- 予約更新です
- オーウェル著作集〈4〉1945-1950 (1971年)/著者不明
- ¥2,415
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タイトルにしました、「リアとトルストイと道化」は、この平凡社の『オーウェル著作集Ⅳ』に収録されています。
書評とか、手紙とか、その他もろもろが収録されたこの著作集のうち、
これしか読んでいません。
20ページもありませんので、すぐに読めます。
- シェイクスピア・オン・スクリーン―シェイクスピア映画への招待/狩野 良規
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ちょっと時間がなくてレビュー書けなかったんだけれど、読み終わった段階には付箋でいっぱいになっていたし
ぜひ書きたかったこの本の中で紹介されていて、今回読みました。
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ちなみに、この本シェイクスピア映画に興味のある方にはお勧めです。
名作だと名高い作品でも、ちゃんとした根拠で批判したりもしてなかなか好感のもてる本でした。
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トルストイが「シェイクスピア論および演劇論 」でシェイクスピア批判を行っていることは有名なんだけれど
意外と知られていないのが、『動物農場』や『一九八四年』で有名なジョージ・オーウェルがそれに対してまた対抗していること。
・・・・・・・・・っていう、私自身知らなかったんだけど。あはは・・・・(苦笑)
トルストイの「シェイクスピア論および演劇論」は読んでいた方がより分かりやすいと思いますが、
オーウェルも解説してくれています。
まず、冒頭では「トルストイのパンフレット(このシェイクスピア~のこと)は、彼の著作のなかでは一番知られていない。なかでもシェイクスピアを攻撃したものは、とにかく英訳に関して言えば、今では手に入れることも難しい文献である。」と述べています。
それなのに、和訳までもがあるって素晴らしいですね~~~!
トルストイは彼が好きになれないシェイクスピアが長い間尊敬され続けてきたことを
「それが彼の時代、そしてわれわれの時代の上流の宗教心のない不道徳な精神とうまく符合しているから」
だと言い放ちます。
そして、シェイクスピアの名声がどのように「始まった」かに関してのトルストイの説明は
18世紀末のドイツの教授たちによって「作りだされた」ものだと言っているんですね。
(余談ですが、ドイツのシェイクスピア研究って特に進んでるらしい。)
それに対しオーウェルは言い返します。そもそも、オーウェルは、「実際シェイクスピアにしろ、あるいはほかのどの作家にしろ、それが『よい』作家であることをなんらかの証拠や論証で示すということは、もともと出来っこない話である」
と述べてるんですよね。言えてる。
そして、「文学上の功績を測るものは、それが生き残ってゆくかどうかということしかない」のである、と。
すなわち古典になって残れるか。残り続けることができるか・・・・・。
それって、つまり、多数意見ってことでしょ?
ということは、トルストイの言っている芸術理論は「全く」価値がないのだと。
おお。言っちゃった!
そのために厳密にいえばトルストイの攻撃に「答える」ことは本来出来ない・・・・・と言いつつも、
反撃しています。
まずオーウェルが指摘しているのは
トルストイが説明する『リア王』の扱い方について。
要約箇所があるのだけれど、間違った印象を与えかねない書き方をしている。
彼が批判している文章をいつも少し変えて、筋も少しばかり実際よりも複雑な、起こりそうもないものにしてしまうし、言葉も相当誇張したものにしてしまっている。
この二つを非難しているのですが、これは確かに酷い。やっちゃいけません。
あなただって小説書いてるんでしょ、やっちゃいけないことくらい分かるでしょ、と言いたくなります。
オーウェル自身もシェイクスピアの『リア王』の欠点は認めるものの、
簡単にいえば、トルストイって読解力ないの?? と言いたげなことを言っています。
トルストイは、ちゃんと書いてあるでしょ? ってことを指摘していたりするから
言われても仕方ない気もしますが。
(詳しくは読んでくださいね)
また、しつこいくらい『リア王』を取り上げているトルストイですが
詩人としてのシェイクスピアに全く触れていないことにも言及しています。
ただ、オーウェルはシェイクスピアの愛好家たちによって高く評価されている作品に『アテネのタイモン』だけを挙げているのが疑問です。
ストーリー自体は好きだけど、やっぱり未熟さは否めないと思うけどなぁ。
オーウェルの指摘で面白いなと思ったのが、
リア王を思い浮かべると、奇妙なことにトルストイに似ていると述べていること(笑)
うん・・・・・・・・・(笑) イメージぴったり。
また、リアと晩年のトルストイがとても似ていると述べているんですね。
根本的な類似は 「トルストイは、リア王と同じく間違った動機で行動を起こし、彼が自分で望んだような結果は得られなかった点」であると。
考えもしなかったけれど、確かに言われてみると・・・・・そうかもしれませんね。。。
オーウェルは、こうも言っています。
「読者は、彼のほかの著作は何ひとつ知らなくても、この1冊のパンフレットからだけでも、彼に精神的な弱い者いじめの傾向があることを推論することができる。」
「トルストイは暴力を慎むこと、そして暴力が何を意味するかを理解することはできたが、しかしほんとうの寛容とか謙虚とかをもつことはできなかった」 と。
シェイクスピアに対して辛辣な批判をしたジョージ・バーナード・ショーは、
説得力がある上に、シェイクスピアの良さは認め、それゆえの愛も感じられるんですよねぇ・・・
私個人はバーナード・ショーの作品自体は好きじゃないんですが。
だけど、トルストイって、偉大すぎる先人をただ扱き下ろしたって感じ?
もちろんトルストイも偉大なんですが、どんなにあなたが偉大でも、合う、合わない、そして好き、嫌いがあるのだということを理解できなかっただけなのでは・・・・・・・と思ってしまいます。
何故嫌いなのかを見定めようとする姿勢と努力は凄いんですけどね。
シェイクスピアに次いで、2番目にトルストイが好きだと宣言(?)している者にとっては、なかなか複雑な心境です・・・・・・(苦笑)