https://www.youtube.com/watch?v=aGuiEq6LuBk

 

 

 

 

 

蒼穹 

梶井基次郎 

 


 ある晩春の午後、私は村の街道に沿っ

た土堤の上で日を浴びていた。

 

空にはながらく動かないでいる巨きな雲

があった。

 

その雲はその地球に面した側に藤紫色を

した陰翳を持っていた。

 

そしてその尨大な容積やその藤紫色をし

た陰翳はなにかしら茫漠とした悲哀をそ

の雲に感じさせた。 


 私の坐っているところはこの村でも一

番広いとされている平地の縁に当ってい

た。

 

山と溪とがその大方の眺めであるこの村

では、どこを眺めるにも勾配のついた地

勢でないものはなかった。

 

風景は絶えず重力の法則に脅かされてい

た。

 

そのうえ光と影の移り変わりは溪間にい

る人に始終慌しい感情を与えていた。

 

そうした村のなかでは、溪間からは高く

一日日の当るこの平地の眺めほど心を休

めるものはなかった。

 

私にとってはその終日日に倦いた眺めが

悲しいまでノスタルジックだった。

 

Lotus-eater の住んでいるといういつも

午後ばかりの国――それが私には想像さ

れた。 


 雲はその平地の向うの果である雑木山

の上に横たわっていた。

 

雑木山では絶えず杜鵑が鳴いていた。

 

その麓に水車が光っているばかりで、眼

に見えて動くものはなく、うらうらと晩

春の日が照り渡っている野山には静かな

懶さばかりが感じられた。

 

そして雲はなにかそうした安逸の非運を

悲しんでいるかのように思われるのだっ

た。 


 私は眼を溪の方の眺めへ移した。

 

私の眼の下ではこの半島の中心の山彙か

らわけ出て来た二つの溪が落合っていた。

 

二つの溪の間へ楔子のように立っている

山と、前方を屏風のように塞いでいる山

との間には、一つの溪をその上流へかけ

て十二単衣のような山褶が交互に重なっ

ていた。

 

そしてその涯には一本の巨大な枯木をそ

の巓に持っている、そしてそのためにこ

とさら感情を高めて見える一つの山が聳

えていた。

 

日は毎日二つの溪を渡ってその山へ落ち

てゆくのだったが、午後早い日は今やっ

と一つの溪を渡ったばかりで、

 

溪と溪との間に立っている山のこちら側

が死のような影に安らっているのがこと

さら眼立っていた。 

 

三月の半ば頃私はよく山を蔽った杉林か

ら山火事のような煙が起こるのを見た。

 

それは日のよくあたる風の吹く、ほどよ

い湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉

に飛ばす花粉の煙であった。

 

しかし今すでに受精を終わった杉林の上

には褐色がかった落ちつきができていた。

 

瓦斯体のような若芽に煙っていた欅や楢

の緑にももう初夏らしい落ちつきがあっ

た。

 

闌けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体の

ような夢はもうなかった。

 

ただ溪間にむくむくと茂っている椎の樹

が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたよ

うになっていた。 


 そんな風景のうえを遊んでいた私の眼

は、二つの溪をへだてた杉山の上から青

空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧

いて来るのを見たとき、

 

不知不識そのなかへ吸い込まれて行った。

 

湧き出て来る雲は見る見る日に輝いた巨

大な姿を空のなかへ拡げるのであった。 


 それは一方からの尽きない生成ととも

にゆっくり旋回していた。

 

また一方では捲きあがって行った縁が絶

えず青空のなかへ消え込むのだった。

 

こうした雲の変化ほど見る人の心に言い

知れぬ深い感情を喚び起こすものはない。

 

その変化を見極めようとする眼はいつも

その尽きない生成と消滅のなかへ溺れ込

んでしまい、

 

ただそればかりを繰り返しているうちに、

不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へ

昂まって来る。

 

その感情は喉を詰らせるようになって来、

身体からは平衝の感じがだんだん失われ

て来、もしそんな状態が長く続けば、

 

そのある極点から、自分の身体は奈落の

ようなもののなかへ落ちてゆくのではな

いかと思われる。

 

