4月から1歳児クラスの担当に配属されました。

新しいクラス体制や面談、久しぶりの乳児の日課やお世話等仕事に追われることが多く寂しさや悲しさが上手く和らいだと思います。


それでも今まで通りできないこともあって、お昼休憩では子どもの習い事の話やクラスで妊娠中のお母さんの話、妊娠中の職員の話がどうしても耳に入ってきました。目に見えて気をつかわれるのも(憐れみのような感じにされるのも)嫌だけど、そんな話に入れるかといえば入れない。

結局、関わることを避けて極力一人(面談室が使用できたので)で食べるようになりました。

イヤホンとYouTubeがお昼時間の楽しみになりました。


私はたまたまこういった形がとれましたが、食事スペースが限られている職場に勤めている人たちは逃げ道もなくて、泣きたいのを必死に堪えながらその時間を過ごされているのではないかと思うと心が痛いです。


職員の中でも話して楽な人もいれば、無責任な事を言ってくる人もいました。職員会議で、他の方の妊娠報告があって落ち込み「顔色がわるいから」と早退を促してもらって帰ろうとしたら「帰り?!いいなー!!」と言われたり。

(早退を促してくれた同じクラスの先生は肩を撫でて「しんどいよね。無理しないでいいんじゃない?」と声をかけてくれたんです。他の誰も気づかなかったのに。そしていいなー!!と言った人は具合が悪いとかも思わずただ用事で帰ると勝手に思ったらしいです。尚謝ってももらってないしそれ以降極力関わったり話したりしてないです。)



大きく変化があったのは10月の2週目。

推し活で都内のホテルにいました。

そういえばそろそろ、と検査薬を試した所陽性反応が出ました。

第二子の妊娠が分かったんです。


自分がPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)で妊娠しづらいことや、30代ということで焦りがありました。それでも不育や不妊の検査をするのも怖くて、でも早く妊娠もしたく…とりあえず自己流のタイミングで妊活はしていましたがまさか。というのが率直な感想でした。


そして、喜びよりも不安の方がとてもとても大きかったんです。

同じことが起きたらどうしよう。

流産したら、死産したら。

大病や障がいのある可能性だって全然ある。

また守れなかったら、気づけなかったら。


毎日首が締められていくような思い。

更に病院に行っても予測される週数の大きさではない、難しい可能性がある、と。言われました。


それでも仕事には行ってました。同じクラスに妊婦さんもいて、あと1ヶ月ほどで早めの産休にも入られる予定でした。その人が悪いわけでは決してないけど、辛かった。


そして病院に行くために休みたい、妊娠したけど駄目かもしれない。この日なら答えがはっきりしそうだから休ませてほしい。人手がないのは分かってるから午前中は出勤する。そういった旨を主任に話したのですが、何度も「午前だけはでてほしい」「午後から病院はむりか」と言われました。午前は出勤すると言っているのに、何度も何度も言われました。「この日お休みの人他にもいてねぇー」「シフトかえなきゃいけないとまわりもねぇー」と。

私はお腹の子が無事か、駄目かの瀬戸際にいるのに。悪阻もあったけど今まで必死で隠して出勤してたのに。

「午前は出るっていってるのになんでそんなしつこく言われなきゃいけないんですか。理由も説明してるのに、どういう状況かとか考えられないんですか。どうしてそんな酷い扱いをされなきゃいけないんですか。」

ぼろぼろ泣きながら言いました。主任は理解できないような表情をしていてそれが尚更腹立だしかった。園長は「少し落ち着こうか…」とおろおろしながらも声をかけてくれましたが、怒りとやるさなさと悲しさでいっぱいでした。


その日1日の仕事を終えて、帰ってからわんわん泣きました。頑張ってきたのに評価してもらえず、こんな状況でも働いて、病院いくのにもいちいち頭を下げて。こんなはずじゃなかったのにという思いが溢れて止まりませんでした。

