首相、首相経験者の言葉の軽さが問題になっている。枚挙にいとまがないものの、代表例として、鳩山前首相の「方便」発言、菅首相の「疎い」発言について考えてみたい。


 まず、鳩山氏は、普天間基地の移転先について「最低でも県外」と民主党が言ってきていながら、結局は従来通りの辺野古になったことについて、抑止力の重要性を知らなかったとして、勉強すればするほど分かってきた、との発言をした。当時日本中が首相として、抑止力も知らないのか、と呆れ果てた。鳩山氏って、勉強がたらない、つまりもの識らずだと言う風になっていた。ところが、実は知らなかったのではなく、知っていたのだが、方便つまり真理を導くための手段として、やむなく抑止力を知らないことにしたと言うわけだ。一般的に、方便と言うと、嘘と言う言葉を直結させがちだが、単純に嘘といってしまうと、事の本質を見失う。ここは、無知な鳩山ではなく、それなりに“ない知恵”を使ったのかとは思う。しかし、結果的に沖縄の人々を一段と傷つけたことは間違いない。全く、この人ほどいい加減な人物も珍しいと思う。


 マスメディアも私たち議員も、鳩山氏の最初の発言があった際に、抑止力の理解度を確認することがあってもよかったのではないかと今ごろになって思う。恥ずかしい限りだが。


 もう一つの、菅首相の「疎い」発言についても本人は、情報を知らなかっただけだと言って弁明した。これも怪しいと言うことは見え見えだ。疎いか疎くないかは、議論すれば分かるはずなのに、予算委員会でも、突っ込んだ議論はない。恐らく“武士の情け”なのだろう。ともあれ、言葉の使い方においても過去に類例を見ないお寒い民主党の二人の指導者ではある。