それも花火に仕掛けられた紙人形のよう

に、

身体のあらゆる部分から力を失って。―― 


 私の眼はだんだん雲との距離を絶して、

そう言った感情のなかへ巻き込まれてい

った。

 

そのとき私はふとある不思議な現象に眼

をとめたのである。

 

それは雲の湧いて出るところが、影にな

った杉山のすぐ上からではなく、そこか

らかなりの距りを持ったところにあった

ことであった。

 

そこへ来てはじめて薄り見えはじめる。

それから見る見る巨きな姿をあらわす。

―― 

 

 私は空のなかに見えない山のようなも

のがあるのではないかというような不思

議な気持に捕えられた。

 

そのとき私の心をふとかすめたものがあ

った。

 

それはこの村でのある闇夜の経験であった。 


 その夜私は提灯も持たないで闇の街道

を歩いていた。

 

それは途中にただ一軒の人家しかない、

そしてその家の燈がちょうど戸の節穴か

ら写る戸外の風景のように見えている、

大きな闇のなかであった。

 

街道へその家の燈が光を投げている。

 

そのなかへ突然姿をあらわした人影があ

った。

 

おそらくそれは私と同じように提灯を持

たないで歩いていた村人だったのであろ

う。

 

私は別にその人影を怪しいと思ったので

はなかった。

 

しかし私はなんということなく凝っと、

その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺

めていたのである。

 

その人影は背に負った光をだんだん失い

ながら消えていった。

 

網膜だけの感じになり、

闇のなかの想像になり

――ついにはその想像もふっつり断ち切

れてしまった。

 

そのとき私は『何処』というもののない

闇に微かな戦慄を感じた。

 

その闇のなかへ同じような絶望的な順序

で消えてゆく私自身を想像し、言い知れ

ぬ恐怖と情熱を覚えたのである。―― 

 

 その記憶が私の心をかすめたとき、突

然私は悟った。

 

雲が湧き立っては消えてゆく空のなかに

あったものは、見えない山のようなもの

でもなく、不思議な岬のようなものでも

なく、

 

なんという虚無! 白日の闇が満ち充ち

ているのだということを。

 

私の眼は一時に視力を弱めたかのように、

私は大きな不幸を感じた。

 

濃い藍色に煙りあがったこの季節の空は、

そのとき、見れば見るほどただ闇としか

私には感覚できなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=c0DKd5IgnwI

 

 

 

 

器楽的幻覚 

梶井基次郎 


 ある秋仏蘭西から来た年若い洋琴家が

その国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲

を冬にかけて演奏して行ったことがあっ

た。

 

そのなかには独逸の古典的な曲目もあっ

たが、これまで噂ばかりで稀にしか聴け

なかった多くの仏蘭西系統の作品が齎ら

されていた。

 

私が聴いたのは何週間にもわたる六回の

連続音楽会であったが、それはホテルの

ホールが会場だったので聴衆も少なく、

 

そのため静かなこんもりした感じのなか

で聴くことができた。

 

回数を積むにつれて私は会場にも、周囲

の聴衆の頭や横顔の恰好にも慣れて、教

室へ出るような親しさを感じた。

 

そしてそのような制度の音楽会を好もし

く思った。 


 その終わりに近いあるアーベントのこ

とだった。

 

その日私はいつもにない落ちつきと頭の

澄明を自覚しながら会場へはいった。

 

そして第一部の長いソナタを一小節も聴

き落すまいとしながら聴き続けていった。

 

それが終わったとき、私は自分をそのソ

ナタの全感情のなかに没入させることが

できたことを感じた。

 

私はその夜床へはいってからの不眠や、

不眠のなかで今の幸福に倍する苦痛をう

けなければならないことを予感したが、

 

その時私の陥っていた深い感動にはそれ

は何の響きも与えなかった。 


 休憩の時間が来たとき私は離れた席に

いる友達に目せをして人びとの肩の間を

屋外に出た。

 

その時間私とその友達とは音楽に何の批

評をするでもなく黙り合って煙草を吸う

のだったが、

 

いつの間にか私達の間できまりになって

しまった各々の孤独ということも、その

晩そのときにとっては非常に似つかわし

かった。

 

そうして黙って気を鎮めていると私は自

分を捕えている強い感動が一種無感動に

似た気持を伴って来ていることを感じた。

 

煙草を出す。

口にくわえる。

そして静かにそれを吹かすのが、いかに

も「何の変わったこともない」感じなの

であった。

 

――燈火を赤く反映している夜空も、そ

のなかにときどき写る青いスパークも。

 

……しかしどこかからきこえて来た軽は

ずみな口笛がいまのソナタに何回も繰り

返されるモティイフを吹いているのをき

いたとき、私の心が鋭い嫌悪にかわるの

を、私は見た。 


 休憩の時間を残しながら席に帰った私

は、すいた会場のなかに残っている女の

人の顔などをぼんやり見たりしながら、

 

心がやっと少しずつ寛解して来たのを覚

えていた。

 

しかしやがてベルが鳴り、人びとが席に

帰って、元のところへもとの頭が並んで

しまうと、

 

それも私にはわからなくなってしまうの

だった。

 

私の頭はなにか凍ったようで、はじまろ

うとしている次の曲目をへんに重苦しく

感じていた。

 

こんどは主に近代や現代の短い仏蘭西の

作品が次つぎに弾かれていった。 


 演奏者の白い十本の指があるときは泡

を噛んで進んでゆく波頭のように、

 

あるときは戯れ合っている家畜のように

鍵盤に挑みかかっていた。

 

それがときどき演奏者の意志からも鳴り

響いている音楽からも遊離して動いてい

るように感じられた。

 

そうかと思うと私の耳は不意に音楽を離

れて、息を凝らして聴き入っている会場

の空気に触れたりした。

 

よくあることではじめは気にならなかっ

たが、プログラムが終わりに近づいてゆ

くにつれてそれはだんだん顕著になって

来た。

 

明らかに今夜は変だと私は思った。 

私は疲れていたのだろうか?  

そうではなかった。

 

心は緊張し過ぎるほど緊張していた。

一つの曲目が終わって皆が拍手をすると

き私は癖で大抵の場合じっとしているの

だったが、この夜はことに強いられたよ

うに凝然としていた。

 

するとどよめきに沸き返りまたすーっと

収まってゆく場内の推移が、なにか一つ

の長い音楽のなかで起ることのように私

の心に写りはじめた。 


 読者は幼時こんな悪戯をしたことはな

いか。

 

それは人びとの喧噪のなかに囲まれてい

るとき、両方の耳に指で栓をしてそれを

開けたり閉じたりするのである。

 

するとグワウッ――グワウッ――という

喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無

意味に見えてゆく。

 

人びとは誰もそんなことを知らず、また

そんななかに陥っている自分に気がつか

ない。

 

――ちょうどそれに似た孤独感が遂に突

然の烈しさで私を捕えた。

 

それは演奏者の右手が高いピッチのピア

ニッシモに細かく触れているときだった。

 

人びとは一斉に息を殺してその微妙な音

に絶え入っていた。

 

ふとその完全な窒息に眼覚めたとき、愕

然と私はしたのだ。 


「なんという不思議だろうこの石化は?

 

今なら、あの白い手がたとえあの上で殺

人を演じても、誰一人叫び出そうとはし

ないだろう」 


 私は寸時まえの拍手とざわめきとをあ

たかも夢のように思い浮かべた。

 

それは私の耳にも目にもまだはっきり残

っていた。

 

あんなにざわめいていた人びとが今のこ

の静けさ

 

――私にはそれが不思議な不思議なこと

に思えた。

 

そして人びとは誰一人それを疑おうとも

せずひたむきに音楽を追っている。

 

言いようもないはかなさが私の胸に沁み

て来た。

 

私は涯もない孤独を思い浮かべていた。

 

音楽会

――音楽会を包んでいる大きな都会

――世界。 

……小曲は終わった。

 

木枯のような音が一しきり過ぎていった。

 

そのあとはまたもとの静けさのなかで音

楽が鳴り響いていった。

 

もはやすべてが私には無意味だった。

 

幾たびとなく人びとがわっわっとなって

はまたすーっとなっていったことが何を

意味していたのか夢のようだった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=bcUvw9yquuw

 

 

 

 

 

桜の樹の下には 

梶井基次郎 


 桜の樹の下には屍体が埋まっている!


