「今後、わが国が向かう先には、これまでとは全く異なる激しい国際的な競争が恐るべき嵐となって立ち塞がっている。この嵐を越えなければ、今日の豊かで安定した国民生活を失う恐れがある」―相当に厳しい認識の提示がここ(平成20年版・科学技術白書)には示されています。わが国の科学技術を巡る課題は、国際競争力が激化するなかで、原材料の高騰と技術の陳腐化(コモディティ化)などといった事態が起きています。そのうえ、少子高齢化の進展や科学技術によるイノベーションの必要性なども指摘されるなど従来と同じ姿勢ではきわめて危うい事態が起こりかねません。


 先日開かれた党の政務調査会の会議で、文部科学省の担当者に対して私は「科学技術における日本の劣化が指摘されているが、その原因はどこにあると考えているのか。その分析はなされているのか」と質しました。これには、事態の厳しい認識が書かれているくだりを示すだけで、結局満足のいく答えはありませんでした。後によくよく探してみると、「わが国の研究開発予算額がほぼ横ばい傾向で推移しているのに対して、中国や韓国、米国が大幅に予算額を伸ばしている」「わが国の研究費は、約8割を産業部門が負担しており、諸外国より政府負担の割合が低い」などとありました。要するにお金がかけられてないといいたいのでしょう。


 しかし、日本の科学技術政策への予算は、すでにこの10年で約40兆円が投入されており、基本計画が終わる2010年までには、投資金額の合計は65兆円にものぼると見込まれています。にもかかわらず、白書ではそのあたりの分析をせず、ただもっと金をというのみなのです。このほど出版された『日本の科学技術政策における戦略的資源配分システム構築に向けた検証と考察』(畑恵・作新学院院長代理)では、日本の戦略性のなさが克明に暴かれており注目されます。「もっと金を」ではなく、「もっと効果的・効率的に配分され適切に活用されるべきだ」と言うことなのです。