赤字部分、加筆修正しました。

コメント欄閉じて投稿したのですが、編集したら開いてしまったので、再度閉じました。
コメント下さった方には、個別にメッセージにて返信差し上げたいと思っていますm(u_u)m




※親に対して毒吐きます。
不快な思いするかもしれないので、見たくない方はお戻りくださいね。












では、いきますよ。繰り返しになりますが、見たくない方はここで引き返してくださいね。












投下っ(ノ´▽`)ノ ⌒(毒)







「親に愛されていなかった」とは思っていない。
それは、親なりの私への愛だったのかもしれない。

→うーん、やっぱり、親自身の不安を解消するだった為のようにも思う。
勿論、自覚はないだろうけれども。

どちらか一方ってこともないかもね。
両方あったのかもね!

母は幼少の頃、妹を亡くしていて、それがトラウマになって過度の心配性になった部分もあるだろうと、私は推測している。





私はまだ許せない。

過度な心配性で過干渉で、何でも先回りして私が自分でやるべきことを奪った。

私が自分自身の力で生きていく力を奪ったことを恨んでいる。

もっと、信じて見守ってくれていたら、私はもっと生きやすい人生を送れていたかもしれない。


「朱音は自分で出来ないだろうから」「言えないだろうから」って思いが根底にあったから、何でも先回りして過干渉だったんでしょ。

もっと信じて見守ってくれていたら、私は今こんなんじゃなかったかもしれない。


過干渉は、子どもの時だけじゃなくて、私が大人になってからも続いた。
(ここでいう大人=二十歳、ではなく経済的に完全に親から自立している。うちの親が、「成人だからって経済的に親に頼っているうちは大人とは認めない」と言っていたから)





私は学生の頃から「早く実家を出たい」と思っていて、本気で「仕送りなしで一人暮らし出来ないかな」って考えていた。
(大学は、「実家から通えるところにしなさい」と言われたので、通える範囲から選んだところだった)

今思えば、本気になれば出来ないこともなかったのかもしれないけど、親の意見が絶対だと思っていた私は、従順な「いい子」を演じていた。


学生時代も、最優先は学業。

これは学生の本業だからいいとして(この考え方も親や世間に影響されているのかもしれないけどあせる)、
「サークルやるくらいならバイトしなさい」って言われて、
「いい子」で、親の意見が絶対だと信じていて、親の考えに支配されていた私は、その通りにした。

今思えば、もっとやりたいことやっておけば良かった。

むしろ、私は大学ではなくて、専門学校に行きたかった。

でも、そこそこ学校の勉強が出来て親に期待されていた私は、そんなこと言えなかったね。
ちょっとそんな雰囲気を匂わせてみたことはあったけど、真っ先に否定された
ね。

高校も、大学進学当たり前なとこだったし。


親の望む人生を歩もうとしていた。
自分の人生じゃなくて、親の人生を生きていた。




社会人になって一人暮らししてからはホント楽だったな。

まあ、家借りる時も反対されたし、干渉されたけどあせる


実家にいた時の日記見返すと、怒り狂っていたのが分かる汗



でも、一人暮らししてからも過干渉は続いたね。


会社に押し掛けてきたことも1度だけじゃない。

この時も、言われた。

「あんたは自分で言えないだろうと思って」



私が無視したら、彼の会社の電話番号調べて電話掛けてきたこともあった(-""-;)

ホント、止めて欲しかった。





・昨日気付いたこと

絶縁が最高の復讐だと思っている私は、連絡したり、関わったり、何かをお願いしたら負けかなと思っている。
(1/20の誕生祝いメールも、5/10の「服取りにくる?」ってメールも無視したままあせる

ホントは、過去のお薬手帳が必要になったから、送ってもらいたいんだけどねあせる

変なとこ頑固な私は、「お願いしたくない」「でもお薬手帳は欲しい」という矛盾する気持ちの狭間で葛藤している。








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