昭和63年、
山口県下関市の「川辺」で
高校生の遠馬は 父親とその愛人と暮らしていた。
遠馬は 性行為中に女性に暴力を振るう父親に嫌悪感を持っていた。
自分を残して家を出た実母は
空襲で右手を失っていたが
特注の義手で魚をさばき、魚屋を営んでいた。
実母と愛人
父親に翻弄されて生きる女と接して暮らす中、
愛人が妊娠したことを聞いた遠馬は
恋仲であった千種との性行為中に首を絞めてしまう。
遠馬は
拭えない父親への嫌悪感と
抑えられない性衝動の狭間で葛藤するが…
というストーリー。
(´・ω・`)
画面越しでも じめっとした暑苦しさが伝わる。
戦後の昭和という暗い時代背景を嫌でもかというほど表現していた映画でした。
それに加えて
性的表現の多さ。
リアル過ぎて嫌だった。
リアルだからこそ嫌だった。
観てるのきつかったな!
(・∀・) アハ!
正直あまり好きな内容ではなかったし
父親はもちろん、
実母も愛人も
遠馬の考えさえも理解できなかった。
性癖に関しても、
私は女だし しかもおそらく淡白な方なので
抑えられないほどの性衝動もよく分からんのです。
性格や相性として多少のSM属性はあると思うけどな、
殴り殴られて それが性的快感につながること自体が分からない…。
私が そういった分野で 未熟 なだけかもね!
(・∀・) アハ!
遠馬は父親の性癖を嫌悪しながらも
恋人の千種の首を絞めるわ、
売春女性をボコボコにしながらセックスするわ矛盾している。
だけどそこは 思春期。
そして夏休み、真夏。
まともでいられない環境がそこにはあった。
父親は遠馬を殴ることはなかった。
そして愛人は
セックス中に父親に殴られることを受け入れていた。
遠馬の実母は父親から逃げ出していたし、
日常で父親のセックスを目の当たりにしてしまう遠馬は明らかに一番の被害者だ。
実母からは事あるごとに父親への恨み言を聞かされ、
遠馬に優しい愛人は いつも顔や体に痣がある。
不健全極まりない環境に同情する…。
(´ρ`;)
生きている時代が違いますし、
遠馬の暮らす環境がどれだけ歪なものなのかは明言できないけれど
「遠馬は殴らん、父親とは違うやろ」という千種のセリフから
やはり異常な環境だったんだろうと思う。
なぜ遠馬は
父親に不満をぶつけないのか。
それができないのが
“血” だとでも言うのか。
「母さん、なんで僕を生んだのですか?あの男の血を引く僕をー。」
実母は「あの男の血を引く子供はあんたひとりで十分」と 何度も口にする。
それが言霊のように遠馬につきまとう。
なんだかなぁ
なんだかなぁ
なんだかなぁ!
(´・ω・`)
誰だって父親のセックスなんて見たくないし、
ましてやそれが暴力を伴うなら
思春期の子供が歪むのには十分な理由だと思うんだけども!
“血”で片付けるのはいかがなものか。
血というよりは環境だと思うんだけども!
そしてその環境をどうにかするのは
母親の役目だったんじゃないのか?
父親を殺す前にやることがあっただろう!と納得できないうえ、
最後まで理解できない登場人物たちに振り回された
私にとっては最高に腑に落ちない
消化不良の
映 画 で し た !
(`・ω・´)
私はこの『共喰い』の原作小説を読んだことはないのですが、
原作小説内の印象的な文章を引用しているブログがあったので それを読ませて頂きました。
堅くて重苦しい文章なのだけど
他意を含んでいるかのような綴り方が多く見られた。
遠馬の語りではなく、
第三者視点のような語りなのに
遠馬のことをよく知っているかのようだ。
内容が内容なので国語の教科書に載ることはないだろうけど
すごく素晴らしい文章だと思いました。
分かりやすい表現ではない。
そのまま読んだらよく分からない。
だけど深く考えて想像を働かせることで遠馬の気持ちが見えてくる
よ う な
気 が す る !
(・∀・)
原作小説は文学作品として評価されているんだろうな。
私はそう思いたい!
むずかしい役どころの遠馬を演じたのはは 菅田将暉。
私は遠馬の思考も
この作品が何を言いたいのかも理解できなかったので
演技うんぬんまで言えそうにありません。
ただ、
遠馬の彼女・千種を演じた 木下美咲!
あの若さであそこまで体を張っていることに とにかく驚いた。
いやらしさを感じさせない凛とした透明感が印象でした。
監督:青山真治
くわここ評価:6点
総評:
