https://www.youtube.com/watch?v=-97hhvOBhtg&t=733s

 

 

 

 

六日間 

(日記)

與謝野晶子




 三月七日


 机の前に坐ると藍色の机掛の上に一面

に髪の毛の這つて居るのが日影でまざま

ざと見えた。

 

私はあさましくなつて、何時の間にか私

の髪がこんなに抜け零れて、さうして払

つてもどうしても動かずに、

 

魂のあるやうにかうして居るのかとじつ

と見て居た。

 

さうすると落ち毛が皆一寸五分位の長さ

ばかりであるのに気がついた。

 

また昨日の朝八峰の人形の毛が抜けたと

云つて此処へ来て泣いて居たのを思ひ出

した。

 

頭が重い日である。

 

源氏の藤の裏葉を七枚程書いた処へ、画

報社から写真を撮しに来た。

 

七瀬と八峰が厭がつたから私と麟とだけ

で撮つて貰つた。

 

私は着物を着更へた序でであるし、頭も

悪いのであるから買物にでも行つて来よ

うと思つた。

 

高野豆腐の煮附と味附海苔で昼の食事を

して私は家を出た。

 

××新聞社に用があつたから数寄屋橋で

電車を降りた。

 

××さんが居なかつたから××新聞社へ

行つたのは無駄だつた。

 

有楽町の河岸を歩きながら、尼さんのや

うなものをばかり食べて居るからこれば

かしの道でも苦しいのだと情けなく思つ

た。

 

 

三越の二階で羽織を一枚染めるのを頼ん

だ。

 

二三日前の夜ふと考へて面白がつた酔興

のことも、いよ/\紫紺にしてくれと云

ふ時にはもう恥しくなつて廃めようかと

迄思つたのであつた。

 

 


『少しおはででは御座いませんでせうか。』


と云つた番頭さんに私は自分のぢやない

と云つた。

 

紙入を一つと布団の裏地を一疋と晒を二

反買つて届けて貰ふ事にした。

 

神保町の通りで近頃出来た襟店が安物ば

かり並べてあるのが何だか可哀相な気が

して立つて見て居ると、

 

小僧さんが何とかかとか云つてとうとう

店の中へ私を入れてしまつた。

 

元園町の女中に遣らうと思つて四十五銭

と云ふ紅入のを一掛買つたが、

 

外にも何か買はせようとする熱誠と云ふ

ものが主人と小僧さんの顔に満ちて居る

ので、

 

気が弱くなつて鼠地に蝶燕の模様のある

襟を私のに買つた。

 

腹立だしい気がした。

 

平出さんへ寄つた。

煙草が欲しいと云つたらエンチヤンテレ

スはないと笑はれた。

 

私のために送別会をしてくれないやうに、

着て出る着物がないから今からお頼みし

て置くのだと私は云つた。

 

昨日も平野君がその話をして綺麗な自動

車にあなたを載せて街を皆で歩かうかな

どゝ云つて居たと平出さんは云つた。

 

 

玉川堂で短冊を買つて帰つた。

 

子供等は持つて帰つた林檎をおいしさう

に食べるのであつたが、私は一片れも食

べる気がしなかつた。

 

夕飯の時に阪本さんが来た。

留守の間に浅草の川上さんのお使が見え

たさうである。

 

 


 八日


 昨夜は雅子さんの夢を見た。

 

雅子さんに手紙を書かうかなどゝ朝の床

の中では考へた。

 

川上さんの女の書生さんが見え、吉小神

さんが来た。

 

昨日の続きの仕事をして居たが昼頃か

ら少し頭痛がし出した。

 

湯にでも入つて来ようと思つて、七瀬と

八峰を伴れて湯屋へ行つた。

 

帰つて来て髪を解いたがいよいよ頭痛が

烈しくなつて身体の節々も痛くてならな

くなつて来た。

 

 

修さんが来て短冊を欲しいと云ふので五

枚書いて渡した。

 

来月の末に加藤大使が英国へ帰任するの

にシベリヤ鉄道で行くから、同行を頼ん

でやらうかと役所で云つてくれた人があ

つたが、

 

船に決めたと云つて断つたと聞いて私は

残念でならなかつた。

 

 

新潮社の中村さんが来た。何度逢つても

例のやうな私には覚える事の出来憎い顔

であるなどと話しながら思つて居た。

 

 

夕飯を味噌漬の太刀魚で食べた。

光が煮しめばかり食べて魚を余り食べな

かつたからソツプを飲ませた。

 

玄関の土間の暗くなつた頃に平野さんが

来た。

 

これから暁星の夜学に行くのだと云つて

腰を掛けた儘で話した。

 

先刻聞いた加藤大使の話をすると、さう

して汽車に乗つて行つたら好い。

 

免状なんか書き替へて貰へば好いと例の

調子で云つてくれた。

 

然しその話が外から来たのではなし、汽

車の旅を大反対の修さんの持つて来た話

なのであるから、

 

私は苦しんで居るのだ、出来さうにない

わけだと私は思つて居た。

 

 

茶の間へ来ると、
『母様は面白い人ね、平野さんのお父さ

んと話してたのでせう、平野さんぢやな

い人と話をするなんか。』


 と七瀬が云つた。

平野さんだと云ふと、


『さう、やつぱし平野さんの子供の方な

の。』


 と驚いたやうに云つて居た。

 

 

子供の床をとつて居るうちに倒れる程

頭が痛んで来た。

 

私は昼の着物を着たまゝで子供の寝る時

刻から床に入つて居た。

 

私は眠りさうなのであるが桃が明日の買

物に行くと云ふのを留めるのも何だと思

つて、


『ああ。』
 と云つて出してやつた。

 

 

桃は玄関の戸を閉め寄せて行つた。恐い

夢を見て目を開くと九時であつた。

 

桃を呼んで見たがまだ帰らないらしい。

 

風が戸に当つて気味の悪い音を立てゝ居

た。

 

私は今見た夢の中の心持ちの続きも交つ

て居て恐しさにどうすれば好いかなどゝ

思つて居た。

 

十五分程して桃が帰つて来たので嬉しか

つた。

 

頭痛はもう癒つて居た。

私は桃を寝させてからまた仕事をしだし

た。

 

十一時頃に藤の裏葉を書いてしまつて、

それから巴里へ送る手紙を書いた。