先週末の赤穂市での党支部会でのこと。冒頭、私は参加者にクイズめいた質問から始めた。「ロシア革命から約100年。この国の指導者は替わってきました」が第一問。答えは、レーニンからメドベージェフまで10人。


 次に「その人たちの名前を順にあげると、ある法則に気付きます。さてなんでしょう?」―これが第二問。分かりますか?新聞などで報じられたので、ご存知の方も多いはず。答えは、ハゲ頭とそうでないふさふさ頭の人が交互に書記長や大統領など最高幹部を務めた。こう進めていくと、みな大笑い。しかし、それだけで終わると、少々おふざけと受け取られかねない。


 第三問が大事に。「では、私が初当選させていただいた15年前から今日までに替わった日本の首相は何人?」。答えは、細川さんから麻生さんまで、ロシアと同じ10人。彼我の差が100年と15年と大きくあるのに、指導者の数は同じとは。政治体制の違いが大きいものの、いささか日本は短期日に替わりすぎるといえ、皆さん嘆息される。


 そこで、第四問。「では、日本の10人にも、それ以前の首相と比べて、明らかな特徴がありますが、なんでしょう?」。こう運ぶと、大概、外見を考える。しかし、みなハズレ。答えは、全員私大卒で、東大卒や官僚出身がゼロということ。


 時々の支部会や会合で持ち出すのだが、それなりに受ける。何が言いたいのか、と言われそうだが、まぁ、戦後日本政治史を形づくってきた一つの伝統が崩れてきた、と言うぐらいに受け止めて貰えばいいか。


 ちょうど、この15年は、自民党にとって、一党支配から野党に転落し、自社さ政権という奇策を経て、あの手この手で連立維持に必死だった期間だと言える。他方、民主党の歴史は10年余と短いものの、特に小沢代表にとっては、新生党を作っては壊し、新進党を作っては壊し、自由党を作っては壊し、今は民主党にいると言ったように、これまたあの手この手の自民党を壊すための15年と言える。そして公明党の15年は、と続けていった。


 8日は、正午から総務委員会の理事懇談会を開き、明日以降の日程を協議した。その後、各種レクチャーを受けた。