嗚咽と胃液があがってきて何度も吐きました。


もう無理だ。


と思いました。


嘔吐があるので休ませてください。次の日の病院もあり、今週は休ませて頂けたら助かります。と園長にのみ連絡しました。

園長は了承して下さいました。


病院へ行くと幸い、心拍の確認が出来ました。週数に対して成長は遅めでしたがかなり初期の段階で妊娠が分かった可能性が高いとの判断でした。

ほっとしたのもつかの間で、9wの壁12wの壁…と次の検診への不安や恐怖が重なっていきました。

そして息子の時よりも酷い悪阻で、トイレ以外起き上がれない日も出てきました。悪いことばかり考えました。息子を忘れたわけでも愛してないわけでも決してないのに変な罪悪感があったり、お腹の子に対して素直に喜べない罪悪感があったり、妊娠したことで天使ママのコミュニティにも変化があったり…。


仕事へのモチベーションも保てなくなりました。子どもはかわいい。クラスも嫌じゃない。支えてくれる人もいる。だけど、もう頑張るのに疲れてしまった。もう駄目だ。


心療内科を受診し「抑うつ」との診断を受けました。前回の死産のこと、仕事の事。今回の妊娠が嬉しいのに喜べない事。話して少し楽になれたので、それだけ弱っていたのだなと思います。妊娠中だから、漢方で根気よく状態を改善していく形をとることになりました。先生は多くは話さない人でしたが、「泣いたり感情を出すことがストレス発散にもなるし、決して悪いことでもない。きっと節目を意識している所もあると思います。仕事は二の次三の次でどうとでもなるから、この期間を家族で過ごせる時間として良いように過ごせますよう手伝わせて下さい。」と言って下さいました。

こうして10月の下旬から、大好きな仕事を休職する形となりました。





11月、生きているのが精一杯な生活だったと思います。

ごはんをたべて、吐いてを繰り返し疲れて眠る。首の絞まるような圧迫感と吐き気でベッドから出ず、目や頭を疲れさせるためにYouTubeや漫画を何時間も見続けました。夫と会話しない、できない日も何日もありました。何も考えず、何の気力もわかず横になる日々でした。お風呂に入らない日も何日も続きました。ただ息をして、ごはんを食べて、調子と体力のある時にお風呂に入って。病院以外外にも極力出ず、過ごしました。


ようやく悪阻が落ち着いてきたのは12月に入ってからでした。少しずつ外に散歩へ出たり、料理を作ったり、ごはんに行ったりができるようになりました。それでも日によって波が大きかったり、息子の一周忌があったりと心身共に落ち着かなかった為年内の休職を一月伸ばしてもらうことにしました。




仕事をお休みしたことに後悔はありません。

だけど、もっと上手くできなかったかなとは思います。感情をうまく出せたり、受け身ではなくこういう思いがあるからこうしてほしいとか、もう少し我慢しないで言えたら良かったなと思います。分かるはずない、と思いながら分かってほしいと思っていたのだろうなと今では思います。





アプリで絵のように加工した息子の写真です。
普通の赤ちゃんたちと同じようにベットにねかせて過ごさせてもらいました。目元が私にそっくりで、足の形が夫にそっくりでした。
髪の毛もふさふさ、小さい指の先っぽにはもっと小さな爪も綺麗に生えていました。
心臓が止まって4日もお腹の中にいましたが、出てくるのはとっても上手でした。頑張り屋な息子は私たちの誇りで、恥ずかしくないよう頑張らなければ!!と仕事復帰も頑張ったつもりでした。
でもできなかった。はじめはその辛さもあって苦しかったです。

だけど、休んだことで心療内科の先生のいう通り家族の時間が持てました。一周忌を穏やかに迎えることもできました。息子ベアと、お腹の子と3人でケーキを食べに行ったり、映画を観に行ったりができました。

でも、うちは決して裕福でも余裕があるわけでもなく私も働かないといけない経済状況です。貯金だって雀の涙程しかありません。もしも無事に生まれたら育休だって一年はとりたい。けれどその金額も休職したことで減ります。
復帰をしなければならないし、息子の時のようにコロナ禍での特別支援金での早めの産休ももう取れません。6w前の34wまで働かなくてはいけません。シフトやヘルプで入るクラス等を調整をしてもらいながら2月からの復帰。
母としてもう一度、頑張ろうとおもいます。でも、お腹の子と体と心を第一に。駄目だとおもったら再度休んでもいい。パートタイムに切り替えてもいい。そう思うようにしています。