発達障がい、知的障がいがあるなかで、問題行動とよくいわれてしまうこと。


人様に迷惑をかけてはいけない、と、社会的な一般常識として、触法とまではいかなくても、通りすがりに見かけた人が、眉をひそめてしまうようなこと。。


常識的な判断力、理解力のない障がい者が、非常識なことをして人に迷惑をかけている、

という問題行動を、クレームとして声をあげてくる健常者、と言われる人たち。


そんな理由で、自立から遠ざけられてしまうことがあります。


でも、よくみると、玄関先に(門扉はなくて歩道に直接玄関が接しているお宅)で、数本の傘のうちの何本かが風で倒れてしまっていて、それを一生懸命起こして直している。。


大雨で水溜まりを通過した車が、水を跳ねて行ってしまい、かかってしまった彼が、あとからくる車に怒って抗議。彼の理解の範囲では、特定の車、ではなくて、『車にやられた』ということだけ。


前者も後者も、通りすがりの人から見れば、

よそのお宅のものを勝手に触る、車に乱暴な態度をとる、迷惑行為。


それが理由で、自力で通所できるにもかかわらず、ヘルパーさんの支援を付けるようにとのことで、毎日ヘルパーさんが手を繋いで歩くことに。。


彼にしてみれば、親切心だったり物を揃えたいというこだわりだったり、実は被害者で理不尽さに腹を立てているだけだったり。。


どうしたんだろう?何があったんだろう?


そんな、理解をしようとする気持ちや、障がいのあるなしに関わらず、フラットな気持ちでみてもらえるだけで、


傘が倒れちゃってた?直してくれたの?


どうした?服が濡れちゃったの?

車にやられちゃったんだね、ひどいよねぇ


ってさ、障がいがなければ、きっとそう言ってもらえたよね? ランドセル背負った小さい子がやってたら、ふつう誉められたり同情されたりすることも、知的障がいのある人が同じことをすると、監督者に通報がいって犯罪者扱いされるという。。


ってこと。社会の一般常識って、そんな冷たいものなのかな。っていう。。

偏見を一般常識と呼ぶのなら、一般常識こそが『障がい』そのもの。


そして、それを理解するはずのヘルパーさんが、クレームに乗っかって本人を悪者扱いし、それを監督するために支援に入っていると話してくる。。


そんななかで、ノーマライゼーションをいくら声高に行政が唱ったところで、実現なんてほど遠いと。。それこそ、社会の舵取りを間違えて、病んだ世界になっていくのでは?と思ったりするのでしたぼけー流れ星監獄かよ。。