https://www.youtube.com/watch?v=72s73owDpus

 

 

 

 

 

 

ケーベル先生の告別 

夏目漱石 

 

 

 ケーベル先生は今日(八月十二日)日

本を去るはずになっている。

 

しかし先生はもう二、三日まえから東京

にはいないだろう。

 

先生は虚儀虚礼をきらう念の強い人であ

る。

 

二十年前大学の招聘に応じてドイツを立

つ時にも、先生の気性を知っている友人

は一人も停車場へ送りに来なかったとい

う話である。

 

先生は影のごとく静かに日本へ来て、ま

た影のごとくこっそり日本を去る気らし

い。 


 静かな先生は東京で三度居を移した。

先生の知っている所はおそらくこの三軒

の家と、そこから学校へ通う道路くらい

なものだろう。

 

かつて先生に散歩をするかと聞いたら、

先生は散歩をするところがないから、し

ないと答えた。

 

先生の意見によると、町は散歩すべきも

のでないのである。 


 こういう先生が日本という国について

なにも知ろうはずがない。

 

また知ろうとする好奇心をもっている道

理もない。

 

私が早稲田にいると言ってさえ、先生に

は早稲田の方角がわからないくらいであ

る。

 

深田君に大隈伯のうちへ呼ばれた昔を注

意されても、先生はすでに忘れている。

 

先生には大隈伯の名さえはじめてであっ

たかもしれない。 


 私が先月十五日の夜晩餐の招待を受け

た時、先生に国へ帰っても朋友がありま

すかと尋ねたら、

 

先生は南極と北極とは別だが、ほかのと

ころならどこへ行っても朋友はいると答

えた。

 

これはもとより冗談であるが、先生の頭

の奥に、区々たる場所を超越した世界的

の観念が潜んでいればこそ、こんな挨拶

もできるのだろう。

 

またこんな挨拶ができればこそ、たいし

た興味もない日本に二十年もながくいて、

不平らしい顔を見せる必要もなかったの

だろう。 


 場所ばかりではない、時間のうえで

も先生の態度はまったく普通の人と違

っている。

 

郵船会社の汽船は半分荷物船だから船

足がおそいのに、なぜそれをえらんだ

のかと私が聞いたら、

 

先生はいくら長く海の中に浮いていて

も苦にはならない、それよりも日本か

らベルリンまで十五日で行けるとか十四

日で着けるとかいって、

 

旅行が一日でも早くできるのを、非常の

便利らしく考えている人の心持ちがわか

らないと言った。 


 先生の金銭上の考えも、まったく西洋

人とは思われないくらい無頓着である。

 

先生の宅に厄介になっていたものなどは、

ずいぶん経済の点にかけて、普通の家に

は見るべからざる自由を与えられている

らしく思われた。

 

このまえ会った時、ある蓄財家の話が出

たら、いったいあんなに金をためてどう

するりょうけんだろうと言って苦笑して

いた。

 

先生はこれからさき、日本政府からもら

う恩給と、今までの月給の余りとで、暮

らしてゆくのだが、

 

その月給の余りというのは、天然自然に

できたほんとうの余りで、用意の結果で

もなんでもないのである。 


 すべてこんなふうにでき上がっている

先生にいちばん大事なものは、人と人を

結びつける愛と情けだけである。

 

ことに先生は自分の教えてきた日本の学

生がいちばん好きらしくみえる。

 

私が十五日の晩に、先生の家を辞して帰

ろうとした時、自分は今日本を去るに臨

んで、ただ簡単に自分の朋友、ことに自

分の指導を受けた学生に、

 

「さようならごきげんよう」という一句

を残して行きたいから、それを朝日新聞

に書いてくれないかと頼まれた。

 

先生はそのほかの事を言うのはいやだと

いうのである。

 

また言う必要がないというのである。

同時に広告欄にその文句を出すのも好ま

ないというのである。

 

私はやむをえないから、ここに先生の許

諾を得て、「さようならごきげんよう」

のほかに、

 

私自身の言葉を蛇足ながらつけ加えて、

先生の告別の辞が、先生の希望どおり、

先生の薫陶を受けた多くの人々の目に

留まるように取り計らうのである。

 

そうしてその多くの人々に代わって、

先生につつがなき航海と、穏やかな余

生とを、心から祈るのである。