「どうや、二百字になっとるやろ」―今から30年以上前、私が電話でコメントを依頼したら、即座に快諾してくれた大森実さん(元毎日新聞記者)は少し考えた後にスラスラと電話口で述べてくれた。その大森さんが亡くなった。88歳だった。


 私が初めて大森さんの講演を聴いたのは昭和37年頃かと記憶する。長田高校二年生だったはず。当時の岩佐修理校長が、猪木正道氏や平岡養一、五十嵐喜芳氏らと共に呼んでくれた。大森さんは母校の前身神戸三中出身で、私たちの先輩だった。ベトナム戦争のただ中にあって、様々な報道に健筆を振るい、当時40歳ぐらいだった彼は、サイゴン特派員として記者中の記者としての名をほしいままにしていた頃だ。すっかり魅せられてしまった私は、以後海外特派員となることを夢見るようになった。


 大森さんに電話をし、コメントをもらうことになった際の高揚した気分は今尚忘れがたい。「長田の後輩です」―この一言に、「おぅ、そうか」と答えてくれ、暫く後に読み上げてくれた。当時の私には神業に思えた。


 新聞記者にはなったものの、海外特派員を経験したのは一回だけ。公明党の訪中団の随行記者として、北京、上海、深センに行った時だった。


 今年母校は創立90周年を迎える。記念すべき年に、雑誌『文藝春秋』の「同級生交歓」なる写真企画に仲間四人と共に登場することになった。皆で、あの連続講演のそれぞれの印象を語り合ったものだ。そんな出会いのすぐ後に、在学中から尊敬し憧れぬいてきた、大森さんが亡くなったことは不思議な巡り合わせに思える。