「日本共産党ってどうして党名を変えないのか。日本共和党と変えればいいのに」―“親切心”からの疑問を自問する形で私は演説を進めた。三日連続の早朝街頭演説の中日になった10日は、姫路駅のあと、宍粟市の山崎町から、市町合併で姫路市の最北端になった安富町へと走った。


 ここでは、主に共産党について、その欺瞞性を指摘する演説を行った。


 共産党は、いまやかつての「敵の出方論」などに代表される“暴力革命主義”はなりをひそめたかに見え、議会制民主主義に徹した政党であるかに思われている。民主党が審議拒否に走ろうとしても、共産党は出席して反対をする姿勢を見せることが多い。こんなに議会制民主主義に忠実たろうとするのなら、世界でも今や珍しい共産党という名にこだわらずともいいのではないか、と思う。しかし、現実はそうではない。やはり捨てがたいものがあるらしい。


 憲法をめぐっておかしなことに、この党は護憲だという。本当だろうか。かつていまの憲法が出来た時にもっとも9条に反対したのが共産党であることは以外に知られていない。人民共和国憲法ができたら、自前の軍隊を持つとしていたのだ。それがいつのまにか変わっている。


 また、天皇制についても本来は反対なのだがとりあえずは認めている。つまり本質は変えたいくせに、それをおし隠して、護るかのごときポーズをとっているのだ。そうではないというなら、共産主義との決別を宣言すればいいのに、しない。むしろ一貫して憲法擁護の姿勢を貫いてきたとか、一貫して自由と平和を守ってきたとか、いう。果たしてそうか。憲法をめぐっては過去も未来も一貫していないのである。私に言わせれば、一貫しているのは日本の政治に無責任な態度を取り続けていることだけ。ずーっと野党ということは、なにも当事者として処理したことがないのであり、要するに実績がない。盛んに、民主党を批判するために「たしかな野党」を強調しているが、「たしかに野党」ではあっても、“たしかな”かどうかは、誰も認めていないのではないか。こんな主旨で演説をした。