一時期娘が登園拒否を体験した過程やその後の心や関係の変化。。
以前記事にしたかとは思いますが、
学童期の毎日のルーティーンを当たり前にこなしていた時期
卒業後、通所を続けている間に登園できなくなり、自宅で充電していた時期
リハビリを続けて徐々に登園できるようになったり、また登園できなくなる時期があったりを繰り返した時期
登園拒否が始まってから3年が経過し、登園拒否から抜け出しコンスタントに登園しだした時期
最初は落ち込んだり手探りだったり
前進したり後退したり、色々でしたが
この3年間で、母娘の濃い時間がすごくたくさんできました。
こだわりのように毎日お弁当を持ってドライブからのウォーキング。この時期は母親の私が行き先を決めていました。
それでも、登園のストレスから解放された娘は喜んで一緒に行き、よく歩き、よく食べ、
そのうち笑顔も戻ってきて、
娘の心と関係性の変化がでてきました。
天真爛漫ハイテンション、ワイワイ期
低空飛行、やさぐれ期
不安、緊張はあるけど母子関係濃密期
母子関係に安心感と愛情期からの依存期
それまで、愛情がなかったわけではないけれど、もうひとりの最重度の息子もいて、べったり1対1の時間というのがあまりなかったかなと。
愛情と依存の時期が続きましたが、いつのまにか添い寝しなくても一人寝することが増えてきて今では、おやすみー
と、自分で部屋の戸を閉めてしまいます。
自分の時間を確保、って感じかな。ドライブも行き先は娘が決めています。
そんな行程を体験したからか、息子の登園拒否に関しても、なんとなく必要な時期なのかな、という感じで。
傾眠と不眠、笑顔と不穏、大暴れという息子の生活の内容が、娘とは違っても、段々活動に向いてきたのかな?という感じがしてきています。
登園できなくなってから、寝てるか起きてるか。。という感じだった息子が、居宅介護支援を受け入れてから、家族以外で馴染みの頼れる支援員さんとのやりとりを通じて段々その日を楽しみに待つようになり、音の出る消防車のおもちゃを探して遊んだり、
手先を使って遊び出すように。。
そのうち畳をむしって井草をちぎったりしていたのが、ラジオを操作して聴いていたり、
ゲームを自分で出してきて遊びたいアピールをしてきて、
息子が自分から色々とやりだすようになり、1日のメリハリがついてきました。
昨日は、生活介護施設で午後の作業でやっていたシュレッダー(手動でハンドルを回すタイプ)をやりたい、と自宅にも買っておいてあるシュレッダーを持ってきてアピール。
裁断しても大丈夫な紙を用意して促したら、嬉しそうに延々とやっていたり、
ラジオで相撲中継を聴いて観客の声援や行事の掛け声、アナウンサーの実況を聞きながら、臨場感に浸って盛り上がっていました。
気持ちが盛り上がった分、振り幅として荒れ方も大きくなり、まぁ、それでバランスを取るようになっているのかなとも思います。
娘も、復活前の不穏とやらかしはすごかったし。。息子も、1段階上がる時期にきているのだと思います。
焦らずに、しかし様子はちゃんとみながら、復活のチャンスは用意しておこうかなと思います