「産科医不足は教育に原因」―ある新聞の2日付け読者欄に新潟県在住の産科医が投稿していた文章が目に付いた。かねて、医師不足への対応を問われ、日常的な待遇改善に始まり、産科補償制度の確立を経て、医学部の定員増に至る施策を述べてきたものとして、それら全てを否定された思いがした。


 この人は、「なにをやってもおそらく無駄に終わるだろう。なぜなら今の医学生に世のため人のため、自分がやらねば誰がやるといった公に奉仕する精神が乏しいのが真の原因だからだ」と言われる。要するに勤務条件が厳しい診療科目は、敬遠される、と。


 こうした指摘は、残念ながら多い。一体どうして、日本の教育はこんな事態を招いたのだろうか。先に、中山成彬前国交相が突然に、「日教組が強いところの子どもたちは、成績が悪い」との発言をしたことが大問題になった。科学的裏付けに乏しく、立場を弁えない発言であることは、糾弾されて当然だ。しかし、日教組の戦後教育にもたらした公を軽視する教育という負の遺産は限りなく大きいことまで否定する向きは少ないのではないか。


 戦前を全て悪として否定し、戦後を無条件に肯定する―いい換えると、戦前の「滅私奉公」から、戦後は「滅公奉私」へと変化してしまったとの指摘もある。昨今の自虐的史観の横行も戦後民主主義と無縁ではあるまい。そうした日教組が民主党の有力な支持団体であることを忘れてはならない。


 こうしたことを神戸市での昨夜や今夜の福崎町での国会報告会で、かいつまんで話した。民主党の支持団体には、こうした日教組以外に、あの年金騒動の社保庁と深い関わりを持つ自治労もあるし、かのあやしげなマルチ商法団体の存在も見逃せない、と強調した。