「いかんざきではなく、あかんざきにして欲しかった」―例の一世風靡した公明党のTVコマーシャルを見て、私がこうつまらぬ注文をつけたのも今となっては懐かしい。神崎武法元代表が今日六日の衆議院本会議で辞職された。まさに冒頭のセリフが日本中を賑わせていた頃に既に闘病中であったとは驚くばかりだ。あの立ち回りは、千葉高演劇部出身ならではと思ったが、実は病気を押し隠しての演技であったとは、二度びっくりした。


 神崎さんとは、あらゆる意味で大きな開きを感じるが、実は二歳しか違わない。殆ど同世代なのだ。初めて会ったのは、新宿のとある会館。日蓮大聖人の御書を講義していただいた。こちらは大学3年生ぐらいだった。神崎さんは東大を卒業し、司法修習生。新進気鋭の副学生部長の謦咳に接することに対して、興奮して参加したことを中身は別にして鮮明に覚えている。尤も、向こうは全く記憶にない、と言われる。


 国会議員としてあらゆる場面で教えていただいたが、一度たりとも怒られることはなかったし、大声をあげられたのも聞いたことがない。いつぞや、テレビで田原総一朗氏から「公明党代表怒る」とのタイトルコピーを前に、「あなた、怒らないの」と挑発されて、決まり悪そうな顔をされていた時に、心底この人は善い人だな、と思ったものだ。衆議院議員として最終日となる日に、議長席から読み上げるのが神崎さんと司法修習生同期の横路孝弘議長(ちなみに参議院の江田五月議長も)だったのは不思議な縁といえよう。折角の舞台なのに、神崎さんは姿を議場に見せなかった。最後まで政治家としては抑え気味の雰囲気の強い人であった。第二期公明党を作った名優がまた一人舞台から去った。