26日付けの朝日新聞4面の「政態拝見」(延びた参院選)に、私のブログが一部紹介され、論評の糸口に使われていました。(ご覧になっていない方は、同紙を見てくだされば幸いです。)


 私が、「時間の政治学」という言い回しをする時は、おおむね取材をしてくる記者たちを“いなす”ため。現在の時点で、今ある条件をもとにあれこれ予測をしようとすると、間違うよ、と。時間というものを勘案すると、様々な変化が起こるため、将来の結果は全く違ったものになってくることさえあるよ、とも。まぁ、単純に使ってるだけで、「政態拝見」子のように複雑に考えて「時間」を扱ってるのではありません。


 ところで、今年の5月25日の衆議院厚生労働委員会での「国民年金法及び厚生年金法改正案」の審議にあたって、民主党案の提出者である枝野幸男氏と、公明党の福島豊氏の論戦は、この私風の「時間の政治学」をめぐる面白いものでした。「民主党は3年前に年金目的消費税を3%上げるとしていたのに、今ではそれを撤回しているのはなぜか」との福島氏の質問に、枝野氏がこう答えているのです。


 昔、台湾の李登輝総統の「政治というのは時間の函数である」という“哲学的”な話を聞き、何なのかな、と思ったが、最近なるほどと思ったというのです。つまり、社会状況が時間の経過とともにどんどん変化し、民主党が年金目的消費税を主張した段階以降、自公政権が所得税、住民税などの国民負担増をした結果、自分たちがアップさせようと思っていた分にちょうど相当するぐらいの税収増になっており、もはや上げる必要はなくなった、というのです。


 これに対し、福島氏は、「枝野氏は答弁上手」と持ち上げながらも「基本的な考え方がしっかりしていなかったことは免れない」と矛盾を指弾していたのはさすがです。もっともこの枝野氏の切り返し方は、詭弁的ではあれ、私風に言う「時間の政治学」(李登輝氏言うところの時間の函数)を使っていて、なかなかうまいな、と改めて野党の若手論客らしくあっぱれ、と感じたことを思い起こしたしだいです。