前回までのシリーズタイトルに少し飽きたかな。。←自分が笑い泣きあせるサブタイトルがないと分かりにくいですよね汗


私◯◯したい、と言葉で要求できる場合はともかく、まだそこまでできない場合。。


どこから始めるか。。


我が家の、タイプの違う息子と娘。

選ぶが大事と思わされた出来事が、以前記事にも書いた息子のスター着替え拒否


正反対のデザインと、拒否した服を両方見せたら正反対を手に取りこれを着るアピール。。ピンチを起死回生で切り抜けました、危うく療育を欠席するところでした驚きあせる


着替えそのものではなく、服選びだったことがわかった瞬間でした。


娘も同じようなことがあり、こっち!といってえらぶ服。。子どもに似合うと思って親が選んだ服が、子ども本人の好みと合っていなかったのでした。その時の気分だってありますよね。ほっこり


選ぶことで意思表示ができると気づいたので、いろんな二者択一からやってみたら、やはり本人が必要に迫られていないと、


どっち?と聞いても、どっち?とオウム返しの繰り返しで選べなかったり、興味がないと見向きもしなかったり。。


療育とか練習とかの目的でやらせようとしても、本人にその要求が無いときは、ただの強要にしかならないんですよねにやり汗


なので、おやつの時に、好きなもの1つと、そうでもないものを1つを片方ずつの手に持って、どっちがいい?


子どもが好きなおやつなんてわかっているので、つい、ホイッとそれだけ渡してしまうんですが、そこで『選ぶ』をやってみると


見る(注視)→好きな方に手が伸びる→食べる→美味しい、と選んだ結果までの見通しが解りやすかったです。


そこで陥りやすいのが、すんなり選ばないとき、ねえ、どっち?って聞いてんのよえー

と迫って、プレッシャーを与えがち。。

昨日はできたのに。。


選ぶ対象は、AかBかの二者択一でも、実は選択肢は2つじゃなくて、どっちも要らない(もしくは2つ以外)、2つとも欲しい、そもそも選択に参加したくない。。と、気持ちは色々。


選ぶこと自体が本人にとって意思表示ではあるけど


どっちがいい?と聞いてみたことで、本人がどうしたいのかが、聞いた側にとってもわかる、お腹が空いてないから食べたくないとか、今はおやつよりも眠いとか、遊びたいとか。。


本来、本人が自分で考えて決めること、選ぶ権利を、支援する側・親が代わりに、ふつうにやってしまっていること、結構あったりしますよねぼけーあせる


そっちの方が早いし忙しいし。わかっていることをわざわざ聞く意味があるのか?とか。


そこを敢えて本人に投げ掛けてみる、ちょっと待ってみる、


そのうち、2つ以上のものから選べるようになって、自然と自分から『これがいい、』とアピールするようになって


やがていつのまにか、自分で選んで用意したりするようになってくるんですよね。。


変わります、子どもも。障がいがあってもいつのまにか、少しずつ、人によってスピードは違うけど、ほんの少しの変化に親が気づく


その瞬間が、めっちゃ面白いおねがい


あれ?自分でやってるやん爆笑


ほんのちょっとの場面の繰り返しを得意だったり好きなことのなかで、わかりやすく


段階を小さく設定する


好きなものとそうでないもので選ぶ

好きなもの同士を食べる順番で選ぶ


息子は選んでくる食器で何が欲しいかがわかる(棚から落として実際に割ったりもしましたが、そのうち落とさないように取る技を習得w)、


娘は朝と昼御飯は自分で冷蔵庫から食べたいものを出してテーブルに置く、プラス食品庫でクレーン要求(親を開きまで連れてきて出せと親の手を取って要求)するときもあるので、その時はツナ缶とサバ缶照れ、他カップ麺を自分で出してきたり。

夕飯は、言葉で要求してきます。


なので、ドライブ先も、昔はこちらが提案して決めていましたが、最近は娘が自分でリクエスト。どこいく?とこちらが聞くようにしています。


自分で考えてやってしまえば早いけど、

相手に考えさせる、要求してきたら応える


コミュニケーションがそこで成り立っていくうち、オウム返しも減ってやり取りに近づいていく。。


うんと時間をかけてライフワークにしていくと、すごく面白い展開になっていったりしますおねがい流れ星