 これは信じていいことなんだよ。何故

って、桜の花があんなにも見事に咲くな

んて信じられないことじゃないか。

 

俺はあの美しさが信じられないので、こ

の二三日不安だった。しかしいま、やっ

とわかるときが来た。

 

桜の樹の下には屍体が埋まっている。

これは信じていいことだ。


 どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、

俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに

選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全

剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い

浮かんで来るのか 

――おまえはそれがわからないと言った

 

――そして俺にもやはりそれがわからな

いのだが 

――それもこれもやっぱり同じようなこ

とにちがいない。 


 いったいどんな樹の花でも、いわゆる

真っ盛りという状態に達すると、あたり

の空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き

散らすものだ。

 

それは、よく廻った独楽が完全な静止に

澄むように、また、音楽の上手な演奏が

きまってなにかの幻覚を伴うように、灼

熱した生殖の幻覚させる後光のようなも

のだ。

 

それは人の心を撲たずにはおかない、不

思議な、生き生きとした、美しさだ。

 

 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひど

く陰気にしたものもそれなのだ。俺には

その美しさがなにか信じられないものの

ような気がした。

 

俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空

虚な気持になった。しかし、俺はいまや

っとわかった。

 

 おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜

の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まってい

ると想像してみるがいい。

 

何が俺をそんなに不安にしていたかがお

まえには納得がいくだろう。

 

 馬のような屍体、犬猫のような屍体、

そして人間のような屍体、屍体はみな腐

爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それで

いて水晶のような液をたらたらとたらし

ている。

 

桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱き

かかえ、いそぎんちゃくの食糸のような

毛根を聚めて、その液体を吸っている。

 

 何があんな花弁を作り、何があんな蕊

を作っているのか、俺は毛根の吸いあげ

る水晶のような液が、静かな行列を作っ

て、維管束のなかを夢のようにあがって

ゆくのが見えるようだ。

 

 ――おまえは何をそう苦しそうな顔を

しているのだ。美しい透視術じゃないか。

 

俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見

られるようになったのだ。

 

昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘か

ら自由になったのだ。

 

 二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、

石の上を伝い歩きしていた。水のしぶき

のなかからは、あちらからもこちらから

も、薄羽かげろうがアフロディットのよ

うに生まれて来て、溪の空をめがけて舞

い上がってゆくのが見えた。

 

おまえも知っているとおり、彼らはそこ

で美しい結婚をするのだ。しばらく歩い

ていると、俺は変なものに出喰わした。

 

それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜

を残している、その水のなかだった。

 

思いがけない石油を流したような光彩が、

一面に浮いているのだ。おまえはそれを

何だったと思う。

 

それは何万匹とも数の知れない、薄羽か

げろうの屍体だったのだ。隙間なく水の

面を被っている、彼らのかさなりあった

翅が、光にちぢれて油のような光彩を流

しているのだ。

 

そこが、産卵を終わった彼らの墓場だっ

たのだ。

 

 俺はそれを見たとき、胸が衝かれるよ

うな気がした。墓場を発いて屍体を嗜む

変質者のような残忍なよろこびを俺は味

わった。

 

 この溪間ではなにも俺をよろこばすも

のはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ

青に煙らせている木の若芽も、ただそれ

だけでは、もうろうとした心象に過ぎな

い。

 

俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があ

って、はじめて俺の心象は明確になって

来る。

 

俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。

俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、

俺の心は和んでくる。

 

 ――おまえは腋の下を拭いているね。

冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。

 

何もそれを不愉快がることはない。

べたべたとまるで精液のようだと思って

ごらん。それで俺達の憂鬱は完成するの

だ。

 

 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まって

いる!

