徳一 wikipediaより転載


徳一(とくいつ、天平宝字4年(760年)? - 承和2年(835年)?)は、奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗。父は藤原仲麻呂(恵美押勝)で、徳一はその十一男と伝えられている。徳溢、得一とも書く。生没年には諸説があるが、「南都高僧伝」には天平勝宝元年(749年)出生、天長元年7月21日824年8月23日)没と記されている。

初め東大寺修円らから法相教学を学んだとされ、20歳頃に東国へ下った。弘仁6年(815年空海から密教経典などの書写・布教を依頼されるが、これに対して真言密教への疑義を記した11か条の「真言宗未決文」を空海に送っている(ちなみに空海は徳一の「未決文」に対してあえて反応は示さなかった。真言宗側から「未決文」に対して反論がなされたのは実に500年後のことである)。

また、天台教学に対しては「仏性抄」を皮切りに批判を加え、弘仁8年(817年)年頃から最澄との間で一大仏教論争である三一権実諍論(さんいちごんじつそうろん。または「三乗一乗権実論争」)を展開した。

この間、陸奥国会津慧日寺や同国会津勝常寺常陸国筑波山中禅寺大御堂)、西光院など陸奥南部~常陸にかけて多くの寺院を建立すると共に、民衆布教を行い「徳一菩薩」と称されたという。現在、慧日寺跡(福島県耶麻郡磐梯町)には徳一の墓と伝えられる五輪塔が残されている。

参考文献 [編集]

  • 高橋富雄 『徳一と最澄 もう一つの正統仏教』 中公新書 1990年 ISBN 4121009754
    • 『徳一菩薩 ひと・おしえ・がくもん』、『第二集 菩薩への道』 <歴春ふくしま文庫>歴史春秋社、2000-01年
    • 『高橋富雄東北学論集第17集 検証徳一菩薩道』 、『第18集 合本徳一菩薩道』 歴史春秋出版、2005-06年
  • 田村晃祐編 『徳一論叢』 国書刊行会 1986年