わぁーお!
やっぱりいつも平凡ではない私の人生
最後の晩餐
ケーキにして
あの世に行きかけ戻って参りました
また書くことが増えました
でも、かなりスローペースでまだ幼い頃の内容を書いているので、今の時点まで辿り着くには
いつになることやら

最後の晩餐
ケーキにして
あの世に行きかけ戻って参りました
また書くことが増えました

でも、かなりスローペースでまだ幼い頃の内容を書いているので、今の時点まで辿り着くには
いつになることやら
育ってきた環境。幼少期③
幼稚園でのお弁当
2歳ずつ離れた姉妹3人の子育てが大変だったのもあったのでしょうが、
当時は今ほどではないけど、キャラ弁を持ってきている子やタコさんウインナーが入っている子が多くいる中、
毎日、おにぎり
ミートボール、甘かったり食べれない程塩辛かったりする卵焼き、カニカマ、ソーセージ、うずらの卵入りの桜かまぼこ
、イカの缶詰め(おつまみとかで食べるやつ)、牛肉とピーマンと人参を炒めた物、ミニトマト、たまにホワイトアスパラの缶詰め、の中での組み合わせ。
それ以外はほとんど見たことなく、当時は幼児ながらにさすがに飽きることも
園庭でお弁当を食べる日に頼んで作ってもらった簡単なサンドイッチさえ特別な感じがしてました
今思えば、手抜きが多い上、バランス悪いし塩分多い
30年経った今でも母は料理の味見を殆どしません

醤油を後から足すときもドバッと入れ、料理は塩辛いことが多く、おかげで父は40代からかなりの高血圧


幼稚園や小学校低学年の頃の家
でのご飯
も昼はチキンラーメン一人前を姉妹で3等分した物がしょっちゅうで、当然すぐお腹が空きます
お腹が空いたと言うと、家で漬けていた紅生姜を一本渡され、それを食べておけと言われ、幼児に当然そんなに食べられる訳がなく「辛い~
」って泣いてました
小学校高学年になると、お昼はご飯
とソーセージと卵焼きや、素麺が多かった
幼児期から高校生になってからもですが、お弁当に腐りかけの匂いがする御飯
も時々、悪びれもなく普通に入れられてました
大人になり食品衛生を学習
した私には“弁当に…しかも子どもの…ありえない
”と思う
夕食も、焼きそば・お好み焼き・焼き肉・天ぷら・肉じゃが・焼き魚・カレー・シチュー・ほか弁・大将の中華
のローテーションが主。
手の込んだ料理はほとんどなく、例えばロールキャベツやグラタン、手作りケーキ
なども、小学校4、5年生で私が作るようになるまでは家で食べたことがなかった
また、ほったらかしにされてることが多かった私は、母に髪の毛を櫛でといてもらうこともあまりなかったので、幼稚園や小学校低学年の頃の髪の毛は毛量が多いのもあってボサボサ
みんな可愛く髪の毛を結って貰ったりしているのに…
それが嫌で自分で髪の毛をとこうとしても、普段放置されているので、髪の毛が絡まりまくって櫛が引っ掛かって通らない
そんな毎日で、幼稚園、小学校の時の集合写真
やスナップ写真
を見ると、顔つきも髪型もいけてなくて、写真を見るのも見られるのも好きではありません

2歳ずつ離れた姉妹3人の子育てが大変だったのもあったのでしょうが、
当時は今ほどではないけど、キャラ弁を持ってきている子やタコさんウインナーが入っている子が多くいる中、
毎日、おにぎり
ミートボール、甘かったり食べれない程塩辛かったりする卵焼き、カニカマ、ソーセージ、うずらの卵入りの桜かまぼこ
、イカの缶詰め(おつまみとかで食べるやつ)、牛肉とピーマンと人参を炒めた物、ミニトマト、たまにホワイトアスパラの缶詰め、の中での組み合わせ。それ以外はほとんど見たことなく、当時は幼児ながらにさすがに飽きることも

