こんにちは。
相変わらず日本から更新しています。

今日は東日本大震災から7年。
3月11日を日本で過ごすのは3年ぶりです。

旦那さんとこんなに長く離れるのは、
9年付き合ってきて初めてで、
今日はあの日のことを色々思い出しました。

あの日、私は就活中で、
面接の帰りに東京駅で丸ノ内線を待っていました。
なんとなく揺れている気がしたけれど、
電車きたのかな?
ぐらいに思っていたら、
いつもとは違う長い揺れで、気分が悪くなった。

東京の直下型地震が来たんじゃないか?
と思った私は、海も近いし、きっと死ぬだろうなと思った。
そして母や彼の顔が浮かんで、出来るだけ早く発掘される場所で死んだ方が、二人の悲しみが軽いのではないかと思って、ハイヒールのまま猛ダッシュで地上に向かった。

東京駅周辺のビルは、折れるんじゃないかと思うほど揺れていた。

母は銀座の病院に勤めていたから、歩いて母の病院に向った。
幸いにも地震発生から30分もしないうちに母に会うことができ、病院のテレビを見て東京直下型地震ではないことを知った。
この映像見て固まったことを今でもはっきり思い出す。
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電話やメールが繋がらなくて、彼とはなかなか連絡がつかなかった。
そんな時、ニュースで九段下で瓦が落下し何人か下敷きになっているのを見た。
彼は九段下で面接を受ける予定だったので、まさかこの中にいるのではないかと本当に不安だった。
この時、一番繋がりやすかったSNSがTwitterだったので、Twitterから彼に連絡し、会うことができた。
地震発生から2時間半ほどしてからだった。



地震が起きるその時まで、一番大切なのは就活であり、未来のことばかり考えていた。
でもあの瞬間、一番大切なのは自分と自分の大切な人たちの命だという当たり前のことに気づいた気がする。未来も大切だけど、一番大切なのは今。目の前の1分1秒より大切な時間なんてないんだと。

この時のこの気持ちは、私の仕事感や、パートナーシップに大きな影響を与えている気がする。

仕事感においては、一番大切なものは自分と家族の命であり、それより大切な仕事なんてこの世には存在しない。

パートナーシップにおいては、
いってらっしゃいと言って見送った人が、
元気にただいまと言ってくれることは当たり前ではない。
だから、喧嘩はその日のうちに終わらせて、
朝は必ず気持ちの良い会話をする。
それが最後の会話になってしまっても、
後悔しないように。
そんな気持ちもあって、
私は世界中どんな僻地に異動になっても、
家族総出で帯同すると決めている。
日本に帰りたいと騒いでいる時もたくさんあるけど、決して本心ではないし、
出来ることなら24時間彼につきまとっていたい
と思うぐらい毎日心配している。

日々の暮らしに追われると、
つい忘れてしまう大切なこと。

3月11日が来るたびに、
大切な人が元気でいてくれることに
心から感謝したい。
それが、生き残った私達に出来ることだと思う。