「密約にまた新たな密約を重ねることになる」「それはどういう意味ですか。密約の定義をはっきりさせてから言ってください」―昨日公表されたいわゆる密約問題についての今日の衆議院外務委員会での自民党委員と岡田外相のやりとりを聞いていて、このくだりが私は気になった。自民党の委員の言いたかったことは日米の核政策に違い(核兵器を持ち、使いかねない米国と非核3原則に立ち、核軍縮を目指す日本)があるのだから、核持込みの有無を確認するという行為(事前協議でいちいちチェックする)がない限り、結局は今後も暗黙の了解の積み重ねが起こりうるということだったはず。これに対して、岡田外相が、密約の定義をはっきりさせてから言えというのは、いささか高飛車なものいいだと思った。ただ、咄嗟に新たな密約を重ねることになるといわれれば、岡田さんならずともこのように言いたくはなろう。


 このため、少し後の私の質問の冒頭で、密約について、狭義(公表されたものと違う中身の文書が残っているもの)と広義(公表されたものと違う暗黙の了解や合意)の密約があるとの定義を確認したうえで、ほおっておくと、日米お互い暗黙の了解のなかで、核が持ち込まれることが今後も起こりうることを指摘した。つまり、「密約にまた新たな密約を重ねる」という言い方を「暗黙の了解という名の広義の密約が続く」と言いかえたわけだ。結局、今の政権も前の政権も核の傘をかかげる米に依存するという基本的立場に変わりはないのだから、非核3原則への疑念は常につきまとう。