園庭でお弁当を食べる日に頼んで作ってもらった簡単なサンドイッチさえ特別な感じがしてました

今思えば、手抜きが多い上、バランス悪いし塩分多い

30年経った今でも母は料理の味見を殆どしません


醤油を後から足すときもドバッと入れ、料理は塩辛いことが多く、おかげで父は40代からかなりの高血圧



幼稚園や小学校低学年の頃の家
でのご飯
も昼はチキンラーメン一人前を姉妹で3等分した物がしょっちゅうで、当然すぐお腹が空きます
お腹が空いたと言うと、家で漬けていた紅生姜を一本渡され、それを食べておけと言われ、幼児に当然そんなに食べられる訳がなく「辛い~
」って泣いてました
小学校高学年になると、お昼はご飯
とソーセージと卵焼きや、素麺が多かった
幼児期から高校生になってからもですが、お弁当に腐りかけの匂いがする御飯
も時々、悪びれもなく普通に入れられてました
大人になり食品衛生を学習
した私には“弁当に…しかも子どもの…ありえない
”と思う
夕食も、焼きそば・お好み焼き・焼き肉・天ぷら・肉じゃが・焼き魚・カレー・シチュー・ほか弁・大将の中華
のローテーションが主。手の込んだ料理はほとんどなく、例えばロールキャベツやグラタン、手作りケーキ
なども、小学校4、5年生で私が作るようになるまでは家で食べたことがなかった
また、ほったらかしにされてることが多かった私は、母に髪の毛を櫛でといてもらうこともあまりなかったので、幼稚園や小学校低学年の頃の髪の毛は毛量が多いのもあってボサボサ

みんな可愛く髪の毛を結って貰ったりしているのに…
それが嫌で自分で髪の毛をとこうとしても、普段放置されているので、髪の毛が絡まりまくって櫛が引っ掛かって通らない

そんな毎日で、幼稚園、小学校の時の集合写真
やスナップ写真
を見ると、顔つきも髪型もいけてなくて、写真を見るのも見られるのも好きではありません
育ってきた環境。幼小期②
祖母がその入院
から退院後、腰痛や軽度の麻痺からか思うように身体が動けず、再び転倒する恐怖もあったようで、私の家から離れた市外の自宅から同じ校区内の少し離れた近所に引っ越して来ました。
私が通っていた私立幼稚園の行き帰りの途中に祖母の自宅があり、幼稚園の帰りに母が作った夕食を祖母の自宅に持っていってから帰宅していました。
幼稚園の帰りに祖母の自宅に寄っていた記憶はありますが、そこで祖母と会話した記憶はありません。
祖母が嫌いだった母は、タッパーに入った物を渡して会話することなく直ぐに帰っていたのだと思います。
祖母が引っ越して来た頃から、母の私への八つ当りも更にエスカレートしました。
今までも、兄弟喧嘩をしても見ていないのに理由も聞かず長女である私が悪く言われ、叩かれまくっていたのですが、
私が、幼稚園から帰ると、靴下を脱いだら「臭い」と怒られ叩かれ、冷蔵庫を開けただけで叩かれ、それらで泣いて「何で叩くんよ!」と反抗すると、何発も叩かれた上に、両手を掴み上げられフローリングに頭を何度もぶつけられたり、「死んでおいで!死なな治らんな!その口は!!
」「産まれてこえへんかったらよかってん
」などと言われたり…
小学校に入ってからは、そう言われた時は「それならその包丁で刺して殺しいや
何で自分で死ななあかんのよ
自分(母)が刺して殺したらいいやん
犯罪者になるのが嫌なんか知らんけど
」って言い返してました。
毎日毎日こんなんばっかりやったら死んでもいいと思ってた。
産まれてこなければよかったのに何で産まれてきたんやろうって思ってた。
お風呂に入りシャンプーを流して目をつむっていると、嫌味ったらしく「その顔うちのおばあさんにそっくりやなぁ!嫌やわぁ
」と言われたり、
7歳の頃に、祖母がまた脳梗塞で入院し、一人暮らしは難しいということで、隣の家がちょうど引っ越したので、祖母は隣に住むようになりました。
祖母の事を「クソばばぁ」と言っていた母に、「そんなん言ったらあかんねんでぇ」と言ったら、「聞こえるやろ
」と怒られ叩かれ、また紅葉
の手形だらけ…
その翌日、隣に住んでいた祖母に聞こえていたらしく、母が祖母に注意され、泣き、(そんな事で泣くくらいなら言わなきゃいいのに懲りずにまた言うし
)
母は、また私のせいだと怒って叩き、私は大声で泣いて声が枯れる…
理不尽な叱られ方ばかり。
何かあったら「お姉ちゃんやから我慢しなさい
」
妹と喧嘩して、なぜ妹が悪いのに私ばかり怒られ叩かれるのか聞くと、「お姉ちゃんやから、」…
好きで長女に産まれてきた訳じゃないのに…
毎日そう思うことばかり。
妹もそんな母を良いことに、自分が悪くても「お姉ちゃんが!」って言えば、見も聞きもせず私を叩く母を毎回利用する。
母を真似して私に「死ね!」と言ってくる。
私は「死ね」という言葉は一度も言ったことがないのに…
母は自分が嫌だから、私に祖母の夕食を隣の家に持って行かせてました。
私はそんな祖母が可哀相で、“あんまり仲良くしたら母にまた八つ当たりされ嫌味を言われ叩かれる…”と思いながらも、少しだけでも何か会話をしようと、お互いこんな環境でいたので何を話したらいいのか話題が見つからないなりに、一声二声掛けて帰ってました。
でも、妹達は祖母の所に夕食などを届けに行くのを毎回嫌がり、無理やり行かされても渡すだけ渡して無言で帰ってくる。
そんな妹達も大嫌いでした。
から退院後、腰痛や軽度の麻痺からか思うように身体が動けず、再び転倒する恐怖もあったようで、私の家から離れた市外の自宅から同じ校区内の少し離れた近所に引っ越して来ました。私が通っていた私立幼稚園の行き帰りの途中に祖母の自宅があり、幼稚園の帰りに母が作った夕食を祖母の自宅に持っていってから帰宅していました。
幼稚園の帰りに祖母の自宅に寄っていた記憶はありますが、そこで祖母と会話した記憶はありません。
祖母が嫌いだった母は、タッパーに入った物を渡して会話することなく直ぐに帰っていたのだと思います。
祖母が引っ越して来た頃から、母の私への八つ当りも更にエスカレートしました。
今までも、兄弟喧嘩をしても見ていないのに理由も聞かず長女である私が悪く言われ、叩かれまくっていたのですが、
私が、幼稚園から帰ると、靴下を脱いだら「臭い」と怒られ叩かれ、冷蔵庫を開けただけで叩かれ、それらで泣いて「何で叩くんよ!」と反抗すると、何発も叩かれた上に、両手を掴み上げられフローリングに頭を何度もぶつけられたり、「死んでおいで!死なな治らんな!その口は!!
」「産まれてこえへんかったらよかってん
」などと言われたり…小学校に入ってからは、そう言われた時は「それならその包丁で刺して殺しいや
何で自分で死ななあかんのよ
自分(母)が刺して殺したらいいやん
犯罪者になるのが嫌なんか知らんけど
」って言い返してました。毎日毎日こんなんばっかりやったら死んでもいいと思ってた。
産まれてこなければよかったのに何で産まれてきたんやろうって思ってた。
お風呂に入りシャンプーを流して目をつむっていると、嫌味ったらしく「その顔うちのおばあさんにそっくりやなぁ!嫌やわぁ
」と言われたり、7歳の頃に、祖母がまた脳梗塞で入院し、一人暮らしは難しいということで、隣の家がちょうど引っ越したので、祖母は隣に住むようになりました。
祖母の事を「クソばばぁ」と言っていた母に、「そんなん言ったらあかんねんでぇ」と言ったら、「聞こえるやろ

