ二人が一緒にならないのか不思議だった。
 
『よし、早く売りきれたから店たたんで花火見よう!』
 
『うん、いきましょ!』
 
恵美と宏が店以外でこうやって一緒にいるのは久しぶりのことだった。
 
パティシエとしての恵美の名声は高まりつつあり、店を離れられない日が多くなってきたからだ。
 
それでも宏は恵美の傍らで手伝えるのが嬉しかった。 
『きれいだね。わっ、すごーい!』
 
夏の空に上がる花火。
 
でも、宏にも、恵美にも花火を楽しそうに見るお互いの横顔が気になってしようがなかった。
 
圭子もいつのまにかあの日のことを思い出していた。ディープの菊花賞の日…。 
宏と仕事以外でこうやっているのはやっぱりあの日以来だったから…。
 
『私、先に帰りますね。』『えっ、帰っちゃうの?』『だってお二人さん、いい雰囲気なんですもの…』
『えっ、いや、あの…』
 
圭子にも複雑な感情が芽生え始めていた。
一歩引いて二人を見るのがちょっと辛かった。 
 
『また思い出作ったね。』『ハーブスターとコールドシップ?』
 
『違うよ!』
 
『そういや、今年も凱旋門行けるかな?』
 
『行こうよ!また連れてくよ。忘れ物取りにいこう!』
 
『でも去年までとは違うからね。忙しさが…。』
 
『大丈夫。何とかするから。』
 
『でもお客さんは待ってくれないんだよ。圭子ちゃんにも迷惑かかるし…』
 
『…行きたいなあ』
 
『私ね、今の生活すごく幸せだよ。好きなこと出来てみんなに喜んでもらえて。宏、いつもありがとう…。』
 
『…俺は…。何か足りないな。ちゃんと幸せじゃないな…。』
 
『えっ…。』
『宏?』
 
競馬場の花火はクライマックスを迎えていた。
 
恵美には宏が言った言葉は花火の音にかき消されて聞こえていなかった。
 
凱旋門賞まであと2ヶ月。去年開けられなかった扉は開くことができるのか…。 
日本馬にも。
宏にも…。

風の中の馬(54)

 
『先頭はトレヴ!日本のオルフェーヴルは届かない!キズナはその後ろだ…。』 
 
一瞬の静寂の後ロンシャンは歓声に包まれた。
 
宏も恵美も空を見つめたまま動くことも言葉にすることもできなかった。
 
 
オルフェーヴルのスミヨン騎手はさばさばとした表情だった。
 
『あいつフランス人だから最初っから勝たす気なかったんじゃないのか…?』
 
宏が悔し紛れにそういった。
 
すると恵美がやっと声を絞り出した。
 
『そんなことないと思う。スミヨン騎手はちゃんとやってたよ。』
 
『いや、前のレースと明らかに追い出す位置が後ろ。もっと先に行くべきなんだ今日の馬場は。』
 
『もういいじゃない頑張ったんだから…』
 
『いや、納得いかないな…。』
 
二人はちょっとした言い合いになってしまった。
 
恵美が切り出した。
『あれ、キズナじゃなかったの?オルフェーヴルよりも応援していたのは』
 
『キズナはまだ3歳だ。来年もある。オルフェーヴルは次で引退なんだぞ。もうここに来ることはないんだぞ…』
 
宏がそう言いながら一粒の涙を落とした。
 
『…宏…。』
 
このレースを90年も見守ってきたエッフェル塔が涙でにじんでいた。
 
池江調教師は去年は開きかけた扉を開けきれなかったけど、今年の扉は重い扉だったと称した。
 
 
『ねえ、宏。』
恵美がおもむろに宏に語りかけた。
 
『来年もここに来ようよ。』
 
『え?』
 
『オルフェーヴルの夢は破れても人と違って競馬は子供に受け継がれていくのよ。それまで毎年見に来ればいいじゃない。』
 
『夢は叶っちゃったら後は守らなきゃならないから辛いものなの。叶いそうで叶わない時期。追いかけてるときが一番楽しくてキラキラしてるんだよ。そのキラキラを来年も追いかけられるんだから!だからキズナにはこの後最強馬になってもらって来年ね!』
 
宏は恵美の言葉に重い雰囲気が一気に軽くなった気がした。
 
~心のなか優しい風が吹いて明日への扉そっと開く… 
そんな歌の歌詞を思い出していた。
 
重い扉でも壁ではないんだ。開ける方法をまだこれからも探していく楽しさ。ワクワク感をまた一年味わえる。またこれからも恵美と一緒にここに来られる。
そう考えたら一気に明るい気持ちになったのだった。 
宿題。
そんなことばとはちょっと違うかも知れない。
 
希望。
それも違うかも知れない。
 
『ねえ、来年はキズナと他に3歳の牝馬連れてこなきゃね』
 
そうか、
『夢は叶っちゃったら守らなきゃならないもの』
 
宏にはその言葉が頭に渦巻いていた。
 
『オルフェーヴル、キズナ、そしてここに連れてきてくれたみんなありがとう…』
 
二人は人もまばらになったロンシャン競馬場の門を出た。
 
『さあ、日本に帰ったら新作のケーキ考えよう!タイトルは『重い扉』どう?思いっきりカロリー高いガッツリメニューで。』
 
『恵美、本気か!?それだったら『明日への扉』ぐらいできれいにまとめたら…』
 
『それ、いいね。じゃ、宏考えてね…』
 
日本の夢。そして二人の夢はまだまだ続きます。そして新しい夢を探して時は流れていくのです…。
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