beautiful life? -2ページ目

育ってきた環境。幼小期①

私は、お見合い結婚ベルをした両親の間に3姉妹の長女として産まれました。
妹とは2歳ずつ離れています。

私の育ってきた環境は…

両親は、ほぼ毎日大声で喧嘩ばかりしていました。

父方の祖母も同居していたのですが、田舎の箱入り娘で育ち、世間にあまり出ていないひがみっぽい性格の母は、祖母や父方の親戚とも仲が悪く、私が2歳の時に祖母は出ていきました。

私が3歳8ヶ月の時に、妹のお宮参りの為に祖母が来て、祖母と私は一緒に手をつないで、家家から歩いて10分くらいの所にあった駐車場駐車場まで歩いていました。
最初は祖母が車道側車を歩いていたのですが、住宅側を歩いていた私が水はけのために溝の横の斜めになった道路の部分を歩いていたので危ないと思ったようで、危ないからと言って祖母が場所を交代してくれました。

しかし、暫くしてすぐに斜めになった道路に足を取られ、祖母が転けてしまい住宅の大きな石を積み重ねて造られた石垣の塀の出っ張りに頭をぶつけ、血だらけになってその場に座り込んでしまいました。

私はどうすることもできず、泣くことも忘れ、「おばあちゃん」と声を掛け、辺りをキョロキョロ見ていました。
すると、向かいにあった保育所の先生がちょうど通りかかり、声を掛けてくれて事情を聞かれ、救急車を呼んでくれました。

救急車が到着するちょっと前に、後から来た母と妹が現場に通りかかり、事を知った母は祖母が乗った救急車に付き添い、私と妹は保育所の先生が自宅まで連れて帰ってくれました。

その後暫く経ってから、当時、携帯電話携帯はなかったので、先に駐車場に行って車を掃除してた父は、私達が暫く経っても来ないので、おかしいと思い自宅に帰ってきました。


その時の怪我がきっかけになったのか、私が4歳の時に祖母が祖母の自宅で倒れ転倒し呂律がまわらなくなり、救急車で病院病院に入院しました。

いつの間にか(^o^;

今までの人生を踏み台に人生を再スタートして前に進もうという気持ちで、今までのことから今の事も書いていこうメモとブログを始めて最初の記事本を書いてからも、仕事もプライベートも忙しく2話目を書かずに気が付けばいつの間にか3年8ヶ月も経っていました

今は数ヶ月間だけ少し余裕がありますが、

また次の記事まで月日が経ってしまう予感…

人生の始まり

父の日記より

「午後10時過ぎ、○子の陣痛が始まった。定期的に陣痛があるということなので産婦人科へ電話をすると、すぐに来てくださいとのことなので、身の回りの品を用意して午前0時頃に入院した。それから待つこと3時間。その間○子は時々痛そうに手に力が入っているのがわかる。そして午前3時前、お産室に入った。午前3時5分、女子出産。母子ともに元気。嬉しい。とてもかわいい。親バカ…ヘヘへ。」

ここからが私の人生の始まりでした。
これから良いことも悪いことも含めてどんなことが起こるのかもわからないけれど、この時は頑張って生んでくれた母と、私の誕生をとても喜んでくれた父に包まれながら、赤ちゃんなりに幸せだったと思います。たぶん。(*^^*)

父の日記は三日坊主どころか、一日坊主。その日の最初の1ページしか書かれておらず、残りの364ページは今でも白紙のままです  (^^ゞ