『時は今』  

お前はろくでなしか・・・・・・いつになったらやるんだ。 
    
いったい、何が起きなきゃならないのだ。
そのために、家族が死ななければならないのか。


会社がつぶれなくてはならないのか・・・・
ガンの宣告を受けなければならないのか。 
   
学校を出れば・・・
いい職に付けば・・・
結婚したら・・・
子供ができたら・・・
金ができれば・・・
運がめぐってきたら・・・ 
  
・・・そういって、一体何年経ったんだ。
そのうちそのうちと、延ばし延ばしでいったい何年生きてきたんだ。
時は今しかないじゃないか。 
  
  
未だかって、明日の朝、顔を洗ったことのある奴は
一人もいないじゃないか。 
  
 
人は皆、自分の人生を考えることを延ばして、
周囲の事ばかり気にかけて
そして・・・批判をしている環境評論家ばかりじゃないか。


それを・・・周囲の人と調和しているだと、トンチンカンな事を
言っているんじゃないのか。


それを・・・人のためといって自分をごまかしているんじゃないのか。
色々と言い訳をいって・・・環境に埋没してはいないか。 
   

お前はいったい、いつになったら自分の人生を生き始めるのだ。 
   

人のせいにする時は過ぎた。環境のせいだからといって、
それでお前の一生が不満に塗りたくられて、それで終わりで
いいのか。


親のせいにして、不満足な自分で一生を過ごすのか。 
  

何かのせいにする時は過ぎた。
過去はないのだ。お前が勝手に思い出しているだけではないか。
不満を改善するために・・・自分をより成長させるために
今、この時が与えられているのだ。 
  

過去の妄想を忘れ、素晴らしい未来のために今を生きようではないか。
それをするのは他でもない。お前なのだ。 
  
  
その時は『今』しかないのだよ。 


昭和51年10月7日 村松智文(知守文)