 

 いったいどこから浮かんで来た空想か

さっぱり見当のつかない屍体が、いまは

まるで桜の樹と一つになって、どんなに

頭を振っても離れてゆこうとはしない。

 

 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴を

ひらいている村人たちと同じ権利で、花

見の酒が呑めそうな気がする。

 

 

 


 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=c7i8CdqsnYI

 

 

 

 

 

犬と笛 

芥川龍之介




    いく子さんに献ず

        一

 昔、大和の国葛城山の麓に、髪長彦と

いう若い木樵が住んでいました。

 

これは顔かたちが女のようにやさしくっ

て、その上髪までも女のように長かった

ものですから、こういう名前をつけられ

ていたのです。

 


 髪長彦は、大そう笛が上手でしたから、

山へ木を伐りに行く時でも、仕事の合い

間合い間には、腰にさしている笛を出し

て、独りでその音を楽しんでいました。

 

するとまた不思議なことには、どんな鳥

獣や草木でも、笛の面白さはわかるので

しょう。

 

髪長彦がそれを吹き出すと、草はなびき、

木はそよぎ、鳥や獣はまわりへ来て、じ

っとしまいまで聞いていました。

 


 ところがある日のこと、髪長彦はいつ

もの通り、とある大木の根がたに腰を卸

しながら、余念もなく笛を吹いています

と、たちまち自分の目の前へ、青い勾玉

を沢山ぶらさげた、足の一本しかない大

男が現れて、

 


「お前は仲々笛がうまいな。己はずっと

昔から山奥の洞穴で、神代の夢ばかり見

ていたが、お前が木を伐りに来始めてか

らは、その笛の音に誘われて、毎日面白

い思をしていた。

 

そこで今日はそのお礼に、ここまでわざ

わざ来たのだから、何でも好きなものを

望むが好い。」と言いました。

 

 


 そこで木樵は、しばらく考えていまし

たが、

 


「私は犬が好きですから、どうか犬を一

匹下さい。」と答えました。

 


 すると、大男は笑いながら、


「高が犬を一匹くれなどとは、お前も余

っ程欲のない男だ。

 

しかしその欲のないのも感心だから、ほ

かにはまたとないような不思議な犬をく

れてやろう。

 

こう言う己は、葛城山の足一つの神だ。」

 

と言って、一声高く口笛を鳴らしますと、

森の奥から一匹の白犬が、落葉を蹴立て

て駈けて来ました。

 


 足一つの神はその犬を指して、


「これは名を嗅げと言って、どんな遠い

所の事でも嗅ぎ出して来る利口な犬だ。

 

では、一生己の代りに、大事に飼ってや

ってくれ。」と言うかと思うと、その姿

は霧のように消えて、見えなくなってし

まいました。

 

 


 髪長彦は大喜びで、この白犬と一しょ

に里へ帰って来ましたが、あくる日また、

山へ行って、何気なく笛を鳴らしている

と、今度は黒い勾玉を首へかけた、手の

一本しかない大男が、どこからか形を現

して、

 


「きのう己の兄きの足一つの神が、お前

に犬をやったそうだから、己も今日は礼

をしようと思ってやって来た。

 

何か欲しいものがあるのなら、遠慮なく

言うが好い。

 

己は葛城山の手一つの神だ。」と言いま

した。

 


 そうして髪長彦が、また「嗅げにも負

けないような犬が欲しい。」と答えます

と、大男はすぐに口笛を吹いて、一匹

の黒犬を呼び出しながら、

 


「この犬の名は飛べと言って、誰でも背

中へ乗ってさえすれば百里でも千里でも、

空を飛んで行くことが出来る。

 

明日はまた己の弟が、何かお前に礼をす

るだろう。」と言って、前のようにどこ

かへ消え失せてしまいました。

 

 


 するとあくる日は、まだ、笛を吹くか

吹かないのに、赤い勾玉を飾りにした、

目の一つしかない大男が、風のように空

から舞い下って、

 


「己は葛城山の目一つの神だ、兄きたち

がお前に礼をしたそうだから、己も嗅げ

飛べに劣らないような、立派な犬をく

れてやろう。」と言ったと思うと、もう

口笛の声が森中にひびき渡って、一匹の

斑犬が牙をむき出しながら、駈けて来ま

した。

 


「これは噛めという犬だ。この犬を相手

にしたが最後、どんな恐しい鬼神でも、

きっと一噛みに噛み殺されてしまう。

 

ただ、己たちのやった犬は、どんな遠い

ところにいても、お前が笛を吹きさえす

れば、きっとそこへ帰って来るが、笛が

なければ来ないから、それを忘れずにい

るが好い。」

 


