https://www.youtube.com/watch?v=0gfA4i3VEl4
蛇の話をしようかしら。その四、五日前の
午後に、近所の子供たちが、お庭の垣の竹藪
から、蛇の卵を十ばかり見つけて来たのであ
る。
子供たちは、「蝮の卵だ」
と言い張った。私はあの竹藪に蝮が十匹も
生れては、うっかりお庭にも降りられないと
思ったので、
「焼いちゃおう」
と言うと、子供たちはおどり上がって喜び、
私のあとからついて来る。
竹藪の近くに、木の葉や柴を積み上げて、
それを燃やし、その火の中に卵を一つずつ投
げ入れた。
卵は、なかなか燃えなかった。子供たちが、
更に木の葉や小枝を焔の上にかぶせて火勢
を強くしても、卵は燃えそうもなかった。
下の農家の娘さんが、垣根の外から、
「何をしていらっしゃるのですか?」
と笑いながらたずねた。
「蝮の卵を燃やしているのです。蝮が出ると、
こわいんですもの」
「大きさは、どれくらいですか?」
「うずらの卵くらいで、真白なんです」
「それじゃ、ただの蛇の卵ですわ。蝮の卵じ
ゃないでしょう。生の卵は、なかなか燃えま
せんよ」
娘さんは、さも可笑しそうに笑って、去っ
た。
三十分ばかり火を燃やしていたのだけれど
も、どうしても卵は燃えないので、子供たち
に卵を火の中から拾わせて、梅の木の下に埋
めさせ、私は小石を集めて墓標を作ってやっ
た。
「さあ、みんな、拝むのよ」
私がしゃがんで合掌すると、子供たちもお
となしく私のうしろにしゃがんで合掌した
ようであった。
そうして子供たちとわかれて、私ひとり石段
をゆっくりのぼって来ると、石段の上の、藤
棚の蔭にお母さまが立っていらして、
「可哀そうな事をするひとね」
とおっしゃった。
「蝮かと思ったら、ただの蛇だったの。けれ
ど、ちゃんと埋葬してやったから、大丈夫」
とは言ったものの、こりゃお母さまに見ら
れて、まずかったかなと思った。
お母さまは決して迷信家ではないけれども、
十年前、お父上が西片町のお家で亡くなられ
てから、蛇をとても恐れていらっしゃる。
お父上の御臨終の直前に、お母さまが、お父
上の枕元に細い黒い紐が落ちているのを見て、
何気なく拾おうとなさったら、それが蛇だっ
た。
するすると逃げて、廊下に出てそれからどこ
へ行ったかわからなくなったが、それを見た
のは、お母さまと、和田の叔父さまとお二人
きりで、お二人は顔を見合せ、けれども御臨
終のお座敷の騒ぎにならぬよう、こらえて黙
っていらしたという。
私たちも、その場に居合せていたのだが、そ
の蛇の事は、だから、ちっとも知らなかった。
けれども、そのお父上の亡くなられた日の
夕方、お庭の池のはたの、木という木に蛇が
のぼっていた事は、私も実際に見て知ってい
る。
私は二十九のばあちゃんだから、十年前のお
父上の御逝去の時は、もう十九にもなってい
たのだ。
もう子供では無かったのだから、十年経って
も、その時の記憶はいまでもはっきりしてい
て、間違いは無い筈だが、私がお供えの花を
剪りに、お庭のお池のほうに歩いて行って、
池の岸のつつじのところに立ちどまって、ふ
と見ると、そのつつじの枝先に、小さい蛇が
まきついていた。
すこしおどろいて、つぎの山吹の花枝を折ろ
うとすると、その枝にも、まきついていた。
隣りの木犀にも、若楓にも、えにしだにも、
藤にも、桜にも、どの木にも、どの木にも、
蛇がまきついていたのである。
けれども私には、そんなにこわく思われなか
った。
蛇も、私と同様にお父上の逝去を悲しんで、
