※ネタバレ注意
ネタバレはしていないつもりですが、バレている場合もあると思いますので、心配な場合には事前の視聴をお願いします。
※この内容は2013年2月に書きかけのものを見つけたので、少し修正して公開するものです。なので、謎の言及がありますが、それは当時のお話というわけです。
追悼気分で見ました。
★3かな。
確かにエロい。が、阿部定の男性器への執着を表現するのに必要だったのだろう・・・
・・・か?
Wikipediaにいろいろと詳細が書いてあるけど、映画のイメージとだいぶ違う感じでした。イメージが違うというのはなんとなく説明しにくいですが、そんな感じとしか言えない。それほど心に響く感じがしないのは、状況設定などに共感できない部分が多いせいかもしれません。
いろいろと史実に基づいているのだとは思いますが、日常とかけ離れすぎている感じも強く、吉蔵がなぜ定に惹かれたのかがまったく理解できなかったり・・・恋愛なんてそんなものなのかもしれません。吉蔵の行動原理についても理解できなくて、この人もセックスアディクション?ということでいいのかどうか悩むところです。この映画の中の人は皆微妙に病的な感じがする、というのはあまりにもな偏見なのかな。
この映画をみながらベティ・ブルーという映画を思い出したりしました。完全に話がずれますが、劇場で見たものと現在無修正で出回っているものの違いに驚きました。俳優さんとか女優さんって大変だな、と感じました。
役者さんは、まさに映画の中の道具としてしか扱われていないという感じです。総合芸術の一部なのだからそういう理解でいいのかもしれないけれど、道具という認識をすべての視聴者(役者さん自身も)が持つわけではないだろうから、映画の中の人物を実在の人物に投影する人もいるだろうし、役者さん本来の私的な生活に影響をしないはずがないわけで、そういう覚悟のいる大変な仕事だな、と思ったり・・・
( ´Д`)y━・~~
・・・しながら、まだ年端もいかない子役というものに問題がないだろうか、ととりとめもなく考えてしまう。某写真集の宣伝材料の写真が児童ポルノ的で不適切だ、ということになったのですが、あれは完全にアウトだとしても、製作者たちは作品を作っていく過程でどのように考えたのかはわからないわけで、製作に直接関わらない人たちの判断が甘かったのか、確信犯なのか。児童ポルノについては、基本的にだいたいの国でアウトなわけで、そのへん稚拙な感じがしないでもないです。と、話がずれた感が。
そういうポルノ的なものでないとしても、子役、という存在について疑問を感じてしまいます。本人がやる、ということで始めたとしてもそれがどのような重大な結果を招くのか、ということは子ども自身が正確に判断できるものでしょうか?成長してから、良かった、と振り返ることが多いのか少ないのかわかりませんが、子役を始めた結果としてその後の人生に大きな影響を及ぼすわけですから、本人の極めて明確な意志がなければ、周りの大人は認めちゃいけないのではないか、と思います。
もちろんスポーツとか伝統芸なども似たようなことがいえると思いますが、テレビや映画といった大量の人への露出のあるものについては、その後の人生に大きく影響を与えるという点で、本人が正確にその将来について判断できるとはいえないのだとしたら、社会として認めるべきではないのでは、と。
子役いなかったら困るかもしれませんが、今はCGという技術があるわけですから、ある程度の年齢に達していない子どもはマスメディアへの露出を禁止してしまえば良いと思うのです。ちょっと言い過ぎか?
そういう社会風潮が好きかと言われれば、あまり好きではないですが、技術で代替できより良い方法ならそれを選択するのもありだとは思います。
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映画の話はどこいった?愛のコリーダ、ストーリは気にしなくてもいいし、映像も見たままです。それぞれのシーンを味わえばいいんじゃないかな。フランスで人気が出るのは理解できます。