 そう言いながら目一つの神は、また森

の木の葉をふるわせて、風のように舞い

上ってしまいました。
 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=mvW0RbYrCQM

 

 

 

 

 

羅生門

芥川龍之介

 


 ある日の暮方の事である。

 

一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待

っていた。


 広い門の下には、この男のほかに誰も

いない。

 

ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、

蟋蟀が一匹とまっている。

 

羅生門が、朱雀大路にある以上は、この

男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉

烏帽子が、もう二三人はありそうなもの

である。

 

それが、この男のほかには誰もいない。


 何故かと云うと、この二三年、京都に

は、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか

云う災がつづいて起った。

 

そこで洛中のさびれ方は一通りではない。

 

旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、

その丹がついたり、金銀の箔がついたり

した木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料

に売っていたと云う事である。

 

洛中がその始末であるから、羅生門の修

理などは、元より誰も捨てて顧る者がな

かった。

 

するとその荒れ果てたのをよい事にして、

狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしま

いには、引取り手のない死人を、この門

へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さ

え出来た。

 

そこで、日の目が見えなくなると、誰で

も気味を悪るがって、この門の近所へは

足ぶみをしない事になってしまったので

ある。

 


 その代りまた鴉がどこからか、たくさ

ん集って来た。

 

昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描

いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、

飛びまわっている。

 

ことに門の上の空が、夕焼けであかくな

る時には、それが胡麻をまいたようには

っきり見えた。

 

鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、

啄みに来るのである。

――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、

一羽も見えない。

 

ただ、所々、崩れかかった、そうしてそ

の崩れ目に長い草のはえた石段の上に、

鴉の糞が、点々と白くこびりついている

のが見える。

 

下人は七段ある石段の一番上の段に、洗

いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬

に出来た、大きな面皰を気にしながら、

ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

 


 作者はさっき、「下人が雨やみを待っ

ていた」と書いた。

 

しかし、下人は雨がやんでも、格別どう

しようと云う当てはない。

 

ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き

筈である。

 

所がその主人からは、四五日前に暇を出

された。

 

前にも書いたように、当時京都の町は一

通りならず衰微していた。

 

今この下人が、永年、使われていた主人

から、暇を出されたのも、実はこの衰微

の小さな余波にほかならない。

 

だから「下人が雨やみを待っていた」と

云うよりも「雨にふりこめられた下人が、

行き所がなくて、途方にくれていた」と

云う方が、適当である。

 

その上、今日の空模様も少からず、この

平安朝の下人の Sentimentalisme に影響

した。

 

申の刻下りからふり出した雨は、いまだ

に上るけしきがない。

 

そこで、下人は、何をおいても差当り明

日の暮しをどうにかしようとして――

 

云わばどうにもならない事を、どうにか

しようとして、とりとめもない考えをた

どりながら、さっきから朱雀大路にふる

雨の音を、聞くともなく聞いていたので

ある。

 


 雨は、羅生門をつつんで、遠くから、

ざあっと云う音をあつめて来る。

 

夕闇は次第に空を低くして、見上げると、

門の屋根が、斜につき出した甍の先に、

重たくうす暗い雲を支えている。

 


 どうにもならない事を、どうにかする

ためには、手段を選んでいる遑はない。

 

選んでいれば、築土の下か、道ばたの土

の上で、饑死をするばかりである。

 

そうして、この門の上へ持って来て、犬

のように棄てられてしまうばかりである。

 

選ばないとすれば――下人の考えは、何

度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこ

の局所へ逢着した。

 

しかしこの「すれば」は、いつまでたっ

ても、結局「すれば」であった。

 

下人は、手段を選ばないという事を肯定

しながらも、この「すれば」のかたをつ

けるために、当然、その後に来る可き

「盗人になるよりほかに仕方がない」

と云う事を、積極的に肯定するだけの、

勇気が出ずにいたのである。

 


 下人は、大きな嚔をして、それから、

大儀そうに立上った。

 

夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しい

ほどの寒さである。

 

風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠

慮なく、吹きぬける。

 

丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうど

こかへ行ってしまった。