ちょっと具体的な真面目な話。。

自分達の子はもう成人してしまっていますが、特別支援学(知的/当時の知的養護学校)に小学部1年生から高等部3年生まで通っていました、と同時に当時で言う、障がい児学童保育(サポート事業併設)に高等部を卒業するまで通っていました。

放課後デイに切り替わったのが高等部に入ってからと記憶しています。


ちょうどうちらの子どもたちが、措置制度から自立支援に変わる過渡期だったんです。


学童保育が障がい児にとっては、働く保護者のために児童生徒を預かる目的の他に、児童生徒本人達の『放課後の充実』という目的がありました。


放課後=平日の余暇、です。


学校という学びの時間から解放された子ども達の自由時間だったり、習い事だったり、自宅で宿題をしたり、お手伝いで買い物に行ったり。。そんな時間、子ども達それぞれの時間。


自分が子どもの頃は、ランドセルを玄関に放り出して友達の家に駆け出して暗くなるまで遊んで、門限破って何度閉め出されたか(笑)閉め出しなんて、今では虐待って言われちゃいますよね汗

習い事の練習をしてから遊べと言われて泣きながらピアノに向かったっけ。。

中学生になってからは、塾にも通っていましたし、部活もありました。

放課後は、いろんな経験をしながら成長していく大切なアディッショナルタイム。


しかし、とくに知的障がいのある子ども達にとって、放課後は養護学校の先生の手が離れると安全面での支援者がいなくなってしまうため、こんどは親子の時間になってしまいます。障がいがあっても放課後の大切な時間を友達や職員さんと一緒に遊んで過ごせるように、というのが『障がい児学童保育』でした。

そして、安全面や身辺の介助の必要性から障がいの重さに応じて職員さんの加配(児童○人に対して職員○名)が決まっていました。


それが、放課後等デイサービスという国の制度に変わった時に、たくさんの業者が参入して事業所を増やしやすいようにかなり規制を緩めて加配の縛りがなくなり、危惧していたのが


『障がいについて知識や経験のない事業所が、国の報酬を目当てにできるだけ少ない職員で人数制限一杯の障がい児童生徒を一定時間鍵のかかった部屋に集めて預かるだけ』の 預かりサービスが増えて、


『事故が起きるんではないか』ということでした。


預かっている間、部屋に鍵をかけて、ビデオをかけてただ時間だけ過ごさせるだけなら職員の人数は少なくていい、さらには専門性がなくても簡単にできる仕事、という勘違いをさせてしまう、もしかしたら虐待も起きるかもしれない。。


(実際にヘルパーの初任者研修のテキストに障がい児・者の記述が2-3ページしかなく、ほとんどが高齢者の介護内容ばかりで、福祉を障がいと高齢者を一本化する動きまでありました)


国の最初の目的である、参画する業者を増やすを達成したら、次は規制を強めて篩(ふるい)にかけ、そぐわない業者の指定を取り消すやりかた。廃業した事業所から閉め出されて行き場を失う子ども達。


と同時に、サービス業にして業者が増えれば、自然と競争が起きて専門性があがるだろう、というまぁ間違ってはいないかもしれないけれど舵取りを間違えると方向性を見失うよね、っていうやつ。


当時、放課後デイが出来始めたころから、放課後に療育ができる事業所にしたい、という特徴を持った放課後デイもありました。

実際にそれを望む親もいたため、希望に沿った内容の事業所を選ぶことができるようになったのは、むしろよかったのかなと思います。


ただ、そこでありかたの解釈を間違えると、方向性が違ってきちゃう。。と思うのです。


長くなってしまったので、続きはまた別の記事に。。ほっこり流れ星