https://www.youtube.com/watch?v=zIksEFgITAs

 

 

 

 

長谷川君と余 

夏目漱石 



 長谷川君と余は互に名前を知るだけで、

その他には何の接触もなかった。

 

余が入社の当時すらも、長谷川君がすで

にわが朝日の社員であるという事を知ら

なかったように記憶している。

 

それを知り出したのは、どう云う機会で

あったか今は忘却してしまった。

 

とにかく入社してもしばらくの間は顔を

合わせずにいた。

 

しかも長谷川君の家は西片町で、余も当

時は同じ阿部の屋敷内に住んでいたのだ

から、住居から云えばつい鼻の先である。

 

だから本当を云うと、こっちから名刺で

も持って訪問するのが世間並の礼であっ

たんだけれども、

 

そこをつい怠けて、どこが長谷川君の家

だか聞き合わせもせずに横着をきめてし

まった。

 

すると間もなく大阪から鳥居君が来たの

で、主筆の池辺君が我々十余人を有楽町

の倶楽部へ呼んで御馳走をしてくれた。

 

余は新人の社員として、その時始めてわ

が社の重なる人と食卓を共にした。

 

そのうちに長谷川君もいたのである。

 

これが長谷川君でと紹介された時には、

かねて想像していたところと、あまりに

隔たっていたので、心のうちでは驚きな

がら挨拶をした。

 

始め長谷川君の這入って来た姿を見た

ときは――

 

また長谷川君が他の昵懇な社友とやあ

という言葉を交換する調子を聞いた時

――

 

全く長谷川君だとは気がつかなかった。

 

ただ重な社員の一人なんだろうと思った。

 

余は若い時からいろいろ愚な事を想像す

る癖があるが、未知の人の容貌態度など

はあまり脳中に描かない。

 

ことに中年からは、この方面にかけると

全く散文的になってしまっている。

 

だから長谷川君についても別段に鮮明な

予想は持っていなかったのであるけれど

も、

 

冥々のうちに、漠然とわが脳中に、長谷

川君として迎えるあるものが存在してい

たと見えて、長谷川君という名を聞くや

否やおやと思った。

 

もっともその驚き方を解剖して見るとみ

んな消極的である。

 

第一あんなに背の高い人とは思わなかっ

た。

 

あんなに頑丈な骨骼を持った人とは思わ

なかった。

 

あんなに無粋な肩幅のある人とは思わな

かった。

 

あんなに角張った顎の所有者とは思わな

かった。

 

君の風はどこからどこまで四角である。

頭まで四角に感じられたから今考えると

おかしい。

 

その当時「その面影」は読んでいなかっ

たけれども、あんな艶っぽい小説を書く

人として自然が製作した人間とは、とて

も受取れなかった。

 

魁偉というと少し大袈裟で悪いが、いず

れかというと、それに近い方で、とうて

い細い筆などを握って、

 

机の前で呻吟していそうもないから実は

驚いたのである。

 

しかしその上にも余を驚かしたのは君の

音調である。

 

白状すれば、もう少しは浮いてるだろう

と思った。

 

ところが非常な呂音で大変落ちついて、

ゆったりした、少しも逼るところのない

話し方をする。

 

しかも余に紹介された時、君はただ一二

語しか云わなかった。

 

(もっとも余も同じ分量ぐらいしか挨拶

に費やさなかったのは事実である。)

 

その言葉は今全く忘れているが、普通に

ありふれた空虚な辞令でなかったのはた

しかである。

 

むしろ双方で無愛想に頭を下げたのだっ

たろうが、自分の事は分らないから、相

手の容子だけに驚くのである。

 

文学者だから御世辞を使うとすると、ほ

かの諸君にすまないけれども、実を云え

ば長谷川君と余の挨拶が、ああ単簡至極

に片づこうとは思わなかった。

 

これらは皆予想外である。 


 この席上で余は長谷川君と話す機会を

得なかった。

 

ただ黙って君の話しを聞いていた。

その時余の受けた感じは、品位のある紳

士らしい男――

 

文学者でもない、新聞社員でもない、ま

た政客でも軍人でもない、あらゆる職業

以外に厳然として存在する一種品位のあ

る紳士から受くる社交的の快味であった。

 

そうして、この品位は単に門地階級から

生ずる貴族的のものではない、半分は性

情、半分は修養から来ているという事を

悟った。

 

しかもその修養のうちには、自制とか克

己とかいういわゆる漢学者から受け襲い

で、強いて己を矯めた痕迹がないと云う

事を発見した。

 

そうしてその幾分は学問の結果自らここ

に至ったものと鑑定した。

 

また幾分は学問と反対の方面、すなわち

俗に云う苦労をして、野暮を洗い落とし

て、そうして再び野暮に安住していると

ころから起ったものと判断した。 


 そのうち、君は池辺君と露西亜の政党

談をやり出した。

 

大変興味があると見えて、いつまで立っ

てもやめない。

 

娓々数千言と云うとむやみに能弁にしゃ

べるように聞こえてわるいが、時間から

云えば、

 

こんな形容詞でも使わなくってはならな

くなるくらい論じていた。

 

その知識の詳密精細なる事はまた格別な

もので、向って左のどの辺に誰がいて、

その反対の側に誰の席があるなどと、

 

まるで露西亜へ昨日行って見て来たよう

に例のむずかしい何々スキーなどと云う

名前がいくつも出た。

 

しかし不思議にもこの談話は、物知りぶ

った、また通がった陋悪な分子を一点も

含んでいなかった。

 

余は固より政党政治に無頓着な質であっ

て、今の衆議院の議長は誰だったかねと

聞いて友達から笑われたくらいの男だか

ら、露西亜に議会があるかないかさえ知

らない。

 

したがってこの談話には何らの興味もな

かった。

 

それで、あんまり長いから、談話の途中

で失敬して家へ帰ってしまった。

 

これが余の長谷川君と初対面の時の感想

である。