穴から這い出てお父上の霊を拝んでいるので
あろうというような気がしただけであった。
そうして私は、そのお庭の蛇の事を、お母さ
まにそっとお知らせしたら、お母さまは落ち
ついて、ちょっと首を傾けて何か考えるよう
な御様子をなさったが、べつに何もおっしゃ
りはしなかった。
けれども、この二つの蛇の事件が、それ以
来お母さまを、ひどい蛇ぎらいにさせたのは
事実であった。
蛇ぎらいというよりは、蛇をあがめ、おそれ
る、つまり畏怖の情をお持ちになってしまっ
たようだ。
蛇の卵を焼いたのを、お母さまに見つけら
れ、お母さまはきっと何かひどく不吉なもの
をお感じになったに違いないと思ったら、私
も急に蛇の卵を焼いたのがたいへんなおそろ
しい事だったような気がして来て、この事が
お母さまに或いは悪い祟りをするのではある
まいかと、心配で心配で、あくる日も、また
そのあくる日も忘れる事が出来ずにいたのに、
けさは食堂で、美しい人は早く死ぬ、などめ
っそうも無い事をつい口走って、あとで、ど
うにも言いつくろいが出来ず、泣いてしまっ
たのだが、
朝食のあと片づけをしながら、何だか自分の
胸の奥に、お母さまのお命をちぢめる気味わ
るい小蛇が一匹はいり込んでいるようで、い
やでいやで仕様が無かった。
そうして、その日、私はお庭で蛇を見た。
その日は、とてもなごやかないいお天気だっ
たので、私はお台所のお仕事をすませて、そ
れからお庭の芝生の上に籐椅子をはこび、そ
こで編物を仕様と思って、籐椅子を持ってお
庭に降りたら、庭石の笹のところに蛇がいた。
おお、いやだ。私はただそう思っただけで、
それ以上深く考える事もせず、籐椅子を持っ
て引返して縁側にあがり、縁側に椅子を置い
てそれに腰かけて編物にとりかかった。
午後になって、私はお庭の隅の御堂の奥にし
まってある蔵書の中から、ローランサンの画
集を取り出して来ようと思って、お庭へ降り
たら、芝生の上を、蛇が、ゆっくりゆっくり
這っている。
朝の蛇と同じだった。ほっそりした、上品な
蛇だった。私は、女蛇だ、と思った。
彼女は、芝生を静かに横切って野ばらの蔭ま
で行くと、立ちどまって首を上げ、細い焔の
ような舌をふるわせた。
そうして、あたりを眺めるような恰好をした
が、しばらくすると、首を垂れ、いかにも物
憂げにうずくまった。
私はその時にも、ただ美しい蛇だ、という思
いばかりが強く、やがて御堂に行って画集を
持ち出し、かえりにさっきの蛇のいたところ
をそっと見たが、もういなかった。
夕方ちかく、お母さまと支那間でお茶をい
ただきながら、お庭のほうを見ていたら、石
段の三段目の石のところに、けさの蛇がまた
ゆっくりとあらわれた。
お母さまもそれを見つけ、
「あの蛇は?」
とおっしゃるなり立ち上って私のほうに走
り寄り、私の手をとったまま立ちすくんでお
しまいになった。
そう言われて、私も、はっと思い当り、
「卵の母親?」
と口に出して言ってしまった。
「そう、そうよ」
お母さまのお声は、かすれていた。
私たちは手をとり合って、息をつめ、黙っ
てその蛇を見護った。石の上に、物憂げにう
ずくまっていた蛇は、よろめくようにまた動
きはじめ、そうして力弱そうに石段を横切り、
かきつばたのほうに這入って行った。
「けさから、お庭を歩きまわっていたのよ」
と私が小声で申し上げたら、お母さまは、
溜息をついてくたりと椅子に坐り込んでおし
まいになって、
「そうでしょう? 卵を捜しているのですよ。
可哀そうに」
と沈んだ声でおっしゃった。
私は仕方なく、ふふと笑った。