」と怒られ叩かれ、また紅葉
の手形だらけ…その翌日、隣に住んでいた祖母に聞こえていたらしく、母が祖母に注意され、泣き、(そんな事で泣くくらいなら言わなきゃいいのに懲りずにまた言うし
)母は、また私のせいだと怒って叩き、私は大声で泣いて声が枯れる…
理不尽な叱られ方ばかり。
何かあったら「お姉ちゃんやから我慢しなさい
」妹と喧嘩して、なぜ妹が悪いのに私ばかり怒られ叩かれるのか聞くと、「お姉ちゃんやから、」…
好きで長女に産まれてきた訳じゃないのに…
毎日そう思うことばかり。
妹もそんな母を良いことに、自分が悪くても「お姉ちゃんが!」って言えば、見も聞きもせず私を叩く母を毎回利用する。
母を真似して私に「死ね!」と言ってくる。
私は「死ね」という言葉は一度も言ったことがないのに…
母は自分が嫌だから、私に祖母の夕食を隣の家に持って行かせてました。
私はそんな祖母が可哀相で、“あんまり仲良くしたら母にまた八つ当たりされ嫌味を言われ叩かれる…”と思いながらも、少しだけでも何か会話をしようと、お互いこんな環境でいたので何を話したらいいのか話題が見つからないなりに、一声二声掛けて帰ってました。
でも、妹達は祖母の所に夕食などを届けに行くのを毎回嫌がり、無理やり行かされても渡すだけ渡して無言で帰ってくる。
そんな妹達も大嫌いでした。
