https://www.youtube.com/watch?v=w5WaTNCh0Zk

 

 

 

 

 

檸檬 

梶井基次郎

 


 えたいの知れない不吉な塊が私の心を

始終圧えつけていた。

 

焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――

を飲んだあとに宿酔があるように、酒を

毎日飲んでいると宿酔に相当した時期が

やって来る。

 

それが来たのだ。

これはちょっといけなかった。

 

結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけな

いのではない。

また背を焼くような借金などがいけない

のではない。

 

いけないのはその不吉な塊だ。

以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、

どんな美しい詩の一節も辛抱がならなく

なった。

 

蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出か

けて行っても、最初の二三小節で不意に

立ち上がってしまいたくなる。

 

何かが私を居堪らずさせるのだ。

それで始終私は街から街を浮浪し続けて

いた。 

 

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美

しいものに強くひきつけられたのを覚え

ている。

 

風景にしても壊れかかった街だとか、そ

の街にしてもよそよそしい表通りよりも

どこか親しみのある、

 

汚い洗濯物が干してあったりがらくたが

転がしてあったりむさくるしい部屋が覗

いていたりする裏通りが好きであった。

 

雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、

と言ったような趣きのある街で、土塀が

崩れていたり家並が傾きかかっていたり

 

――勢いのいいのは植物だけで、時とす

るとびっくりさせるような向日葵があっ

たりカンナが咲いていたりする。 

 

 時どき私はそんな路を歩きながら、ふ

と、そこが京都ではなくて京都から何百

里も離れた仙台とか長崎とか

 

――そのような市へ今自分が来ているの

――という錯覚を起こそうと努める。

 

私は、できることなら京都から逃げ出し

て誰一人知らないような市へ行ってしま

いたかった。

 

第一に安静。がらんとした旅館の一室。

清浄な蒲団。

匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。

 

そこで一月ほど何も思わず横になりたい。

 

希わくはここがいつの間にかその市にな

っているのだったら。

――錯覚がようやく成功しはじめると私

はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけ

てゆく。

 

なんのことはない、私の錯覚と壊れかか

った街との二重写しである。

そして私はその中に現実の私自身を見失

うのを楽しんだ。 

 

 私はまたあの花火というやつが好きに

なった。

花火そのものは第二段として、あの安っ

ぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざま

の縞模様を持った花火の束、中山寺の星

下り、花合戦、枯れすすき。

 

それから鼠花火というのは一つずつ輪に

なっていて箱に詰めてある。そんなもの

が変に私の心を唆った。 

 

 それからまた、びいどろという色硝子

で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好

きになったし、南京玉が好きになった。

 

またそれを嘗めてみるのが私にとってな

んともいえない享楽だったのだ。

 

あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味が

あるものか。

 

私は幼い時よくそれを口に入れては父母

に叱られたものだが、その幼時のあまい

記憶が大きくなって落ち魄れた私に蘇え

ってくる故だろうか、

 

まったくあの味には幽かな爽やかななん

となく詩美と言ったような味覚が漂って

来る。 

 

 察しはつくだろうが私にはまるで金が

なかった。

とは言えそんなものを見て少しでも心の

動きかけた時の私自身を慰めるためには

贅沢ということが必要であった。

 

二銭や三銭のもの――と言って贅沢なも

の。

美しいもの――と言って無気力な私の触

角にむしろ媚びて来るもの。

――そう言ったものが自然私を慰めるの

だ。 

 

 生活がまだ蝕まれていなかった以前私

の好きであった所は、たとえば丸善であ

った。

 

赤や黄のオードコロンやオードキニン。

洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮

模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。

 

煙管、小刀、石鹸、煙草。

私はそんなものを見るのに小一時間も費

すことがあった。

 

そして結局一等いい鉛筆を一本買うくら

いの贅沢をするのだった。

しかしここももうその頃の私にとっては

重くるしい場所に過ぎなかった。

 

書籍、学生、勘定台、これらはみな借金

取りの亡霊のように私には見えるのだっ

た。 

 

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙

の友達へというふうに友達の下宿を転々

として暮らしていたのだが

 

――友達が学校へ出てしまったあとの空

虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残

された。

 

私はまたそこから彷徨い出なければなら

なかった。

何かが私を追いたてる。

 

そして街から街へ、先に言ったような裏

通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留

まったり、

 

乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、

とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そ

この果物屋で足を留めた。

 

ここでちょっとその果物屋を紹介したい

のだが、その果物屋は私の知っていた範

囲で最も好きな店であった。

 

そこは決して立派な店ではなかったのだ

が、果物屋固有の美しさが最も露骨に感

ぜられた。

 

果物はかなり勾配の急な台の上に並べて

あって、その台というのも古びた黒い漆

塗りの板だったように思える。

 

何か華やかな美しい音楽の快速調の流れ

が、見る人を石に化したというゴルゴン

の鬼面――的なものを差しつけられて、

 

あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固

まったというふうに果物は並んでいる。

 

青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く

積まれている。

――実際あそこの人参葉の美しさなどは

素晴しかった。

 

それから水に漬けてある豆だとか慈姑だ

とか。