7月18日―この日は私にとって、忘れられない日です。苦節約5年を経て、初当選を果たした日なのです。平成5年のあの日から、ちょうど14年になります。あっという間だったなどとは言いません。十分に長いながい歳月でした。「10年ひとむかし」といいますが、それよりも4年も長いのですから。
私の当選の年が画期的だったのは、38年に及ぶ自民党単独政権に終止符が打たれたことです。細川政権から、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉の7代の政権を経て安倍政権に至るまで、一貫しているのは、連立政権が余儀なくされてきていることです。組み合わせはいろいろあれど、連立が今や常態なのです。
昨夜、先に旭日双光章を授賞された建設業協会のS氏の記念の祝賀会が姫路市内のホテルでありました。様々な出席者の中から、知事、市長、商工会議所会頭と3人の挨拶の後、鏡開きを受けて、乾杯の音頭を私が取りました。国会議員5人をはじめ大勢の関係者がおられるのに、なぜ私が・・・。「さすが気配りのSさんです。参院選の渦中にあって、自民、民主のどちらかが音頭をとると言うのでは、まずい。それゆえ、(兵庫選挙区から)候補を出していない公明党の私に乾杯の音頭を取らせることにされたのでしょう」―会場に着いてから言い渡された役回りでしたが、この言い回しで場内は大爆笑に包まれました。
現実は、5人の国会議員のなかで最年長といったところが理由だったのでしょう。14年前では考えられない、名実共に要(かなめ)党であることを実感しました。今度の選挙で、仮に与党が過半数を割り、連立のパートナーの位置を公明党が明け渡さないまでも、その地位が低下するようなことがあれば・・・、などといろいろ考えさせられたひとときではありました。